◆もうすぐレッスン10回の心境
*2019年4月2日*
新しいことを習うときの新鮮な感じ方、何に疑問を抱いてどう納得したか、というのはきっと後になったら当たり前のことになってしまうから、文章に残しておきたくて、焦るようにPCを立ち上げる。
*
タンゴを初めて約1ヶ月半、レッスンも次回で10回目を迎えようとしている。
今は最低週1回、デフォルトで週2回レッスンに通うペース。家では隙間時間にオーチョの練習をしたりはしていたけど、「圧倒的に家での練習時間が足りない」と思い、今日は1時間弱はオーチョの練習をした。
たけし先生が「これを見るといいよ」と送ってくれたYoutubeの動画を見て、気をつけるポイントを意識しながらエクササイズ。前オーチョは、昨日のレッスンでやったこともあり、少し腰が回るようになってきたけど、後ろオーチョがやはり安定しない。
もう、恋をしているときみたいにタンゴのことで頭がいっぱい。原稿と勉強に集中しないといけない時も、気づけばタンゴのことばかり考えてしまう。英語のリスニングの勉強も、最近はタンゴの音楽とか動画を見るのを優先してしまって、ぱったり辞めてしまった……。
タンゴは仕事ではないし、自分の生活に足りない潤いをくれる趣味として、続けていきたい。
「レッスン3回目くらいまでは、シューズを貸してあげる」と路子先生は言ってくれたけど、初レッスンを受けた段階で、「あ、これは続くな。続けたい」というのがわかってたから、早々にタンゴシューズを買いに行った(そういう時の行動は早い)。そしてこの1ヶ月半で、シューズはすでに4足(練習用のスニーカー+タンゴシューズ3足)に増えた。
タンゴ用の洋服も着々と増えている。ほぼ着物生活になって以来、靴も服も完全に和に移行していたのに、ここにきてまた洋が復活するとは、人生何があるかわからない。
服を選ぶときに重視するのは、自分が女性らしく見える服。ダボっとしたシルエットや、ボーイッシュな服は買わない。必然的に、ウェストが絞られて身体のラインが出る、かつ動きやすいように裾が広がったワンピースやドレスが増えるわけだけど……そういう服を着ていると、わかりやすく「女でいる自分」を感じられる。
和装の時は「淑女」らしく振まわねば、とちょっと気を張っているけれど、タンゴを踊る空間にいる時は、多少、隙があっても許される気がする。
品はタンゴにおいても重要な要素。でも品と隙との適度なバランスがタンゴの場には合う気がする。
タンゴは楽しい。同時に、意識の脇に追いやられた他のことを思って、ちくりと胸が痛む。タンゴを除くと、ワイン、お茶、着物。ずっと続けたいことは3つ。特にワインは、真剣に向き合い始めて8年以上が経つ。その魅力に取り付かれた当初は、今のタンゴと同じように四六時中ワインのことばかり考えていた。それが取材対象になり、資格の勉強もはじめて、途中までは学ぶのが楽しくて仕方がなかったけれど、今ではその熱がタンゴに吸い取られているのを感じる。
同じエネルギーの熱量を注ぐ?
そんなことができればいいのに。
一つのことに対する熱が続けば、道を極めることに繋がるんだと思う。それができないから私は器用貧乏(器用かはわからないが……)なのかな、と思って少し寂しくなる。
でも、今はタンゴを踊りたいんだもの。
燃え始めた炎も、消えゆく炎も、今は自分ではコントロールできないんだもの。