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「撮られることを文化に」という大きな旗を振り続けるーフォトグラファー小木曽絵美子

2023年3月1日。
写真展「prism of μ's―μ'sの軌跡―」が開催される。

設置期間を含め、一週間にわたる写真展だ。
主催するのは、小木曽絵美子。

2019年に写真展「μ'sの横顔」を企画して以来、1年から2年に一度のペースで写真展を開催している。

彼女はいつも「私の写真を見てほしいから写真展を開催するのではない」と口を酸っぱくするほどに言い続けている。

多くの写真家にとって、写真展は美術展のようなものだ。
自分の作品が飾られ、鑑賞され、そして評価される場。

しかし小木曽の写真展はそうではない。
彼女が掲げる「撮られることを文化に」というビジョンを表現し伝える場として写真展を機能させようとしている。

撮られることを文化に。
その中に含まれる想いは熱く深い。



もともと、将来の夢に「カメラマンになる」とは書いていなかった。
地元恵那の高校を卒業後、上京。
ニットデザイナーになる夢を叶えるべく随一の服飾専門学校に入学した。

現在の彼女を知っている人は納得するだろうが、熱い性格は当時も変わっていない。中国でのコンテストに出展するために、テーマに合わせて10点のデザインを上げた。
もちろん、コンテストはデザイン画だけを出して終わりではない。実際に服を作らなければならない。時間がない。友人、知人、最後には教師まで手伝って、コンテストに間に合わせた。結果は最優秀賞で、トロフィーを胸に帰還した。
その後、順調にキャリアを重ね、大手アパレルのハナエモリに就職。

服飾学校でニットデザイナーを志し、ハイブランドのデザイナーや社員といえば、きっと着ているものもおしゃれだろうと思うかもしれないが、そうではない。もちろんそういう人もいるが、若手が担うのは工場とデザイナーとのつなぎで、どちらかというと肉体労働だった。

そして、あるタイミングで自分の未来に気付いてしまう。
このままこの道を進んでも思い描いていた成果は出せない。彼女の中での静かな挫折だった。



ちょうどその頃付き合っていた高校の同級生に「帰っておいでよ」と言われ、それもいいかもしれないと岐阜県恵那市へと戻ることにした。

その後、家から車で30分程度のところにあるアウトレットモールのレディースアパレルの店舗で働くことにしたが、服装を注意された。デザインするのは楽しいが、自分が着るとなるとTシャツとジーパンのような姿が当たり前だったのだ。お客様を接客するのにこれではいけないと、本社や名古屋の店舗でファッションのいろはを学ぶ。

そして1年ほどして付き合っていた例の同級生とそのまま結婚した。彼は地元の公務員。彼の父母は牧場を経営する自営業。地元に生まれ、地元に根付いた家だった。

牧場がある場所が住まいだから当然利便性の良い場所ではない。
よく言えば自然が豊か。そのまま言うなら小高い山の上。

車移動が必須なのは恵那市内ならどこでも当たり前だが、ガソリンスタンドは家から車で30分走ったところに一軒だけ。それを逃してガス欠するとレッカーを呼ばねばならない。そんな場所である。

最初は便のよい市内のアパートで二人暮らしを選んだが、のちに子育てのことを考えて彼の家に入ることになる。

岐阜の恵那というのは、小木曽いわくまだまだ田舎なのだという。
「結婚したからには子宝を」
いい嫁は子どもをたくさん産む嫁。一人より二人、二人より三人。
そういう圧力が、少なくとも彼女が結婚したころにはまだまだ強かった。

子どもを産まなければ…。

もちろん、自分が子どもを欲しかったのもある。
それでも周囲の空気に子どもを産むのが義務のようにのしかかった。




結婚して2年。
29歳になる年、一度診てもらっては…という親のすすめもあり初めて病院に行った。周期表を見るに、排卵のタイミングが人より少ない。
しかしタイミングが良かったらしい。
2008年待望の長男が生まれる。

しかし、そこから想わぬ落とし穴にはまった。
二人目が欲しい。

よく、そうは見えないと言われるが、彼女はひとり親家庭に育ったひとりっ子である。幼少期に父と母は離婚しているから父親の顔を知らない。母が仕事に出る間、ひとりで家にいるさみしさを知っていた。だから、この子にさみしい思いをさせないように、せめてもうひとり。

