ハイドン不朽の名作 Hob.XVII:6 をめぐって
ハイドンといえば、「明るく元気で茶目っ気たっぷり、パパ・ハイドン!」というイメージが先行するかもしれませんが、悲痛な響きに満ちた不朽の名作 Hob.XVII:6 については、少々趣を異にしているように思います。ハイドンの作品には珍しいヘ短調 f-moll が選択されているところも特殊でしょうし、終盤の壮大なコーダのドラマティックな表現も、ロマン派時代の魁であるといっても差し支えない気がします。この曲が作曲されたのは1793年、親しかったマリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人、あるいはモーツァルトの死を悼んで作られたと伝えられています。
ところで、日本では一般的には「アンダンテと変奏曲」というタイトルで知られているようです。Andante con variazioni の邦訳ということなのかもしれませんが(※)、実は、私自身はこの訳語に少なからず違和感を抱いています。この違和感の正体ですが、「と」という並立の格助詞の使い方、すなわち「アンダンテ」と「変奏曲」が並立の関係にあるような日本語表現になっているところです。con は英語の with と同じようなもの、そうだとすれば「変奏曲を伴ったアンダンテ」と解した方がいいのではないでしょうか。少なくとも、私自身は、そう理解する方が、この曲の本質に迫ることができると感じています。終始一貫 Andante のテンポで奏でられる変奏を「伴った(con) 」 楽曲ではないかと私は思うのです。
(※)もっとも、邦訳の問題ではないのかもしれません。いくつかの英文ページでも Andante and Variations in F minor と記載されている例が見受けられる、ということをここで申し添えておこうと思います。
ところで、 Andante という速度記号について、その昔子供の頃「歩くようなテンポ」であると習いました。いえ、今でも、一般的にはそのように理解されているのではないかと思います。しかし、 Andante がイタリア語の動詞 andare に由来するものであり、「英語の go にあた」り、「正確には移動する(move) という感覚」であって、「<歩く速さ>という具体的な速度感覚ではない」(注1)、といったような音楽用語の解説書も出ていますので、さすがに私自身は「歩くようなテンポ」であると即答するつもりはありません。念のため andare について伊和辞典を参照すると、「行く、進む、達する」という意味の他に、(時間や季節が)「過ぎる」という意味が列挙されています。また現在分詞(名詞を修飾して形容詞として使われる) andante については、「並の、適度にゆるやかな」という意味の他に、「今の」「つながった、とぎれめない」という意味もあるのだそうです。
つまり、そういった Andante の語感を踏まえて、終始一貫 Andante で演奏することによって、「無常にも過ぎ去ってしまう悲しみ」の表現が可能になる、これこそがこの曲の本質であろう、と私は考えています。
もっとも、「歩くようなテンポ」というのは、この曲を演奏する際の現実解でもあるような気がします。もちろん、その足取りは軽くはありません。付点のリズムに彩られた4分の2拍子のこの楽曲は、いわば Marcia funebre ― 葬送行進曲 ― のような性格を持っているとも考えられます。
さて、長々 Andante con variazioni というタイトルについて述べましたが、驚くべきことに、このタイトルが採用されているのは、私が持っている楽譜ではウィーン原典版だけなのです。最近入手した新しいヘンレ版の場合、表紙には Variationen f-moll (Sonata)とありますし、古いヘンレ版には Variationen / Un piccolo divertimento と書かれていました。これは、1793年の自筆譜において「ソナタ」というタイトルがハイドンの手によって書き込まれていたこと、「小さなディヴェルティメント」というタイトルの手稿が存在すること、1799年に至ってウィーンのアルタリアから出版されたときに Variations pour le Clavecin ou Piano-Forte というタイトルがつけられていたこと等によるもののようです。
ここで私が注目しているのは、当初、ハイドンは、複数楽章から構成されるであろうソナタの一部としてこの曲を書き始めたようだという点です。ソナタ形式の第一楽章はソナタ形式ではないのか? ― という素朴な疑問もわいてきそうです。もっとも、変奏曲をソナタの冒頭楽章に置くことについては、既にモーツァルトの KV 331 のトルコ行進曲付き A-dur ソナタの事例もあり、多少時代が下ればベートーヴェンの Op.26 As-dur ソナタ(1800年頃)の事例もあります。
そういえば … そもそも、ソナタ形式という概念が成立したのは19世紀に入ってからのこと、ハイドンにしてもモーツァルトにしても、ソナタを書いている意識はあっても、ソナタ形式という概念に則って作曲しなければならないという意識を持っていたわけではなかったのかもしれません。ということは、ハイドンは、ごく普通の感覚でソナタという楽曲を構成しようとして、変奏曲を書き始めたのか?
それはそれとして、最終的にこの曲にどんなタイトルを付すのが適切なのか?無難なのは Variationen (変奏曲)だろうと思うのですが、当のハイドン先生はどのようにお考えだったのか?
…という具合に、タイトル一つとっても、考え出すと深みにはまりそうになります。いえ、タイトルだけではないのです、この曲の悩ましさは。例えば、ウィーン原典版にも掲載され、新しいヘンレ版の脚注にもある第145小節の後ろに当初置かれていたという5小節の F-dur のコーダの存在です。この5小節については、アルタリアから初版譜が出た際には削除されたということらしいのですが、この削除をどう扱うか、実に悩ましいです。初版譜はあてにならないとする意見もあれば、作曲者の生前に出版された初版譜であることを考慮すべきであるという意見もあるようです。さあ、どう弾くかということですが、私自身は、現時点では、この F-dur の5小節のコーダについては、音楽的な流れとして今一つだと感じられるところがあり、削除して弾く方がいいのではないかと感じています。
(注1)『イタリアの日常会話から学ぶ これで納得! よくわかる音楽用語のはなし』(関孝弘/ラーゴ・マリアンジェラ 共著 全音楽譜出版社 2006年)
【14:10 2023/09/24 付記】
ひょっとすると、「主題と変奏」というのが変奏曲の形であるがゆえに、「アンダンテ」「と」「変奏曲」という具合に結んでしまった、そういうことかもしれません。
ただ、どうなのでしょう。そうだとしても、私個人としては、 Andante は、主題そのものを意味するというよりは、この曲をどのような感覚で演奏するか、を示した言葉に他ならないと思うのです。
『楽典 音楽の基礎から和声へ』(小鍛冶邦隆 監修・著 アルテスパブリッシング)によれば、次の通り。
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