![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144964750/rectangle_large_type_2_45f3e68fd1489315da3b321e638321a0.jpeg?width=1200)
もう一つの原風景ジオラマ (60年ほど前の二子玉川園〜砧本村)
思い出の場所をジオラマで表現する原風景ジオラマの第2作をA4サイズのZゲージスケール(線路幅6.5mm,縮尺1/220)で作りました.これは先に公開した「私の原風景ジオラマ」の場所とは別の,私自身のもう一つの原風景である東急砧線沿線をイメージしたジオラマです.東急砧線は世田谷区南部を走っていた小さな電車で,二子玉川園駅(現二子玉川駅)と砧本村駅を結ぶわずか2.2kmの路線でしたが,路面電車の‘玉川線(玉電)とともに1969年5月に廃止されました.二子玉川から砧方面の多摩川河岸は小学校1年の遠足で訪れて以来繰り返し出かけていて川遊びなどを楽しんだ場所であり,私にとってはとても懐かしい場所です.
![](https://assets.st-note.com/img/1719108320949-T1RDeGzREK.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719113042804-OJOg1em9fz.jpg?width=1200)
上の写真の説明:
(1).現在とは全く異なる二子玉川園駅.多摩川の花火大会や二子玉川遊園地へ行くときには大井町線側のこの駅舎を利用していました.また,駅の右側奥に玉電・砧線側へ向かう地下道がありました.(2).玉電・砧線側の二子玉川園駅舎.地上から写した写真ですが,次に示す最近の写真とほぼ同じ向きで写されています.
![](https://assets.st-note.com/img/1719115674967-UaTvXl9DIt.jpg?width=1200)
(2)の写真は左側の二子玉川ライズの左奥付近から撮影されている
(3).二子玉川園駅を出た砧線60型電車.廃止の数日前に撮影された写真で,背後にはすでに高架線になった大井町線の線路が見えます.二子玉川(当時は二子玉川園)から渋谷に向かう田園都市線の線路は玉電・砧線の廃止後にこの場所を通って建設されました.(4).玉電の二子玉川園駅ホームで発車を待つペコちゃんの愛称を持つ連接車の200型.連結部分の車輪は1軸のみという特殊な構造を持っています.(5).砧線ホームの60型電車.背後に独特の形をした玉電・砧線の駅舎が見えます.ジオラマではタイトル写真のように作成しました.(6).高架工事の始まった二子玉川園駅.玉電・砧線ホームを移設し,その場所に大井町線の仮ホームを作っている所です.この後ろ側の多摩川を渡る鉄橋は単線の大井町線が道路の真ん中を走る併用橋でした.
二子玉川園駅,砧線・玉電.大井町線などの位置関係は次の地形図で良くわかり,最後にその関係をまとめた図を載せているので参照していただきたい.なお,多摩川の河原に細長い四角の波線が見られますが,これはグライダーの滑走路で,子供の頃にはしばしばグライダーが飛び立っていました.小学校の遠足の集合写真はこの場所で撮影されました.
![](https://assets.st-note.com/img/1719200618675-EMbRXimgRS.jpg?width=1200)
(1) 西側から見たジオラマの二子玉川園駅.(2)玉電・砧線駅舎の横から見た玉電の引き込み線終端部.右側のプラットホームで乗客を降ろした電車は手前の単線引き込み線部分で折り返して左側のプラットホームへ移動し,乗客を乗せて発車する.正面右側の小屋の向こう側に大井町線の上り側プラットホームがあるが,ジオラマでは小屋を省略している.(3)大井町線側から見た単線の線路を進む3500型電車と奥に見える玉電30型電車.大井町線電車はこの先多摩川にかかる道路併用橋の上をゆっくり進んで溝の口へと向かう.
![](https://assets.st-note.com/img/1719200608238-8Jt1Sk9a6f.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719198795216-dTpwzGPM2t.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719118243206-wRB3j1keh3.png?width=1200)
二子玉川園駅を出発した電車は中耕地駅を出たあと大きくカーブして都道11号線を越え,吉沢駅に到着します.目の前にはそれほど大きくない川が流れており,この川が多摩川沿いの低地と武蔵野台地との境をなす国分寺崖線に沿って流れる野川です.野川は少し下流にあたる二子玉川の兵庫島付近で多摩川に合流しています.この野川を渡る砧線も記憶に残っている景観で,ジオラマに表現しました.また,国分寺崖線の奥の世田谷区瀬田付近は今でこそ都会の風景ですが,今から60年ほど前はまだ武蔵野の面影が残る田園地帯でした.ジオラマでは当時の畑や農家をイメージした景観を表現しています.
![](https://assets.st-note.com/img/1719118300222-1sdzqkVdWt.png?width=1200)
延長わずか2.2kmの砧線の終点である砧本村駅は,単線の線路が断ち切れた所にプラットホームが作られた簡素な駅でした.写真には写っていませんが,後ろ側にはわかもと製薬の大きな工場社屋が建っていました.壁が灰色でまわりには大きな建物がほとんど無かったので,電車を降りて前を見ると何か得体の知れない物体がそびえているという感じでした.とくに,雨天のどんよりした日には少し怖い感じさえしました.
![](https://assets.st-note.com/img/1719120071279-OMXAw2GM9B.jpg?width=1200)
ジオラマでは二子玉川園駅のほか,玉電と分かれて大きくカーブする砧線の線路,その向こうに存在する国分寺崖線の崖,その奥に広がる武蔵野の面影を残す瀬田付近の畑や農家.多摩川とそれに合流する野川を渡る砧線の線路,砧線の終点である砧本村駅の様子などをZゲージスケールでA4サイズにまとめました.実際の場所との関係を次の図にしましたのでご覧下さい.
![](https://assets.st-note.com/img/1719130033717-GYpSD2PdKd.jpg?width=1200)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?