最初の診察で排卵のタイミングが少ないと医者に言われていたので、産後ひと段落してからすぐに不妊治療にかかった。ところが、タイミングをみても、卵子を取り出してみても、うまくいかない。

「小木曽さんのお身体は、卵子の質があまりよくないようです」

医者から言われたひとことに頭を殴られた気持ちになった。ホルモン剤を投与して排卵を促進してもダメ。卵子をとり出しての体外受精も2年間の間に5回試みたが、結局シャーレの上で上手く育たず、体内に戻すこともできなかった。

当然、薬で無理やり身体を変化させるから体調も芳しくない。
「私の身体がダメだから、私は二人目の子どもを授かれないんだ」

完全な自己嫌悪に陥った。

「もういっそ、細胞から全部入れ替えてしまいたい」



そう思っていたある日。黄土よもぎ蒸しと出逢う。韓国の伝統的な手法で、遠赤外線を放出する黄土でできた座面の下でよもぎを煮出し、その蒸気を浴びる。いわばスチームサウナのようなものである。
 体験してみると、今まで試したどの手法よりも体によさそうな気持ちになった。なにより、蒸される時間がとにかく心地よかった。
 身体が冷えていては、妊活どころではない。これはいいと、一式を買い揃えた。そして毎日蒸されているとふと、自分は身体だけでなく心まで冷え切っていたんだと気が付いた。

 食べるものも、することも、今の自分が何を望んでいるかよりも、「妊娠するために必要なものだから」と選んでいた。おいしいか、楽しいかは二の次。それよりも目的を達成しなければならない。いつの間にか、「いいお嫁さんであるために、二人目の子どもを産む自分でいなくてはならない」と、自分の価値を周囲の「いいお嫁さん」と比べてしまっていた。
そんなことに気付いた。

 妊活にだけ向けていたエネルギーを、もっと違うことに向けてみよう。気付かないうちに縛られて見えなくなっていた世界の視野を広げよう。そうしてみたら、袋小路の今の状況も何か変わるのではないか。だから、自分のしたいことをやってみよう。

 意識が変わった。

 もともと、専門学校でもカメラの授業があって、それ以来写真を撮るのは好きだった。そんな体験もあったからか、妊活仲間に出張でよもぎ蒸しを提供したあと、蒸されてポカポカしてきれいになったご自身を撮って見せてあげたいと思うようになった。

 「お写真を撮ってもいいですか?」とことわってスマートフォンを向けるが、お客さんは「え?そうかな…わたしなんて」と、「とってもキレイです!」と真心で言ったことばを全く受け取ってくれなかった。

 女性ってみんなきれいだしかわいい。
 でも、その魅力を否定しがちなんだ。

 2016年二人のフォトグラファーによる「はじめの一歩講座」が開催された。そこで、今よもぎ蒸しを提供していること、蒸した後の女性は美しいこと、女性の美しさを何とか見せてあげたいと思ったこと。そんな自分の想いを相談すると、「やってみるといい」と太鼓判を押された。

