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私と歌舞伎

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感じたこと、猿之助さんに影響を受けたこと。
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#市川團子

澤瀉屋

大好きな めぐさんと電話で話しました。 体調不安とか悩みとか聞いて欲しかったというより、声が聞きたかった。大事なことはやっぱり声で伝えたい。 そうしたら悩みがぶっ飛んだ(笑)私は自己価値を下げ過ぎてたみたい。追いかける人生を送っている場合ではなく、追いかけてもらう人生になりなさい。そうエールを送ってもらった。私なら大丈夫と。 私が私を信じてあげるため、今の自分を生きるため、身体の感覚を感じていくことに集中しようと思う。感覚と感情は一緒だと教えてもらいました。我慢した悲し

繋ぐこと

今日は、猿翁さん段四郎さんを送る会が行われました。 澤瀉屋のことを考え、想っていました。 私は今もほとんどネットニュースや雑誌類、TVを見ていません。良い事も悪い事も情報はもういいかなと考えています。生活が一変しています。 それでも劇場が好きです。 生活スタイルが変わっても、劇場へ行くことだけは変わっていません。演劇は私の生きる力です。 そして、ただただ。。猿之助さんが舞台に立つ姿が観たくて待っています。私が生きる理由の一つです。

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二代目市川猿翁

猿翁さんが13日に鬼籍に入りました。 私が歌舞伎を観始めたのは2008年です。猿翁さんがすでに病気に倒れた後でした。しかも私が歌舞伎ファンになるきっかけの亀治郎さんは甥でありながら、猿翁さん(当時 三代目猿之助)のもとを自ら出ていました。病に倒れてもそれは変わることはなく、亀治郎さんは澤瀉屋一門とともに舞台に上がることはありませんでした。 それが2009年11月、新橋演舞場で亀治郎さんが「鬼揃紅葉狩」を踊ることになりました。「演出 市川猿之助」と書き添えてあるではないです

「未来へ天翔けるヤマトタケル」

9日は’重陽の節句’ 栗ご飯が食べたいな。。と思いヘッダーをチョイスしました。記事の内容とは関係ありません。 昨日から頭の中で「ヤマトタケル」がグルグル巡っています。前の記事で書いた澤瀉屋三人同時襲名の筋書を読みふけっていました。鬼籍に入った梅原猛先生、蜷川幸雄さんのお祝いの言葉が胸に迫りました。 「未来へ天翔けるヤマトタケル」 これは二代目猿翁を襲名することになった三代目猿之助さんが’ヤマトタケル’上演に寄せた文章のタイトルです。当時の四代目猿之助さんのヤマトタケルの

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スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」来年上演

仕事の休憩時間に知ったニュースに心臓が止まるかと思うほど驚きました。来年2月3月新橋演舞場で「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」が上演されます。 本来は「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)鬼滅の刃」の予定でしたが中止。その代わりの公演として三代目が創造したスーパー歌舞伎の1作目ヤマトタケルが、隼人さん團子くんのW主演で行われることになりました。米吉さん中車さんの出演も発表になっています。 嬉しい!けど寂しい。。でも何だか安心もしました。 そうしたらジワジワきて泣けてきた。 また

躍動する團子くんに心がざわつく

博多座二月花形歌舞伎「新・三国志 関羽篇」初日の様子がメディアで発表になりました。 写真を見てびっくり!!!だ、團子くんがものすごいことになっているではないですか。あやうく明日の飛行機を手配してしまうところでした(笑) 澤瀉屋の役者の育て方がここにあると思うのです。2000年亀治郎時代の猿之助さんの写真と見比べてみます。團子くんの思い出とともにお話を聞いてください。

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スーパー歌舞伎Ⅱ「鬼滅の刃」2024年上演決定によせて

「四代目よ!私の創った物のその上を超えよ!」 これはスーパー歌舞伎Ⅱの一作目「空ヲ刻ム者」パンフレットにある猿翁さんの言葉です。 スーパー歌舞伎は、猿翁さんが三代目猿之助時代に創造し1986年に誕生しました。一作目は「ヤマトタケル」。古典歌舞伎と明治以降に創られた新歌舞伎、両方の良いところを取り入れた「新・新歌舞伎」を創造すべきだ、という考えから始まったそう。 私は三代目の歌舞伎を生で観ていません。初めて観たスーパー歌舞伎は、2012年、当代猿之助さんの四代目襲名興行「