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エウメネス頌

エウメネスはコミック「ヒストリエ」の主人公です。岩明均は「寄生獣」でも高く評価されましたが、これも抜群におもしろい。遅筆のためにストーリーが完結するかファンがやきもきしているのでも有名です。本論はエウメネスの生涯を概括しますので、一部ネタバレになることにご注意ください。

岩波文庫版のプルターク英雄伝(正式にはプルタルコス「対比列伝」)の8巻はエウメネスをとりあげています。同時代の一次資料のほとんどが失われているため、一次資料をもとに書かれたこの「プルターク英雄伝」が、エウメネスについてのもっともまとまった記述として知られています。

 エウメネスはアレクサンダー大王麾下の有力な将軍のひとりですが、智略にすぐれ信義にあついことで有名でした。大王死後にその後継を争った、いわゆるディアドコイ(後継者戦争)でも活躍します。エウメネスがほかの有力な将軍たちとおおきく違ったのは、彼のみがマケドニア人ではなかったことです。

すなわちエウメネスは、マケドニア人からみて外国人、異邦人の将軍でした。彼はカルディアという黒海ちかくのギリシャの植民都市出身でした。「ヒストリエ」ではスキタイ出身の設定ですが、それは空想だとしても、マケドニア貴族出身の将軍たちのなかで異彩をはなっていたことはまちがいありません。

マケドニア人を率いての外征ではとりあえず問題はありませんでした。むしろ彼の智略と武勇は賞賛されていました。しかしアレクサンダー死後の有力将軍同士の戦いでは、マケドニア人でないということが決定的な不利となります。敵はおろか味方からもしばしば反感や嫉妬のまなざしでみられたのです。

彼の軍事的才能というのは、おそらく栄達への野心をすてたところに息づいていたと思います。錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考えて、最良の一手を見いだすためには、真水のような澄明な心事をもつ必要があります。なにごとかにとらわれると物ごとの決断にあやまりをきたしがちになります。

私欲とか私怨といったものはその際たるものでしょう。エウメネスにはそれがありませんでした。望むと望むにかかわらず、ディアドコイにまきこまれざるを得ないエウメネスは、なによりもまず勝たなければなりません。勝たなければアレクサンダー死後のこの戦乱を生き抜くことができません。

しかし平凡に勝ってはプライド高いマケドニア人は引き下がらないため、あざやかな勝ちをおさめねばなりません。ところがめだつほどに勝てばあいての名誉やプライドを奪ってしまい、さらに深いうらみを買います。ところがこのむずかしい状況下でもエウメネスには悲壮感というものが感じられません。

このなかで智略と策謀のかぎりをつくして勝ちぬくことを、むしろ楽しんでいたようにみえます。富や栄達を積極的にもとめているわけでない。さまざまな困難な条件のなかで、どのような手で苦境をぬけて勝利にいたるかに自分の能力のすべてをつくします。まるでチェスを楽しんでいるかのごとくです。

エウメネスの最初の戦いのあいてはクラテロスでした。クラテロスも「ヒストリエ」のなかにすでに登場しましたね。貴族出身の将軍のなかでは抜群の将才をもちながら、フィリッポス大王の時代は、その大王と反りがあわず、「王の左手」の地位をエウメネスにゆずることになります。

アレキサンダー大王の代になって重用され、東征では副将格で働きます。大王の死後はマケドニア人の声望と人気を一手に集めたため、マケドニア人の兵士をひきいて戦わなければならないエウメネスにとっては、きわめて戦いにくいあいてといえました。

会戦にあたってエウメネスは、兵士たちに敵軍の将軍がクラテロスであることをかくし、自軍の最前列にはクラテロスのことをしらない外人の傭兵部隊をならべました。マケドニア兵がクラテロスに相対して、戦いを放棄したり自軍を裏切ることを防ぐためでした。

斃された敵軍の将軍の顔をみてはじめてクラテロスと知ったエウメネス軍のマケドニア兵のは怒り狂いますが、このヘレスポントスの戦いのあざやかな勝利がくつがえることはありませんでした。 しかしこの勝利は多くのマケドニア人の反感を招き、エウメネスのその後の運命に陰さすことになります。

