現時点からふりかえるPCR全員検査の無意味さ

PCR検査の議論はコロナ初期にもっとも紛糾しました.とにかく検査を拡大し可能ならば全員検査をという意見と,有症状者を対象とすべきという立場の対立でした.流行当初は検査数が足りていないのは事実でしたが,専門家会議をはじめ信頼に足る専門家や医師のだれもが全員検査を推奨していませんでした.

流行初期は検査体制の問題もあって医学的なニーズを満たさず,いっそうの検査拡充の必要性は認めたうえで,それでも全員PCRを肯定的に論じた専門家はほとんどいなかったという意味です.しかし一般には未知の感染症への不安もあり,マスコミの一部が全員検査を声高に主張し扇動する形になりました.

コロナを疑わせる症状があり,医師が必要と判断としたときに検査するというのはあらゆる医療の基本です.さらに無症状であっても濃厚接触歴などで事前確率が高いときも検査をおこなう.しかしそれ以上に全員スクリーニングを徹底すべきだというのは,非臨床の研究者もふくめあちこちから主張されました.

スクリーニングして陽性者を徹底隔離するというのは,素人目には一見有効な手立てに思えます.とくに中国では武漢を3か月ロックダウンしてパンデミックを抑えたという成功体験があってか,政府が専門家の反対をおしきって全員PCRと隔離の方針をとにかく徹底し,一度はコロナ終息を全世界に宣言しました.

中国のその後の体たらくは周知のとおりです.しかし日本でも専門家が全例PCRの無意味さや,むしろ権利侵害をおこしたり逆に感染を拡大させるデメリットがあることを国民にきちんと納得させられませんでした.いまでも公費でPCRを提供し,インフルのときと同じ「陰性証明」をだしています.反省点です.

PCRの感度特異度の話は全例検査の臨床的限界を説明するためにEBMの診断理論を援用したもので,基礎研究者の一部が測定感度と混同して反論してきましたが,あくまでも臨床診断の話です.病原体が同定されなくても感染があきらかだったり,病原体が存在しても健康であったりするのは臨床ではふつうです.

検査そのものは適切であっても,何十万人を対象とすれば検体が適切に採取されなかったりコンタミがおきたり,報告が混乱することは当然おきます.臨床的にはそういったこともすべてふくめての感度特異度ということになります.また中国でしばしばおきたように検査の列でクラスターが生じたりします.

PCR全員スクリーニングが実現しなかったのは結果的には幸いでした.しかし医療者の側にも反省点はあります.「検査の拡大は医療崩壊をひきおこす」という論調が一部にありましたが,これはロジックとしてまちがいでないにしても,不安でパニックに陥っているひとには適切でなかったような気がします.

検査で不安を解消してほしいというひとには医療体制など関係ありません.医療の維持だけを考える独善的主張にしか聞こえなかったはずです.医学的に必要なPCR体制を全力で整えつつもうすこしだけ待ってほしいと国民に伝えること,メディアには検査は医学的適応によると地道に説明すべきだったでしょう.

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