「バンカラ」論
夏目漱石「彼岸過迄」のなかに「蛮殻(バンカラ)」ということばが何回かでてきます.1912年にでた小説であり,そのころには「バンカラ」がすでに人口に膾炙されていたようです.周知のとおり「バンカラ」とは,戦前の一高をはじめとした旧制高等学校の一部で流行したスタイルです.
バンカラは「ハイカラ」にたいしてつくられた語で,粗末な衣装を恥じることなく,むしろ「表面の姿形に惑わされず真理を追究する」という姿勢を表現したものとされます.当時の旧制一高は地方出身者の割合が高く,各地方から選ばれてきたという強烈なエリート意識が背景にあったのではないかと思います.
地方出身者が東京にでてきたときの経済的,文化的コンプレックスが反転して,外見ではなく内面的な価値を過剰に強調するようになったのかもしれません.加藤周一は「羊の歌」に,「一高の学生たちは,天下国家を,現に自分たちに属していないとしても,やがて属すべきものと考えていた」と書きました.
当時は(もしかするといまも),そういった「天下国家」の中枢にやがては参画するという強い自負心が,一時的なモラトリアムである旧制高校時代に,バンカラというスタイルを生みだしたものと思われます.しかしそういった「選良意識」というのは,当然のことながら社会のなかの非選良のひとたちの存在を前提としています.
そしてそれは,たえず周囲の非選良を意識し見下す態度につながります.旧制一高の有名な寮歌「栄華の巷」(1902)に,「栄華の巷低く見て 五寮の健児意気高し」と歌われるように,非選良者がうずまく巷を低く見るのです.バンカラを声高に主張し実践するのは,そういった強烈な選良意識,エリート意識の裏返しでした.
ウィキペディアの「バンカラ」の項には,「東北地方の高等学校の一部.岩手県には現在もバンカラの風習が残されており,盛岡一高や水沢高校などが特に著名である」という記述があって思わず苦笑しました.わたしも東北地方の某高校の出身者ですが,ご多分にもれずうちもバンカラの校風を誇ってました.
いまどきバンカラといっても多くのひとには実感がなく,なぜあらためてことあげしているのかピンとこないかもしれません.いまでも田舎の一部に残っているそういったバンカラは,一種の選良意識の裏返しなわけです.旧制一高に東京にたいする地方出身者があったように,地方の高校にも地元にたいする県内のさらに地方出身者が存在します.
「天下国家」ではなく,せいぜい県政財界とスケールダウンが著しい(苦笑)わけですが,「選良意識」にはかわりないでしょう.実際,昔の流行であったバンカラはどんどん形骸化が進み,とくに戦後,衣服の質と量が向上するにおよび,もはや着古しによって自然にできた弊衣破帽など望むべくもありません.
わざと衣服を傷めたりよごしたり,わざわざ古着をさがして着用することがふつうとなりました.これはダメージジーンズを着たり,ビンテージを高額で購入するのとおなじレベルの行為であり,結局バンカラも田舎にみられる服飾流行にすぎなくなってしまいました.周囲の意識もいまやほとんどコスプレです.
マイナーな話題にもかかわらず,こういった伝統とやらにに多少なりとも苦言めいたことを書いたのは,多くのひとが甘いノスタルジアを感じているからです.仙台二高につづき,今年になって仙台一高,盛岡一高で女子校生の応援団長が誕生したというローカルニュースをみました.
仙台一高応援団、バンカラ守る女子団長 「伝統」の門戸開く | 河北新報オンライン (kahoku.news)
「バンカラ」と呼びならわされている意匠は,実は戦前から温存されている心理構造,たとえば選良意識とか性差別といった因循姑息な習慣にすぎません.女性応援団長の誕生は女性の地位の向上ではないし,男女差別の解消でもありません.こういったニュースに郷愁とか美談を感じるとすればまちがいです.
もし現役の在校生が読んでいたらひとこと.バンカラに違和感を感じたらそのように声をあげてかまわない.応援歌練習など拒否してもサボってもかまわない.「伝統」とことごとしく強調される時代とは,すでにその精神は死んだ時代なのであり,なにも無理をして外形だけまねさせられる必要はない.
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