「耳かきボイス内のリスクある行動」に関するキモオタの回想

前置き

「耳かきボイス」と聞いて、あなた方は何を思うだろうか。「キモそう」と思うのではないだろうか。正解である。キモいのだ。

「耳かきボイス」を説明するにあたって、まず初めに「耳かき音声」について知っておく必要がある。「耳かき音声」とは、「耳かきされているときに聞こえてくる音」を再現した音声である。ゴリゴリという音がして、まるで自分が本当に耳かきされているような気分になる。

まだキモがるのは早計である。ここで「耳かきボイス」は「耳かき音声」に加え、声優による演劇が挿入されている。声優と聴き手に役が与えられて、ある時は「彼氏と彼女」またある時は「店員と客」、「軍人と捕虜」なんていう設定も存在し、そのうえで耳かきをする・されるシチュエーションが音声のみで繰り広げられている。ボイスドラマとか、ラジオドラマとか、そういう作品に似ている。

実は、この作品自体がキモいというわけではない。「耳かきボイス」には、台本や演技、「耳かき音声」の収録といった様々な難関を超えて世に出ている。耳かき音声の収録にはノウハウや雑音の少ない環境づくりが不可欠であるらしく、生半可の気持ちで始められるほど機材も安くない。もちろん真にキモいのは聴き手である。

聴き手は耳かきボイスを聴くことで癒し効果を得られるらしい。「耳の中には迷走神経なるものが走っており、そこを刺激されると心拍数が下がるなんて効果があるんだ」という説明を耳かきボイス中のセリフで聞くことがよくある。

しかし、聴き手が本質的に求めているものはそこだけではない。仮にそこだけを求めるならば、「誰かに耳かきをされる」というストーリーを必要としないだろう。(実際に耳かき音声のみが再生される作品も多々あり、そこにも確かな需要が存在する)

このストーリーが含んでいる「女性との良好な関係性」が、耳かきボイスにおいて、聴き手を何よりも満足させているのだ。かわいい女の子に耳かきされるシチュエーションと耳かき音声が合わさって、初めて気持ちいいのである。いくらか時間を頂いてしまったようだ。さあ存分にキモがるがいい。

かくして耳かきボイスは制作され、聴き手であるキモオタの耳に届けられる。しかし、耳かきボイスが聴き手を気持ちよくさせることができるか否かは、当然その内容に左右される。耳かきボイスにありがちないくつかのリスクある行動は、筆者であるキモオタの心を大いになぶり、癒しとは程遠い感情をもたらしてくる。今回はそんな行動の中のいくつかを紹介したい。


リスクある行動

・「痛くない?」と聞く

 耳かきボイス序盤に掻き手の女の子の「大丈夫?痛くない?...なら良かった」というセリフが登場することがある。このセリフによって気遣いのできる優しいキャラクターに耳かきをされている可能性を高めることができる。
 しかし、痛かった試しがない。音のみを聴いており、実際に耳かきをされているわけではないからだ。そこに”絶望”が存在する。
 このセリフを聴くと(あぁ...痛い訳ないのにな...)と思う。痛くもないし、耳かきもされていない。女の子に気を遣われておらず、無論存在もしていない。ただキモい男がイヤホンを差し、目をつむって横たわっている。これを"絶望"と書き"げんじつ"と読む。

・胸を押し付けてくる

 「ギューッ...」という声ののちに、「どうですか?○○(現役JKなどの設定が入る)の胸の感触は?」などというセリフを入れることで、胸を押し付けられたことを暗示してくる。このケースにおいても前述の”絶望”を感じるリスクがあるのだが、それ以前に(そんな体勢は可能なのか?)ときになってしまう。
 膝枕した状態で胸を相手の顔に押し付けるとなると、大きさにもよるが、かなりの猫背になる必要があるのではないだろうか。想像するとなんだか滑稽で、そっちに興味が持っていかれる。自然と目が開く。天井が見えてしまう。さっきまであったはずの、大きな胸がどこにも見えない。

・「弟くん」と呼んでくる

 姉ないし義理の姉に耳かきされるシチュエーションにおいて、「弟くんは~」という二人称が用いられる場合がある。もしくは「君」である。どことなくよそよそしさを感じてしまう。二人称としては自然に聞こえる「あんた」や「お前」を使用すると、掻き手のキャラクターにがさつさを感じさせてしまい、乱暴な耳かきを連想させてしまう。
 聴き手もまた、優しくて包容力の高い姉風の女性に耳かきされることを切望する傾向があり、耳かきボイスの制作者はそういったキモオタの心理を機敏に察知して作品に反映させている。
 「弟くん」という二人称には、作者が丁寧にくみ取ったキモオタの脂汗がよく染み込んでいる。「弟くん」と呼ばれると、緩みかけた口が一気に引き締まるのを感じる。

・生殺与奪の権を握る

 漫画『鬼滅の刃』に登場するあの水柱・富岡義勇をも激昂させるほどのことを、耳かきボイスは時としてやってのける。
 「もし私が今耳かきをずっと奥まで突っ込んだら、君の耳が二度と聴こえなくなっちゃうかもしれないよ?」と発言し、「なーんてね。冗談冗談」で締めるパターンが主流である。(「そう考えると私、なんだかゾクゾクしちゃう」と続くパターンもある)
 掻き手との信頼関係が成り立っている前提で耳かきをしてもらっている以上、冗談でもこれを言われたらおしまいである。冗談でも一種の脅迫に他ならず、脅迫者に耳かきをされたところで何一つ癒されることはない。耳かきそのものが冗談で、実は暗殺を目的としている可能性もありうるのだ。
 脅迫には毅然とした態度で臨むべきであり、脅迫を受けたら直ぐに掻き手の手を掴み、凶器を遠ざけながら身体を起こして絶縁する旨を正式に伝え、連絡先の抹消を互いに確認し、共通の友人にも絶縁の件を通達しておこう。
 実際に耳かきをされているなら上記の手順を踏む必要があるが、耳かきボイスを聴いている場合には、舌打ちしながらイヤホンを外してスマホをスリープモードにするだけでいい。身体をスマホがある場所とは反対の方向に向けてふて寝してみると、意外とよく眠れる。どうやら絶縁には快眠を促す効果があるらしい。

