◆コロナとパレハ

上海タンゴマラソンに参加した2019年11月から約一年弱、あれから世界は一変した。

あらためて序文「はじめに」を読み返してみると、「タンゴとの関係性は、タンゴを続けている今も、現在進行形で変わり続けている」とある。

……それにしても変わりすぎだ。

足しげく通っていたレッスンにもミロンガにも行けなくなり、すっかりタンゴと縁遠い存在に。タンゴの曲だけは毎日聴いていたものの、なかなか会えない恋人と遠距離恋愛している気分。

「踊れるのは当たり前じゃない」。友人の病気をきっかけに私自身も心に戒めたことが、ほんとうに現実になってしまったのだ。

自粛期間中つよく思ったのは、「タンゴのパートナー(パレハ)がいればなあ」ということ。自宅などでパートナーと踊れる人が本当に羨ましかった。

だけど、次第にその状況にも慣れている自分がいた。以前は4日踊らなければ発狂寸前だったのが、10日踊らなくても平気になった。

はじめは「慣れ」ている自分にショックを受け、「なんだ、タンゴって私にとってその程度のものだったの?」と落胆した。

それしか選択肢がなければ、人は順応していくものなのか……。

でもそれは、何かが足りない不完全な世界であることには間違いない。ひとたび踊れば、ああやっぱりこの居場所が私には必要、と思う。

ひところに比べ、少しだけ状況が落ち着いてきたように感じるとはいえ、まだまだ以前のようにタンゴを堂々と楽しめる状況ではない。

この不完全な世界でどう精神のバランスをとっていくか、それがいまの課題だ。


それともう一つの問題。

正直に言うと、今の私は「上達」へのモチベーションを失いつつある。

タンゴは人生に潤いを与えてくれる大切なもの。
だけど、以前のようなわーっと、心のなかで沸き立つ瞬間が、圧倒的に少なくなってきている。
これは、コロナ前から実は感じていた。

なぜだろう、と考えてみる。

まず、とりあえずは卒なく、ミロンガで踊れてしまうこと。
完成度はどうあれフォローはできるし、最近踊っているときに冷静な自分に気づいて落胆することが多々ある。「こう来たら、次はこう動けばいいかな」なんて、私の先生が一番嫌いな予測パターンで動いてしまっていることもある。

そんなときは、踊っていても楽しくない。
三分間にきらめきがない。

なんか、ちょっとマンネリ化してきてるのかも……。

はぁ?すべてが中途半端のくせに何いってんだ、とお叱りの言葉が聞こえてきそう。

私だって、タンゴマラソンの後につよく思った、「世界中のミロンガで踊りたい」「上達したい」という気持ちはもちろん今もある。

細かいことでいえば、もっと股関節が使えるようになりたい、アドルノを使いこなせるようになりたい、など直近の課題は山のようにある。

でも、別にデモをしたりコンクールを目指すわけでもなければ、その踊りの完成度(満足度)というのは、本人が決めるものだとも思う。

極端な話、ヒーロがかんぺきに綺麗に回れなくてもお互いの波長があってうっとりいい気分で踊れていたら、それでもいいと思ってしまう。

どこをゴールとするのか。これが難しい。
その曖昧さが、モチベーションが上がらない1番の原因だと思っている。

だからこそパレハが欲しいなんて思うのかも。パートナーがいれば、きっとカツをいれてくれるはず……なんて人頼みにして。

とことんダメだなあ私は。

ちなみに先生いわく、タンゴのパートナーを見つけるのは結婚相手を見つけるより難しいらしい。がーん。。。

しばらくは、自力で頑張るしかないか。

写真は、タンゴを愛する美女たちと。こんな美女がうじゃうじゃいるタンゴ界、相当すごいと思うんだけどな。

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