「疾風の勇人」論
大和田秀樹「疾風の勇人」は,2016-2017年に「週刊モーニング」に連載された,池田勇人元首相を主人公にしたマンガです.「第三章」「第四章」も予定されていましたが,2017年に「第二章」が終わったところで突然休載となって,いまのところ再開の見込みはありません.
当時首相だった安倍晋三の祖父である岸信介が敵役として,妖怪然とした姿で登場していきたため,連載打ち切りには政治的な圧力があったのではないかと当時うわさされましたが,真偽はさだかではありません.大和田秀樹は,登場人物のひとりであった田中角栄を主人公にしたマンガ「角栄に花束を」を2019年より「ヤングチャンピオン」に載せ,いまも連載中です.
池田勇人は「宏池会」の祖であり,現宏池会のトップである岸田文雄現首相が連載当時のファンであったことは有名な話です.この「疾風の勇人論」は,休載になる直前の2017年のタイミングで書かれたもので,事実関係はやや旧になっていますが,このまま埋もれさせてしまうのはすこしもったいないと思ったので,発掘してここに載せた次第です.
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モーニング連載「疾風の勇人」が突然打ちきりになるそうです。いまいちばん注目すべきべきマンガでした。なんらかの圧力がかかったとのうわさもあります。たまたま昨日書評を書いたのでそのまま続けて以下に引用します。
週刊モーニング連載「疾風の隼人」がおもしろくて目がはなせません。うかつにも最近ようやく気がついたのですが、このマンガの真の意図は、いまの安倍政権にたいする批判であり、右傾化しつつある現状にたいするアンチテーゼだろうということです。
物語は佳境にはいり、策士三木武吉の暗躍により吉田茂の不信任案可決、そして内閣総辞職に追い込まれたところまでです。主人公の池田勇人が政治の一線で大活躍するのはまさにこれからです。現代史、それも実在の政治家を配して現代政治を書きあげたマンガは、さいとうたかおの「小説吉田学校」の劇画化(1988)をのぞけば、はじめてのことだと思います。
一時期、戦前戦後史に凝った時期があって、いろいろ読みこんでいたのでわかるのですが、ストーリーやエピソードもだいたい史実にそった内容になっています。しかし最初にこの政治マンガの連載がはじまったときは、正直愕然としました。
70年代、80年代に思想形成したわたしにとって、吉田茂にはじまるいわゆる保守本流は「悪」であり、日本の保守的伝統からの解放をもとめる左派の思想こそがアプリオリに正しいものでした。だから、吉田学校バンザイ、所得倍増バンザイといった主張はナンセンスなのです。
若者にマンガでそういったイデオロギーを刷りこもうとするのでしたら噴飯ものですが、しかしもうそういった時代でないことはあきらかですね。左右の二項対立的な発想からはだいぶ前に脱していたつもりでしたが。登場人物の性格設定は極端で、善玉と悪玉がほぼきれいにわかれています。
在任中の吉田茂はワンマンとよばれて不人気でしたが、吉田の死後は一転してマスコミやアカデミアから礼賛されるようになりました。吉田や「吉田学校」の弟子たちは、アメリカの圧力に抗して軍拡を値切り、経済合理主義的な平和外交を展開し、現在の繁栄と安定の礎を築いたという評価です
これが吉田ドクトリンとよばれるものであり、いわゆる保守リベラルともいわれる路線となります。それにたいして、左翼の代表として唯一マンガにでてくるのは社会党の浅沼稲次郎ですが、いつもカツ丼ばかり食っている大食漢といった滑稽なキャラクターとして描写されています。
一方、公職追放の鳩山一郎、東條内閣の閣僚でA級戦犯の岸信介の政界復帰は、あたかも魔物の復活のようにおどろおどろしく描かれています。実際に吉田首相を追い落とすことになったのはこのふたりであり、その後につづく鳩山、岸内閣によって日本はおおきく右旋回することになります。
鳩山・岸派は福田赳夫の清和会に引きつがれ、その裔が小泉純一郎や安倍晋三ということになります。以前はよくタカ派といわれた面々ですね。安倍はまた岸の実の孫でもあります。そういえば最近、しわの増えてきた安倍の顔は岸にずいぶん似てきたような気がします。
一方、吉田派は池田派と佐藤派にわかれ、池田派は宏池会となりますが、現在は三つに分かれているようです。佐藤派はその後田中角栄が多数派をにぎって木曜クラブに衣替えとなり、その後ながく主流派となりますが、いずれも経済、外交的にはハト派的な思想を根幹としてきました。
「疾風の勇人」の作者、あるいはかくれた原作者は、池田のような政治家がふたたび日本にあらわれることを願っているのでしょう。鳩山・岸の両内閣で右旋回した政治を軌道修正して、その後の日本の経済繁栄をもたらした、吉田学校の一番弟子であった池田のようなリアリストをです。
改憲をめざす現在の右翼的な政治に対抗できるのは、社民的な革新イデオロギーではなく、保守本流がとってきた現実的な保守リベラルの思想というわけなのでしょう。確かにそうかもしれません。ただわたしは、保守リベラルの護憲主義に過大な期待をよせすぎるのは要注意と思っています。
かつてリアリズム政治、リアリズム外交の精華として評価された吉田ドクトリンでしたが、吉田回顧録や宮沢秘録といったこれまでの記録だけでなく、芦田日記とか、公開がはじまった日米の外交文書などの新資料をみると、実は吉田ドクトリンの虚像の部分が明るみにされつつあります。
左右両勢力の対立を尻目に、経済成長それ一点だけで政治を進めた池田の事跡に注目が集まって、マンガの主人公にまでなったのは、脱イデオロギーの時代である現代だからこそでしょう。東京オリンピックがおこなわれるのも符号いたします。
たかがマンガです。それでもなおここまで考えさせられるというのは、マンガの表現の幅が広がった結果でもあり、表現形態としての成熟をあらわすものなのでしょう。そういったことにも不思議に感動しています。
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