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平らにならし、等しい

今週、仕事が忙しかった。

やりがいのある仕事だった。だけど、その分時間がかかった。
朝10時に出社して、夜中の3時頃家に帰りついて、シャワー、寝る、起きる、化粧、出発…みたいな日々を送る期間が、わたしの仕事には、たまーに発生する。家の滞在時間5時間、みたいな。

そういう時、余裕を失ったわたしは、すごく嫌な考え方をしている時がある。
これは、そんな自分の心の卑しさを戒めるための、殴り書きだ。



仕事によって、わたしの大好きで大切な睡眠時間が削られている時、わたしは余裕を失う。
そして、「平等じゃないよなあ」という、ひねた考えがむくむくと湧き出てしまう。

化粧をしなくて済む男性はずるい。
だってわたしは15分から20分くらいはかけて化粧をしている。多分もっと時間をかけている人もいる。こういう忙しい時、メイクする時間も寝ていられるのって、羨ましいなあ。

会社と家が近い人ってずるい。
わたしは田舎生まれだからなのか、東京の、建物と建物の隙間がぎゅっとした感じの、空が狭いって感じるところに住むとちょっと疲れてしまう。だから勤務先は都内だけど、少し離れたところに住んでいる。通勤は片道1時間くらいはかかる。こういう忙しい時、起きて30分後には会社にいられるのって、ギリギリまで寝られていいなあ。

だけど。
メイクに時間はかかるけど、だからこそわたしはメイクの楽しさを知ってる。新しいコスメがでたらワクワクできる。
家が遠いからこそ、通勤時間はいろいろ考える時間になってる。電車の中で思いつくことも、考えがリセットできたこともたくさんある。通勤時間は長い方がむしろ良いかも。都内より緑が多いし、駅に向かう間に深呼吸するたび、ここに住んでいてよかったな、と思える。

しかも、わたしも、髪が短いし癖がないから、髪をセットするには他の人より時間がかからない。その分で、チャラかな。


そんなことを考える。
何もかも、すごく細かいことまで人と比べている自分にハッとする。
ここはわたしの方が良い。ここはわたしの方が悪い。
比べて、良し悪しや、優劣をつけている。


余裕のないわたしは、「平等じゃない」と嘆いて、平等を探して人と自分を比べたけれど、「平等」って一体なんだろう。
Google先生によると、こうらしい。

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差別はもちろんない方が良い。
だけど、みな一様に等しいことって、そんなに良いことだろうか。

極端なことを言えば。
お金を出すから会社から10分の都内に住んでくださいね、と言われてしまったら、息苦しくてたまらない。
時間の無駄ですからメイクしないでくださいね、と言われたら、なんでよ!させてくれ!と憤慨するだろう。

平らにならし、等しい。
平等であることって息苦しいことなのかもしれない。



生きてきた背景も、体の性別も、心の性別も、得意なことも不得意なことも、好きなことも嫌いなことも、同じ人なんてこの世に1人もいない。

スタート地点も、進むスピードも、立ち止まるポイントも、歩くテンポも。
平等じゃなくて、同じじゃなくて当たり前なのだ。

平らじゃなくて、等しくなくて。でこぼこで、違う。

だけどそれは「違っている」だけで、良いとか悪いとか、ないはずだ。比べること自体がナンセンスだ。だって基準がないんだから。

平等を求めるんじゃなくて、違いを認めたい。
いや、違う。認める、じゃない。

違うことが当たり前、と考えていたい。

それぞれ平等じゃないから、補い合える。
同じじゃないからこそ、それぞれのできることや得意なことをリスペクトしたい。



余裕がない時の自分でも、そうやって自然に考えられる人間になりたい。
卑しい自分よ、一緒に成長していこうね。




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