「女性性が開いてる女性を撮るって素敵だよ」

その一言に背中を押され、本格的にカメラを学びはじめる。
女性としての自分を想い出せる。
そんな写真をお渡しできるカメラマンになろう。

夫にしたら驚いたことだろう。妻が妊活で苦しんでいたと思ったら、急にやる気になってカメラを学ぶというのだ。

それでも最後は分からないなりに、やりたいことならやればいいよと言われた。


しかし、悲劇は起きる。



2019年。この年の3月8日、彼女は40歳になる。
40歳の記念に100人の女性に撮影をプレゼントしよう。

最初はほんの思いつきだった。
まだ実績も少ない。本格的にフォトグラファーとして活動をはじめて1年と少し。だからこそ、無料でやろう。

事業をしている友人に相談してみると

「100人を無料でするのはいい。でも写真集とか写真展とか、何かの形にしないとダメだよ」

とアドバイスされた。
言われてみればそうかもしれない。

チャレンジしました。成功しました。
それで話題になるのは一瞬で、そのあと話題は流れて消えていってしまう。それならば形に残るものをつくろう。

とはいえそもそも人が集まるだろうか。
しかし告知をしてみると、たくさんの人が撮影の紹介をしてくれ、結局募集開始2日で100枠すべてが埋まった。

100人の撮影予定は決まったものの、分からないことは山積みだった。
写真展とはどこでやったらいいのか。
開催するためには何をしたらいいのか。

どうにか人の手を借りて名古屋で借りられそうなギャラリーを見つけ、カメラの先輩から展示用のパネルを印刷してくれる印刷会社を紹介してもらった。

しかし、やるからにはお客さんに来てもらわなくてはならない。
来てくださいというためには、どうして写真展をするのかを伝えねばならない。

想いはあるが、言葉にするのが苦手だったが、これをきっかけに、自分の想いとは何かを改めて探し始めた。

女性は写真を撮られたらいい。
だって撮られることは綺麗になるツールの一つなのだ。

それは、言うなれば美容院に行ったり、ネイルサロンに行くのと同じこと。

ネイルサロンだって、ここ10年の間に流行ったけれど、今となっては当たり前になっているではないか。

それと同じように、写真撮影をプロに受けることが当たり前になって欲しい。

当たり前とはつまり。
文化になるということだ。

「撮られることを文化に」しよう。
ただ撮られることではなく、女性が美しくなるために撮られることを文化にしていこう。

写真展のタイトルは「μ'sの横顔」に決めた。

芸術の女神ミューズから、女性の日常の役割に追われて普段は隠れてしまうことの多い、本質的な女神の部分をμ’sと名付けた。

そして、撮影に慣れてなくても、横顔ならば撮られやすい。
正面はカメラマンと真正面で向き合うから緊張もする。目線の先にカメラがなくて少し緊張がほぐれるのが横顔だ。

まずは横顔でいい、撮られてほしい。
撮られれば、きっと良さが分かる。



写真展は成功に終わった。
おそらく、周りから見れば大成功だろう。

フォトグラファー活動2年目に入ったばかりの新米が、一室を借り切って100パネルを展示するなんて。ギャラリー側にも驚かれた。

しかし、1度写真展を開催しただけで、「撮られることは文化になった」と言えるだろうか。

いや、言えないだろう。
せめて3回は、写真展を続けよう。

そうして、2021年3月と6月「μ'sの煌き」を名古屋と横浜で開催した。

写真展のための撮影プランを、前回から継続して購入してくれる人が何人もいた。彼女たちから「私の中ではもう文化になっているよ」と言われたとき、うれしくて涙が出た。

2023年3月。
3度目の完全新作での大型写真展が始まる。

「撮られることを文化に」を本当に実現していくのに、ひとりでは限界がある。だから、3度目は仲間とともにやりたい。

募集をかけてみると、思っていた以上に手を挙げた人が多かった。
結局7人の仲間が全国から集まり、プロジェクトが動き出したのが2021年の冬だった。

そこから、1年と数か月。
仲間と共に走り続けた。

彼女は言う。
別に、写真展なんかやらなくてもいいのかもしれない。
写真撮影なんか受けなくてもいいかもしれない。

しかし、実際に写真展に来た人や、カメラマンやフォトグラファーは必ず、そして撮られた人も「写真っていいよね」というのである。

撮られてみると、体験してみると、「写真っていい」が分かる。

それはなぜかというと、撮られることは、自分自身にすでに「ある」ものを写しだすからだそうだ。

見えていなかったり、気づかなかった自分自身のチャームポイントや、日常の忙しさでつい忘れてしまった家族との幸せの形。

自分自身の愛情や、親から受けた愛の形。

忙しい私たちが、つい見ることをやめてしまうたくさんのものを、一枚の写真は記録してそして私たちに見せてくれる。

魅力や美しさや幸せや愛の輪郭を、はっきりさせてくれる。
それが、写真の力なのだ。



撮られることは、女性の人生を豊かにする。

だからこそ、撮られることは文化になっていくべきだし、なっていくからこそ、私たちの人生が豊かに色鮮やかに変化していける。

それが、撮影というツールなのだ。

彼女が見据える先には、女性が自分自身の美しさを自覚して輝く社会が見えている。

その大きな旗を手に持って、勇気をもって振り続けると決めた姿を人は美しいというのだろう。



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