【成長できる人、成長できない人】「基本を徹底する難しさ」を認められる人になろう

当たり前のことだからこそ、当たり前に出来てる自分でありたい。

誰しもがそう思ってるはず。

仕事で言えば、やりっぱなしにせず結果を確認してPDCAを回しましょうとか、目的と手段を混同しないとか、タスクはやりきろうとか、納期を守りましょうとか、嘘をつかないとか。

マーケティングならインサイトやペルソナやカスタマージャーニーやトリプルメディアへの理解と実践への落とし込み。

健康法でいえば、歯磨き、運動、食生活みたいなもの。これらは言われてみれば当たり前。ただ、「当然でしょう?」とも思えることすら、当たり前にきちんとすべて行えている人は少ないでしょう。




「当たり前のことを当たり前にできてる自分でありたい」。それを否定することができないのだろう。自己否定(素直な受容)は難しい。

また、「基本を徹底せよ」という言葉は、当たり前のことすら徹底できていない自分と直面することであり、受け手が自己否定できていなければ「そんなはずはない」とフィードバックを跳ね返す悪魔の力をもつことになる。

「私には能力がある。もっと難易度の高いテクニカルな指導がほしい。」「もっとチャレンジングで視座が高まるようなフィードバックがほしい」そんなふうに受け止めるかもしれない。



なぜこの世には、「当たり前を当たり前にする」と言われるのか。それは当たり前のことを当たり前にできている人が少ないからだろう。だから繰り返される。

皆が当たり前のことを当たり前にできていたら、こんな教訓は言い伝えられないはずだから。「息を吸ったら吐きましょう」とかないじゃん。当たり前にできてるから。

だから、先人は「基本を徹底せよ」とこの言葉を繰り返す。

しかし、受け取る側は「わたしは基本はできている。基本を徹底せよなんて、そんなレベルの指導は今の私には役立たない。」と解釈を進めてしまい、行動変容には結局つながらない。

基本すらできていなかった自分を認めることができるか。

冷徹な自己認識が、ありのままの自分を認めることが、成長の起点であり、成長の土壌だと思う。


(って偉そうに書いたけど、自分も毎週走りたいけどランニングできていない週があったり、ポテチ食べてお酒を飲みまくる日もある。)

(中学の卓球部のころは基礎練習とか回転に関する基礎的な知識を勉強するよりも、ペンの裏面打法というテクニカルな練習に力を注いでしまった。後悔。)

(出版準備も大変やで)



当たり前のことを当たり前にするってほんと難しいね…。でもそんな自分であることを素直に認められることが成長の第一ステップだから、甘んじて受け入れるのです。


コッカラッス!

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