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話題のDJ SODAさんの事件を参考に考える「責任」とは

まず、DJ SODAさんを「DJ」とし加害者とされている者を「客」とする。
さて、この事件の概要を端的に述べると、「DJのパフォーマンス中にDJが胸を強調する露出度の高い恰好で、盛り上げるために客に近づいていき、客を煽ったところ、客がDJの胸などを強く触った」というものであると認識している。

現状は様々な意見が飛び交っているが、法的見解は客にわいせつ罪が成立する可能性があるというのが趨勢に思える。DJ側も自己の正当性に強気の姿勢が報道されている。

仮に裁判所による判決が下り客のわいせつ罪が確定した場合に、客が負う責任を「法的責任」という。

では、なぜ単に「責任」と呼ばず「法的責任」と呼ぶのだろうか?
それは、法律に事件を当てはめた場合には客が責任を負うということであり、あくまで限定的なものであることを示し、これを理由に全責任が客に及ぶというわけではないことを意味しているのではなかろうか。

この事件の概要を抽象化して書き直すと、「DJが自らの肉体を使った表現を商品とした商売により客を集めて客を盛り上げるために煽ったところ、それに応じた客は提供された商品に触れて盛り上がった」であろうか。

さらに抽象化を強めれば、「DJ自らが提供した商品に客が応じた」である。

これをみると正に自業自得そのものに思える。
もしもこの事件に何か問題があるというのならば、それはDJにも少なからず非があるのではないだろうか。
というより、DJの目的が果たされている脈絡になるので、客に不満を向けるという結論は非常に不自然に思えるところなのである。

つまり、相手に法的責任を負わせたことを理由に、自分に責任が無かったことを証明することはできず、道義的責任は生じるということである。

補足として、反日活動やら日常のわいせつ行為と混同した話などは本件の本質とは全く関係が無く、論点がズレているのでノイズにしかなっていないように思える。

ではでは!
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