盛り糞

タイトルを二度、三度見いたしますと、お食事中の方には全力土下座せざるを得ない今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。まるで、給料日のATMのような、そんな興味が自分にはあります。

地球規模で抱える深刻な疑問にどうしても、狂おしいほどに、寸止めを500回くらったかのように、残酷に、無慈悲になってしまいますが、一体全体どうしてこのように、刺されても気付かない蚊の赤子の針サイズの内容を月へと伸びる軌道エレベータの如く大きく誇張しているのか、先程した全力渾身の土下座の姿勢のままお話致しますと、こんな話し方がバズるからです。正確にいうと、バズるツイートは大体こうやって盛られてませんか?と問いたいのです。

実際はこんなこと思ってないし、土下座なんてやってないけど、盛った方が刺激的で気持ちがいいんです。気持ちがいい文章は中身をあんまり読まなくてもついつい、いいねボタンに指が伸びるものです。

うまい比喩は共感とかを呼べるので文章にふんだんに盛り込むと、伝わりやすい、分かりやすい文章になるので嬉しい、サービスの一貫でしょうか。

例えば

すごいウンコがでた

すごいウンコがドドドとでた

となり

ちょっと待って、今朝生涯経験したことのない史上最大級の腹痛がズゥワァァァッ!!って押し寄せて来て二度と開かなくてもいいくらい尻の穴に力を入れながら汗ダラダラでトイレに導かれたんだけど、入って下水道開発ミサイル射出準備を光より速くやって(実際全てが静止して見えた笑)いざ開門せんと心のケツ筋の閂を抜いたと思ったらズドン!ドドドドドド!!!って凄いのが出た!!!世界と自分の尻穴が一本のクソで繋がって、地球にバトンを渡しちゃった!!!

となります。

とかく話は盛りに盛れる。

まだいけるか…?

いくぞ!!

ちょ、ちょい待って!マジで!受け入れ難い現実!ニュゥゥゥゥゥストピィィィィッック!今朝、今朝ね?歴史変えたわ、変わった?の方が正しい。塗り替えられたわ。思えば昨日の夜から薄々と感じたね。ドクン、ドクンって感覚。「明日、お前は世界一になるぞ」そんな声すら聞こえてたかも。でも実際言って欲しかったわ。こんなことになるんなら。そして今朝よ。何気なかったわぁ〜。嵐の前?っていうか途方もない大事件の前はいつも以上に静かで平穏で、ホント何事もないことだけがある、って感じで生きてるつもりもないのに生きてる?みたいな?そんな雰囲気でモーニングルーティンやらしてもらってたんすわ。そしたらまずは、ピキィィィィィンて切味鋭い痛み。ん?ってなったね。だってあまりにも異常事態だし、ちゃんと知覚する前なら気のせいかな?って思うわけじゃん。刺されたり、撃たれたりした時もこんな感じなのかね?からの、ズキュゥゥゥゥンよ。体内全部の赤ランプがグルングルン回ってベルがジリリリリィて鳴って、なんかこう、トルネード的だった。着てる白シャツのへそあたりをガシッと掴まれて、ギュゥゥゥゥゥゥと絞り上げたみたいな?それがケツ門の開閉を操作するバルブとなって、溜まったブツを流出させようとしてる、みたいな?すっごいメカニカルに脱糞が促進される感覚を味わって、世界一になった。脱糞前腹痛としては前代未聞空前絶後史上最大で、え?お経みたい?確かに成仏しそうだったわ。身体の異常を知らせるために痛むわけじゃんか。にしては目的がピンポイントで、全部終わって考えてみたら興味深いね。「脱糞しろ。さすればこの痛みは解決する」ってスナイパーみたいに目標に照準合わせて、そのくせセミオートで撃ち込みまくってくんのな。それでもう現場の作業員としては目の前の大災害に応急措置するほかなくて、マジ想定外でマニュアル無いから、ゲートを内外から閉じる感じ?ケツの筋肉と尻ぶたをこう、右手でガッと捕まえるようにしてさ、なんで右手かっていうと、咄嗟だし、利き手だから。握力も強いし。もう彫刻よね。堪える人?必要な動きしかしてないから、きっと美しいんだね。そのまま動いた、アシモみたいに優しく、ひたむきに。覚えてるアシモのイメージで脳味噌をいっぱいにして、少しでも苦しみを忘れようとした。アシモもこんなことを考えていたのかな?辛さを知ってないと、こんな歩き方できないよね。でもロボットに感情なんてない。感情なんてものはホルモンが魅せる幻に過ぎない。ミッションを託されている。自分の中の多くの国民の命運を左右するミッション。これを成し遂げるまでは、一切のノイズを取り払わなければならない。全身をコントロールして、忠実にゴールを目指す。その後のことは考えない。幸い自宅で、トイレは使用可能だったから、目標地点に物資を投下するためにプログラムされたアンドロイドのように、与えられた命令をこなすことができた。ここからは速さ、疾さ?いやこれはもう早さの問題だ。いつも何気なく行っている脱糞プロセスを光を超えるスピードで行う。全てのものがゆっくり動く、便座が空い、たのか?パンツが脱げ、たのか?感覚を超越し、全てが勘で調節された至高の領域。自分は今、座っている。見慣れた壁。姿勢。ここで汗に塗れた自分の身体に気づいた。シャツどころか、太ももやふくらはぎまで湿り、各部の縮れ毛がベッタリと肌に這っている。ドッキング完了。よく、よく頑張った。役目を果たしたある昆虫の母親は、自らの体を子供たちに食べ物として捧げるという。今、一つの大きな役目を果たした自分の身体はかつてない脱力感にその身を委ね、最期の大仕事のために今まで頑強に守り抜いた城門を呆気なく開いた。感覚は、流れ落ちる鎖に近かった。まず端っこが重力に従って落下し、紐付いた鎖が落ちる。落ちた部分の重みの分だけ勢いが増した。実際の法則とは異なるだろうか。しかし、当事者の言葉、いかなる客観的事実よりも本人の口から出た実感が、時として重要視されることがある。腹の中が空になるのではないかと思うほど、一定の流れでそれは落ちた。それはまるで自分と地球とを繋ぐ一本の架け橋で、一本のケーブルで、自分の中の情報が世界にアップロード(ある意味ではダウンロードだけれど)されたような感触、ネットワークの一部になるって、凄い安心感だ。朝古くて冷たいものを飲んだだけで世界の一部になれたような気持ちになれるなんてマジ貴重な経験だったわ!!!こんなマジックが眠ってるって、神ってマジでいるのかもな!ケツ拭いて貰いてえな!!

個人的には一個前のやつの方がまとまってて好きだな。

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