・自らを現役JKと称する

 「現役JKに耳かきをしてもらえる機会なんてそうそうないですよ?」「どうですかー?現役JKの生の太ももの感触は♡」などどいうセリフが耳かきボイス中に登場することがある。
 ここで筆者は問いを立てたい。「現役JKが耳かきをする際に自分が現役JKであることを主張するか」という問いである。さらに筆者はここで「否」という答えを選択したい。なぜなら高校生は生まれて初めて高校生をしているのであって、現役JKというブランド価値の真髄を理解することができないからだ。
 ちょっとセンチメンタルな気分の大人が、道行く高校生(男女ペアが望ましい)を見て己が学生時代の記憶を投影し、その儚さを偲ぶことではじめて青春が色づいてみえる。つまり思春期の尊さは、大人が定めるところにあるのだ。
 本節の始めに登場したセリフには、あたかも現役JKがそのブランドを十分に理解し、その価値を聴き手に啓蒙する意図が含まれているかのように感じる。ブランドを本当に理解しているのは作り手や聴き手であり、現役JKであってはならない。
 このセリフを使用する際には、「現役JK?ってやつ」という発音にするなど、現役JKがブランド価値についての自覚はないが話だけを聞き、背伸びして発言してる感が出る表現を確実に補足しておく必要がある。でないと聴き手は舌打ちをしながらイヤホンを外し、スマホをスリープモードにして身体を横に向けて眠ってしまうだろう。

まとめ

 ここまでリスクある行動を列挙していくことで、自分が耳かきボイスにおいて何を重視しているのか気付くことができた。それは「願望への没入感」である。

 人はだれしも、理想と現実の間に生きている。やりたいことがあるから努力し、欲しいものがあるから働く。惰性やしがらみなど、時間がたてば事態は複雑になっていくだろうが、原動力はシンプルなことが多い。少しでも理想に近づけようと、人は現実に働きかける。

 夢や希望、理想像と言えば聞こえはいいものの、妄想や願望、下心と実は同じ成分でできているように思う。エビフライのしっぽとゴキブリの羽の関係性によく似ている。言ってみれば、「夢だってキモい」のだ。夢の内容に社会性があるか否かで、周囲の人がそれを受け入れやすいかどうかが変わるだけだ。

 話を戻すが、耳かきボイスはこの広義の「夢」を満足させる役割を果たしている。作品の背景に掻き手の女性との良好な関係が示唆されている耳かきボイスを聴くことでシチュエーションに没頭し、(あえてシンプルに言えば)「モテたい」という願望を間接的に叶えることができる。耳かき音声による癒し効果と相乗して、安心感を獲得することに成功しているのだ。

 このメカニズムには一つの関門が存在している。この安心感が本物かどうかを決定する自分自身である。女性に耳かきをされている喜びに鼻の下を伸ばすと同時に、この喜びをもたらす根拠が妥当であるかどうか、「自分は今、本当に女性に耳かきをしてもらっているか否か」を厳しくテストしている自分が存在する。この採点者を説得しないことには、耳かきボイスによる安心感を受け入れることができないのだ。

 テストの答えは当然、「本当は女性に耳かきをしてもらってない」に辿り着く。しかしこの問題は、難関校の入試問題のように、結果と同時に過程を厳しく精査される。

 「目を閉じるとどう考えても女性に耳かきをされているが、イヤホン(またはヘッドホン)を装着しているため、耳かきをされているとすると矛盾が生じる。よって本当は女性に耳かきをされていない」

 採点者としての自分はこの模範解答の前半部分を特に重視している。「目を閉じるとどう考えても女性に耳かきをされている」事実を証明するのは作り手でも演者でもなく、聴き手自身なのである。

 この証明をするにあたって、耳かきボイスには「リアルさ」と「自然さ」を要求される。「耳かき音やキャラクターに説得力があること」や「シチュエーションとキャラクターの行動に整合が取れていること」とも言い換えることができる。上で列挙したリスクある行動が耳かきボイス中に行われると、問いに対して、「本当は女性に耳かきをしてもらってない」という部分のみが解答され、安心感を得るどころか虚無感を抱いてしまう。

 そのため、初めての耳かきボイスには十分な時間をとって集中を維持しながら耳を傾ける必要がある。どんな言葉をどんな調子で喋っているのか。その発言がキャラクターのどんな性格を表現しているのか。シチュエーションに沿った違和感のない行動原理がみられるか。。。など、証明終了するための材料を聞き逃すまいと、よくよく耳を澄まして聴いていなければならない。

 そんなときに、耳に息を吹きかけられる音を聞くと、すべての思考を吹き飛ばされたように感じる。筆者のだらしなく緩んだ顔が一番キモイ瞬間である。

 夢と妄想は、エビフライのしっぽとゴキブリの羽のように同じ成分でできていると前述した。筆者は普段エビフライのしっぽも必ず食べている。なかなかどうして、ゴキブリの味と触感も悪くないものだ。

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