見出し画像

ザ 夫婦喧嘩道

ふと思った。
自分は夫婦喧嘩評論家と名乗れるのではないか?と。

需要はあるか?多分あるだろう。
いやきっとあるに違いない。
今、日本では毎年約20万組が離婚しているという。
そもそも生まれも育ちも経験も何もかも違う二人が夫婦になるのである。
意見の食い違いや考え方の相違はあって当然である。
自分の経験からいって、その食い違いや相違からのちょっとした争いなどは、どの夫婦にとっても日常茶飯事であろう。
そしてその日常茶飯事的に繰り広げられる夫婦喧嘩のモヤモヤが雪だるま式に膨れ上がって、「あ〜もう我慢できないっ」ってなったなれの果ての離婚ってのがかなりの割合を占めてるんでないかと思われる。
ということは、その日常茶飯事的である夫婦喧嘩をいかに上手くやり過ごすかが、年間20万件の離婚を削減し、日本に更なる平和と幸せをもたらすポイントになるだろうと強く言いたいのであ〜る(キリッ)。

では実際に活動していくとして
どういう肩書きでいくかの問題が生じてくる。

専門家だと理論的な専門的知識が求められたりすると
ちょっとキツい。
そもそも夫婦喧嘩なんて、専門的知識を身につける程に極めたいものでもない。
そんなものの専門知識を私は持っているんですよなんて公言する程の人生の冒険家になんてなりたくも無い。
名乗った段階で口封じの為の命の危険性が生じてくる可能性もないとは言い切れないだろう。
ただ、評論家ならひょっとしていけるんじゃないかというそこはかとない気持ちはある。
そう、大人のアンニュイさが必要な時もあるんだ。

そもそも"評論"家なので評論すれば良い訳である。
朝のワイドショーの評論家のソレだ。
彼らは放送直前に資料を渡された感いっぱいで評論している。
専門知識を求められているので無く、出来事や事件と世間との橋渡し的役割のスピーカーだ。
発言に重い責任がある訳でない。
深い専門知識なんて特に不要だ。
ただ世間の代表意見、世論の入り口として深過ぎない知識を発言する事が必要とされるポジションだ。
誤解しないで欲しい。
決して彼らを非難している訳では無い。
彼らは今の社会に置いて、とても重要な役割を担っている。
そしてそれなら自分にもできる気がする。

妻とは2001年に結婚をした。
数え年でいうと22歳。
もはや立派な成人だ。
1年365日で計算して
共に過ごした日数は約8,000日、
時間にすると19万2000時間だ。
計算したら気が遠くなってくるが
間違いなくこれだけの時間を共に過ごしている。

妻とボクとはことごとく正反対だ。
水と油、左翼と右翼、安いと高い
ポジティブとネガティヴ等々
この世に存在する全ての反対語が
当てはまるんではないかと
思うくらいに正反対だ。

ご想像通りに、
そんな関係なんで
あらゆる事に於いてビックリする位に意見が食い違う。
右と言えば左、和食と言えば洋食
あっさりと言えばこってり、
肉と言えば魚、蕎麦と言えばうどん
心配だと言えば大丈夫 だ。

ただちょっと良い所があるとすれば
たまにちょっとニアピンするだけで
もの凄くわかり合えた気がしてくる。
例えばお饅頭とケーキの違いがあったとしても
同じ甘いものというだけで
「お〜っめっちゃ気が合うね〜」ってな雰囲気に
なってくるってコトだ。
側から見たら「ちょっとヤベ〜な」って位の
最大公約数ぶりだ。

ただ、それだけ正反対の人間が一緒にいるとしたら
そうそう平和でいられる筈ないよねっ
ていう、皆さんのお察しの通りに
ちょっとした小競り合いも含めての
夫婦喧嘩の数は天文学的回数になる。

体感としては2日に1回。
そうすると何と4,000回..途方に暮れる回数だ。
あの"燃える闘魂アントニオ猪木"でも生涯試合数はこんなにないだろう。
もはや燃えカスだ。
1週間に1回としても1,140回、
水戸黄門の放送回数が1,227話なので
週一だとかろうじて下回るが
体感の2日に一回だと
サザエさんの2,600話も遥かに
上回る恐ろしいまでの回数だ。
サザエさんをも凌ぐ、国民的存在になり得る位の
経験を積んできていると言うコトだ。
夫婦喧嘩道なるものがあったとしたらひょっとして国民栄誉賞も狙えちゃうんじゃないかなんていう経験値だ。
夫婦喧嘩は犬も食わないというが、
逆に言うと犬も食わないと喩えられる程に
楽しくも美味くもないものをよくぞここまで
続けるコトが出来たってコトだ。
偉い..偉すぎる。

最初に断っておくが、
ここでは別に自分ちの夫婦喧嘩に
白黒つけたくて書いてる訳では無い。
それをネタに喧嘩のゴングなんてもっての他だ。
だから喧嘩の原因をあげつらう気は毛頭ない。

ただ言えることは
これだけの回数を重ねられるという事は
原因のほとんどが些細な事やどうでもいい事
であるというコトだ。
逆にいうとこれだけの数の夫婦喧嘩が深刻な理由である様な深刻な人生なんて送りたくないとも言える。

