◆DAY10 化けの皮

*2019年4月1日*

今日、先生に「なぜタンゴに惹かれているのか」あらためて聞かれた。

これは難問。

ちょっと考えた末、私は「仮面をつけなくていいから」と答えた。
そして思わず、「タンゴは、私に残された最後の手段なんです(私が”自分”に還るための)!」と訴えていた。

人は誰しもさまざまな顔を持っている。夫や妻としての顔、親や子供としての顔、仕事をしているときの顔……意識していなくても、さまざまな仮面を使い分けている。その仮面を、それぞれの舞台に合わせて自在に付け替えることができれば、生きやすいのだろう。
それができずに場面にそぐわない仮面をつけたままになっていると、「こうありたい自分の姿」との間に違和感を感じて、それがストレスになる。

私の問題は、うまく仮面を付け替えられないことだった。

気づいたら、外では道化の仮面を無意識のうちにつけていた。ちょっと天然で、素っ頓狂なことを言っては場を和ませる、ピエロのような役。中高生の頃から「天然」扱いされていたのは、別にわざと天然のふりをしていたわけでもなく、自然に身についた技。うまく周りとやっていくために身につけた処世術だったのだと思う。

気づけば仮面がひっついて、取れなくなっていた。さすがに仕事の場面ではピエロを出さないくらいのコントロールはできたけど、プライベートで真面目に話をしている場面でも、どこかおバカな自分でいることで、身を守るのが癖になっていた。

その悪癖はタンゴのレッスンでも発症した。

ある日のグループレッスンでのこと。たけし先生のアドバイスに対し、「はーーーい」と子供みたいに語尾を伸ばして答える私を見て、一緒にレッスンを受けていた同年代の女性が、私の口真似をした。「(可愛くて)羨ましい」といいながらも完全に小バカにした様子で、しかもその物真似がバカっぽいので、「自分はこういう風に見られているんだ」とさすがに凹んだ。それは、あまりにも理想の女性像とはかけはなれていた。

そんな自分はいやだ!そう思ったのに、翌週たけし先生と話しているとき、つい染み付いた例のクセが出てしまった。

すると、「よし、これから二人の間でルールを決めよう」とたけし先生。
「真面目に聞いてる時は、語尾を伸ばさない。『はーーい』と伸ばした時は、俺もそれなりに(手を抜いて)教えるから」
「だって、自分だってそうされたら嫌でしょ?」

・・・。

このとき本当に、情けなさとありがたさで胸がジーンとなった。
仮面ひとつもコントロールできない不甲斐なさ。
同時に、そんな私を手助けしようとしてくれる先生への感謝。

つまり、私がタンゴに惹かれている理由は、
踊っているときだけは、不要な仮面を無理なく外せるからだった。
道化を演じる自分からも、その仮面をコントロールできない自分からも解放され、「ただの自分」でいられる気がする。
その可能性をタンゴに感じたのだ。



その流れで面白い話になった。私がはじめてLOCAに行った夜(DAY1)、たけし先生が私に対して「化けの皮を剥がしてやる」と、言ったらしい。
おかしなことに言った本人も私も覚えていないのだが、「すごいこと言ってましたね」とHくんに言われて後から知ったんだとか。

化けの皮……先生には私の仮面が見えていたのか……。

化けの皮を剥がしたら何が現れるのか、私も知らないけれど。

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