後ろ盾であった摂政のペルディッカスが非業の死にたおれると、徐々においつめられていきます。このときエウメネスは部隊をひきいる部下の将校たちに、戦争準備のためと称して莫大な借金をしますが、これは同時に部下の裏切りを防ぐ対策でした。エウメネスが負ければ借金がもどらなくなるためです。

エウメネスの冬営地が圧倒的多数のアンティゴノス軍に包囲されると,エウメネスは二度にわたって会戦に打ってで,いずれの戦いにも善戦します(一般には引き分けとされますが、被害の多寡からエウメネスの勝利ともされる)。なお余力を残すエウメネスは、完全勝利をめざして最後の決戦の準備をします。

エウメネスの冬営地が圧倒的多数のアンティゴノス軍に包囲されると,エウメネスは二度にわたって会戦に打ってで,いずれの戦いにも善戦します(一般には引き分けとされますが、被害の多寡からエウメネスの勝利ともされる)。なお余力を残すエウメネスは、完全勝利をめざして最後の決戦の準備をします。

ところがそのとき後方の輜重隊がアンティゴノス軍におそわれ、将校たちの家族が人質になる事件が発生します(当時は戦場に家族を連れて歩いたようです)。自分の妻の身を心配する将校たちは、仲間と示しあわせてエウメネスを裏切り、彼を捕縛してそのままアンティゴノスに投降するのでした。

おなじアレクサンダー大王につかえた将軍仲間であり、個人的には親友同士でもあったエウメネスを、アンティゴノスはなんとか助命しようとします。しかし、クラテロスの一件を許すことのできないマケドニア人兵士たちは処刑を叫び、結局、アンティゴノスの知らないところで勝手に殺害してしまいました。

これがエウメネスの最期となります。ディアドコイの最終的な勝者は、結局このアンティゴノスでした。彼はのちに旧王朝を廃し、アンティゴノス朝マケドニアを創始してみずから初代王となるのです。

「ヒストリエ」を読みなおすと、クラテロスやペルディッカスがはじめて登場するときに、すでにこのディアドコイでの戦いを想定していくつかの伏線がはられているのに気がつきます。史実ではアンティゴノスはエウメネスの旧友とされますが、「ヒストリエ」ではそういった人物は見当たりません。

ところがカルディアにフィリッポス大王みずからが潜入し、はじめてエウメネスと邂逅したときの偽名ががアンティゴノスでした。ボディガードの役だった剣の達人がメナンドロスであり、ディアドコイのなかのガビエネの戦いでは、この人物はアンティゴノスの部下の武将のひとりとして記録されています。

最後にエウメネスをたおした将軍アンティゴノスとは、「ヒストリエ」ではフィリッポス大王そのものになのかもしれませんね。フィリッポス大王暗殺の史実をどう解釈するのか興味深いところですが、アンティゴノスとして生まれかわって再度登場するのかもしれません。

プルタルコスによる「対比列伝」のエウメネス伝の3分の2は、アンティゴノスとの最後の2度の戦いの記述にさかれています。この2度の戦いはぎりぎり引き分けといったところであり、常に「あざやさな勝ち」が求められるエウメネスにとってはきびしい結果だったといえます。

有力な部下の裏切りがあいつぎ、アンティゴノスの大軍にじわじわと追いつめられていきます。しかしこのきびしい条件においても、戦争の天才であったこの異邦人は、最後の最後の局面までその溌剌さをうしなうことがありませんでした。

この対比列伝では、エウメネスの生涯の描写の3分の2をこの戦いにさいたということから、プルタルコスは彼のどこに関心をもっていたのかがよくわかります。異邦人として異なる文化のなかに身をおくことは、その人間のおいなる強みですが、ときによっては屈託を秘めなければならないこともあります。

しかしエウメネスはなにごとにもとらわれることなく颯爽と身を処していく。それはまた後代のローマ人がエウメネスに感じとった魅力でした。それはまた、プルタルコスや岩明均をとおして現代のわれわれをも惹きつけてやまないところなのでしょう。

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