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海堂尊「ジーン・ワルツ」から羊水検査を求められたときのやりとり

海堂尊「ジーン・ワルツ」より。産婦人科医の主人公・理恵が、35歳の妊婦から羊水検査を求められたときのやりとりです。

「甘利さんは、その後のことをお考えになっていますか?」

「後のこと?」

「異常が見つかったあとはどうなさるか、ということです。それを決めてからではないと、そうした検査は害悪ですらあると思います」

「そうでしょうか? 事前に異常がわかれば、心の準備ができるわ」

「事前準備だけが目的でしたら、羊水検査は必要でありません。異常児を堕胎したい、というのあれば行う価値はありますけど」

「まさか、そんなつもりでお尋ねしたのではありません」

「でしたら羊水検査は百害あって一利なしです。胎児がダメージを受ける可能性も、ゼロではないんですから」

理恵はこのように言って妊婦の羊水検査の求めを断わります。話しかたは、カウンセリングにはほど遠い一方的なもの言いですし、産科医はまず使わないような用語がでてきて違和感もありますが、しかし、言っている内容には共感する部分が多いと思いました。

実はこの問題については、遺伝の専門家のあいだでも意見が、あるいはカウンセリング内容がわかれるところです。すなわち羊水検査を受けるまえに、もし異常がわかったときにどうするか、それをキッチリと考えておかなければならないかどうかという問題です。もっとはっきり言えば、主人公の理恵が言っているように、異常がわかったら選択的中絶を選ぶという覚悟がなく、ただ安心したいという動機で羊水検査を受けることは、「百害あって一利なし」であるかということです。

検査の結果によってカップルが自己決定をおこなう、NIPTも羊水検査も選択的中絶を前提とした検査ではない、というのが建前となっています。また「事前準備のため」とか「結果がでてからよく考える」というのもよく聞かれる言いかたです。しかし単なる安心のために検査を受けて、もし陽性だったときに、じゅうぶんに考え、ふたりで相談し、満足のいく自己決定ができるかというと、それはほぼ絶望的だろうと思います。

羊水検査を受けるまえに、ふたりで徹底して考え相談し、もし染色体疾患があったならば、そのときは残念ながら妊娠をあきらめる決意をした者のみが、この検査を受けるべきだろうと思います。もちろんどんなカップルでも、こどもに何の異常もなく生まれてくることを望まないひとはいません。しかしもし染色体疾患があったとき、それでも授かった子なのだから、そのときはなんとかふたりで育てていこうと考えることのできるひとは、はじめからこの検査は受けるべきではありません。それは事前に心の準備をするということとは異次元のことです。

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