そして、些細な理由での喧嘩を繰り返し続ける経験値が
これだけ上がってくると自然と対策も身についてくる。
目が合っただけで喧嘩になる田舎のヤンキー対策みたいなもんである。
自分が犬だとしたら、お腹の見せ方である。
ボク喧嘩する気ないからねーって、寝転んで腹を見せるアレである。
それを如何にさりげなく無理なく、どっちが上下かのマウントでなく対等さを保ちつつ出来るかが大変重要なのである。

それでは
評論家てして、責任なしにそしてお気軽に
夫婦喧嘩業界と世間との橋渡しとして
まとめていきたいと思う。

まずは重要なのはファイティングスタイルである。
この闘いに自分はどういう立ち位置で望むかである。
古くはアントニオ猪木vsストロング小林、最近でいうと那須川天心vs武尊の様な人生をかけた闘いなのかどーかである。
人生をかけた闘いであるならば、夫婦喧嘩評論家の出番はあるまい。
「効率的な一言でメンタル破壊する方法」や「いやなアイツを言いくるめる方法」等、闘いに勝つ為の専門書を活用して頂くコトをお薦めする。
私は何と言っても専門家でなく評論家である。

では夫婦喧嘩評論家として「出番が来たかっ」という
ファイティングスタイルとは何かというと
原因シンプル&怒りの軽〜いヤツである。
犬も食わないって言われる類いのソレである。
「この牛丼に私は一味を入れたかったのに、何故あなたは七味をいれるのかっ」ってヤツである。
そこに人生をかける人がいたら、それはそれでヤベ〜ってヤツである。
それを前提に話を進めていこう。


対策としては以下の通りである。
1.笑いに変える
2.笑いに持っていく
3.寝たふりをする
4.他の事に集中しているふりをする
5.即あやまる
6.ギックリ腰になる
大きく分けてみるとこんな感じだろう。
そして更に言うならば、この位の数のバリエーションを保ちつつ前回は何を使ったか、相手の怒りの程度はどの位かで使い分けていくって言う事が重要である。

では1つずつ深掘りしていこう。

1.笑いに変える
一番ベーシックな対策がこれだろう。
相手の言葉を受けた上で笑いに変えていく手法である。
これだと一度言葉を受けているので、相手にとっても聞いて貰えたというある種の満足度も伴った手法の為、ある意味万能である。
この対応はあらゆる人が身に付けるべき手法と言える。

2.笑いに持っていく
先の笑いに変えるが一度言葉を受けた上での切り返しなのに対して、笑いに持っていくは言葉を聞いてないていで受け流した上で笑いに持っていく手法である。
怒りは軽いが後々は大きな火種になる様な案件に対して、後で聞いてなかったとの言い返しが出来る事が利点である。

3.寝たふりをする
これは前後のシチュエーションが非常に重要になってくる。寝たふりなので、そもそも寝てるかもしれないという環境下でなければ使えない。
ただし環境が整っている場に置いては、ある意味万能な効果を発揮する対策と言える。

4.他の事に集中しているふりをする
寝たふりをするの応用版である。寝たふりの環境は整っていないけど、一旦間を置きたい様な状況の時に使える対策である。これには考え事も含まれるので「仕事の事を考えていた..」とも使えるし、技術を習得すると「次の休みに皆で美味しいもの食べに行きたいなって考えていた」等のマイナスを即プラスに転嫁できる様な強力な使い方もできる様になるだろう。

5.即あやまる
相手の怒りが比較的大きく4までの対策が機能しないと判断できる時に有益である。
注意すべきは相手の言葉を受けてから謝るまでの時間である。
理想は3秒とされている。
それ以下だと聞いていない上に「とりあえず謝ればいっか」様な印象だし、それ以上だと言い訳を言おうとしたがあきらめて謝ったかの様な印象を受けてしまう。
慣れない内は、頭の中で3秒数えた上で謝るのが良いだろう。
ただしその際に3秒を声に出して数えてしまうのは火に油を注ぐ事になりかねないので絶対に禁止である。

6.ギックリ腰になる
6つある対策の中で最も事前の種まきや技術習得が必要な対策だが、一旦身につけてしまえば最も万能といえよう。
ギックリ腰というのは医者に行っても明確な原因が分からない事が多いので仮病が疑われにくいし、治る時も突然治ったりするので非常に使い勝手が良い。
ただ日頃の修練としてギックリ腰の人の動きをよく観察して身に付ける事が大切である。

以上が夫婦喧嘩における有効な対策と言えよう。
要はどうでもいい原因からの夫婦喧嘩はしないに越した事が無いという事である。
どんなささいな理由でも夫婦喧嘩になってしまったら、その喧嘩の記憶がドンドン上書きされて地層の様になってしまう。
そうして上書きされてしまったら、もはや原因も忘れてしまい、ただただ相手に対する不満だけ残ってしまう。
地層になってしまった後ではカチカチに固まって解して無くす事が出来なくなってしまうのだ。

喧嘩が出来るコト、喧嘩ができる程に寄り添ってくれる相手がいる事に感謝しようではないか。
「居なくなって初めてわかった」そんなセリフは何か寂しい..。

これぞ夫婦喧嘩道..。


#創作大賞2022

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?