魔法少女 まだが☆スカル

みなさんこんにちは。QuizKnock編集部の石田武蔵です。

記事のタイトルを見て「こいつ怪電波でも受信したんか?」と思われたかもしれませんが、至極真面目に記事を書いていますし、別に四足歩行の白い生物と契約したわけでもありません。

今回は「日常」について語りつつ、最終的に「自分は魔法少女かもしれない」ということに気づくまでを綴った、至って普通の記事です。


※なお、今回の記事では小説についてあれこれ考察や主張をしていますが、あくまで一般人の推測であり、必ずしもその内容が正しいとは限りません。


「日常」について思うこと

さて、みなさんは「日常の謎」というミステリのジャンルをご存知でしょうか?

ミステリ作品といえば、

殺人事件バーン!

→探偵登場!調査!

→謎は全て解けた!

みたいなのを想像する方も多いと思いますが、この「日常の謎」というジャンルにおいて、殺人事件なんぞ滅多に起きません。

探偵役が解決するのは日常のほんの些細な謎。

例えば「本来3つセットで提供されるはずのマカロンが1つ増えてる(『巴里マカロンの謎』米澤穂信)」とか、「本棚の上から3段目の雑誌だけ逆向きに並んでる(『午前零時のサンドリヨン』相沢沙呼)」とか、「鍵がないのに部室に入れてしまった(『氷菓』米澤穂信)」とか。

これを見るとシリアスさはあまり感じられないかもしれないし、『名探偵コナン』みたいな「事件が勝手にやってきて探偵が巻き込まれる」レベルの作品と比べると、むしろ「探偵が自ら謎を探しに行ってる」感すらあります。

その謎すらも、御涙頂戴みたいな「深い」ものじゃなくて、「牛乳をパックごとレンジでチンしてた」とか、解いてみれば「なんだ、こんなことか」と思うようなものも多いです。

それでも僕は読みやすいこのジャンルが好きで、ちょっと種類は偏ってるかもしれませんが、いろんな「日常の謎」を解き明かす作品を読んできました。見た目に反して読み応えも抜群です。

さて、そんな中で最近、この「日常の謎」の良いところをまたひとつ発見してしまいました。

それは、「本の帯のあおり文句が平凡」なことです。

最近の本の生存戦略

ここで質問を挟もうと思うのですが、みなさんは読む本をどうやって選びますか

大抵の人は「面白いと紹介されてたから」とか「最近話題だから」とか、すでに自分が知っているタイトルの中から読む本を選ぶんじゃないかと思っています。

(実際、SNSで紹介されたという理由で筒井康隆さんの『残像に口紅を』がこの令和にヒットするという現象も起きており、「口コミ」や「有名人による紹介」の強さは侮れないなと感じます)

そして、僕みたいな「この本面白そうだな、よし、買うか」と本屋さんで衝動買いをしまくる人間はそう多くないんじゃないかな、とも。

いわゆる「タイトル買い」や「ジャケ買い」自体は誰でもできますが、世の全ての本が自分の満足する作品ではない以上、どうしても「失敗」があり得てしまいます。

(そういう買い方で「アタリ」を引き続けるのは、よほど運のいい人か本を読みすぎた変人か、はたまた世の全ての本を愛している狂人だけだと思います)

それだったらハズレのない本を選ぶという行為自体は普通ですよね。

ましてや、「倍速動画再生」など「タイパ」や「コスパ」が過剰に大事にされる現代、「面白い」「話題になってる」小説は外す可能性が少なく、つまりはロスが少ないので選ばれがちなのかもしれません。

やや話はずれるのですが、「ライトノベルのタイトルがものすごく長い」という話もここに通じてくるのだと思います。

例えば長い名前ラノベのはしりである(と勝手に思っている)『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』とか、最近だと『VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた』とか、『魔王学院の不適合者 ~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~』とか、見るだけでも「非常に長いタイトルだな〜」と思われることでしょう。

しかし、これもおそらくはタイトルを長くすることで極限まで内容をわかりやすくして、新規の人に対して「僕はこんな小説ですよ〜怖くないですよ〜」と主張しているんだと思います。

確かに先ほどの作品のどれを見てもタイトルをみれば一発で内容がわかります。無駄に好みじゃない本を読むことが少なくなる訳です。

話は戻って、「本を外さない」方法についてのお話を続けましょう。

このように、たくさんの「ハズレ」を回避する方法があるわけなんですが、本の煽り文句もその大事な要素のひとつです。

想像して欲しいのですが、例えば、本屋で2冊の小説AとBが並んでいるとします。

Aにはタイトル以外特に何も書いておらず、もう片方のBの帯には「衝撃のラストに世界が騙された!」とか、知っている有名人の名前が出てたりとか、あまつさえ売り場のPOPに「店員も激推し!騙されたと思って読んでみて!」とか書いてあったら、ほとんどの人はBを選ぶのではないかと思います。

あなたはどちらを買いますか?

これも実に立派な生存戦略だとは思うのですが、僕はこうも思うわけです。

すなわち、「衝撃のラストって思いもしないところでやってくるから『衝撃』なのであって、予告された衝撃は別に衝撃ではないのでは?」と。

この間、『方舟』について書いた記事でも話したんですが、僕は「衝撃のラストが!」とか言われると「どうなったら一番衝撃的かな」とかあれこれメタ読みを始めてしまい、結果微妙に当たってラストシーンをあまり楽しめなかった……という経験があります。

事前予告されてから「ね?衝撃のラストでしょ?」と言われても……みたいな部分は、ちょっとだけあります。

それに比べて「日常の謎」は、衝撃の展開になったらそれはもう「日常の謎」たりえないので、あまりそのような展開にはならながちであり、結果として帯のコメントも、内容の意外性を述べた「ネタバレ」のようなものが少ないというわけです。

(たまに「小鳩くんを轢き、密室状況から消え失せた車はどこへ?:『冬季限定ボンボンショコラ事件』米澤穂信」とか不穏な帯はあります。まあ当該小説は「日常の謎」ではないかもですが)

生活感にあふれた内容で読みやすく、煽り文句は控えめでも読み応えたっぷり。「日常の謎」のなんと住み良いことでしょう。

とはいえ先ほどあげたタイトルからも分かる通り、別に僕も「日常の謎」の有名どころを読んでいるだけであって、「帯の魔力」に抗えない方々と変わらない存在なのかもしれませんが、個人的には変な読みを入れずに純粋に読むことができるのは「日常の謎」のひとつのメリットだな、と思うわけです。

そういえば、西尾維新さん原作の『めだかボックス』という漫画には与次郎次葉 (よじろうつぎは)という「自分を魔法少女だと思っている」不思議な中学生が出てくるのですが、単行本のおまけページでこんなことを言わされています。

「私も普通の中学生みたいな日常を送りたかったな(意訳)」

確かに、魔法少女は不幸な運命を背負わされて見たくないものを見させられ悲しみを乗り越えながらそれでも戦い続けるという(近年の作品に影響された悪い)イメージがあります。

到底「普通の日常」なんて送れたものではないので、「日常」に強い憧れがあるのでしょう。

翻って石田は、なんとなく小説の結末をメタ読みしてしまうという不幸な運命を背負わされ、「衝撃の結末!」とかいう見たくない本の帯を見せられて悲しみ(?)を乗り越えながらそれでも本を読み続けています。(最近『十戒』を買いました。読むのが楽しみです)


……もしかしたら僕、魔法少女かもしれない。


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