両脇をカップルに挟まれて新海誠を浴びた話


※「天気の子」のネタバレを含みます。まだ観てない方はご注意をば。

スーパー拙文&長文です。
構成とか考えないで思ったこと感じたことを書きなぐってるのでまとまりっていうまとまりはないです。


新海誠作品を劇場で観たのはこれで2回目だ。
1回目は「君の名は。」で、2回目が今回の「天気の子」。
本当は、公開初日に1番早いやつで観るかと意気込んでいたのだが月末で懐がすかんぴんだったという関係でレディースデーで安くなる日を待って観賞。
Twitterで「レイトショーで観ると終わりがちょうど明け方で劇場を出たあと朝日が昇るので勝ち申した気分になる」(私の記憶ではこうインプットされているので多分いろいろと文章違う)というツイートを見かけてレイトショーとバカ程悩んだが、金に勝ち申した気分は変えられないのでレディースデーに普通に観に行く事にした。



↓以降、ストーリー混ぜながら感想を言っていくので小学生の読書感想文みたくなります。

もう声優に倍◯千恵子様が起用されている時点で行くしかないと思っていたのだが、倍◯様がご登場される場面が楽しみすぎて、いつかいつかと手に汗握りながら(ホントに。タオル握りしめてた)とうとうご登場。ソ◯ィー過ぎて死ぬかと思った。
私はジブ◯作品は劇場で観たのは「借りぐらしの◯リエッティ」くらいで、あとはBlu-rayか金ローだった。ので、ハ◯ルでソ◯ィーの声を聞いた時、死ぬまでに1回は劇場で倍賞◯恵子様の声を聞かねば、という使命感があり、漸く叶い申した訳で、とにかく「劇場で倍賞千恵◯様のお声を耳に入れた」という事実にただただ感動していた。
あの優しい暖かい、柔らかな声が劇場内に響いて、私は涙した。いやほんとに。
そして更にここで爆弾を落とされるとは思ってなくて、まさか瀧君出てくるとは思ってなくて、Twitterでも誰も「瀧君」というワードを出していなかったのに……!!! 新海誠、やりよる……と登場人物の◯年後~みたいな展開が好きすぎるオタクはここで何度目かの死を迎えた。
映画を観る時は必ずタオル片手に握って、色んな意味で「ヤバいな」と感じた時はそれを強く握るようにしているのだが、タオルを劇場に持っていった史上、1番というくらい強く握りこんだ。

オタクは、ここで1つの予想を立てた。
瀧君が出てきて、三葉ちゃんが出てこない訳がない。絶対くる。どこかでくる。
どこだ、どこでくる。頼むからいきなりドーン! はやめてくれ、私が死ぬ。頼むからちょっとで良いから前触れをいれてくれ。
そしてやってきた三葉ちゃんのご登場シーン。はわわ…となったのは言うまでもないが、何より「この人ら付き合ってんのか……」と勝手に思うとどうしてかジーンときた。ダメだ、涙腺が脆弱。
(エンドロールで四葉ちゃんの名前もあって、いたの?!!?! となったのは秘密)


話は変わるが、私はネタバレが平気な人間だ。
ソシャゲのストーリーも、これから観る予定の映画考察も、「見ようかな」と思っている未視聴アニメの考察とかも平気で見てしまう。
(唯一ダメだったのはF◯Oの第2部4章のインド。あれだけはどうしても自分だけの価値観で進みたかった)
例に沿って、天気の子もTwitterでみんなの感想や考えみたいなのをある程度読んだ。私が見たみんなの感想は以下の通りだ。


・デートムービーとして観に来たカップルを置いてけぼりにする
・ふわふわした(法関係)新海ワールドが展開されている
・なので、そこら辺気になる人はずっと気になる
・それは特に後半に集中してる
・新海誠古参ファンは歓喜
・minori時代のエロゲ(新海誠監督のルーツ)を叩きつけてくる
・エロゲプレイヤーは場面ばめんで選択肢が見える
・タイトルロゴはA1明朝といい、2万円かかる


あくまで私がTwitterで見てきた意見・感想をギュッとしたものであり、記憶を辿っているので原文ママではない。ごめんなさい。
これらを見て、ほうほう……と思いながら当日を迎えた。映画は基本、お一人様で観に行くのだが、なぜかいつもは感じない強烈な「場違い」を感じた。気のせいではない。理由はすぐにわかった。

    カ    ッ    プ    ル    だ    ら    け    。    

え? というくらいカップルしかいなかった。ちらほらと友達同士できている人たちも見かけたが大方カップル。
ラッキーだったのは「座った時」は左右が2席ずつ空いていたこと。今思うとそれは完璧なフラグだった。宣伝ムービーが流れ初めて、右2席が一気に埋まってしまった。カップルだった。
上映が開始される直前(暗くなってる最中)、左2席が埋まった。カップルだった。

なにがラッキーだデスマーチだわ。


そんなこんなで上映開始。
家出少年、訳アリ少女、就活生、雰囲気悪めのおっさん。YouTubeで動画見たときは「おねしょたか??」と軽率に思ってしまったがそんな事はなかった。あるわけなかった。軽率な過去の私を3発殴った。

観始めて、帆高くんの東京生活がスタートをきり、帆高くんのセルフアナウンスが入った辺りでまず1回目の死を迎えた。

「眩しいな」と思った。


オタクは陰(いん)の生き物だ。
中学生まで女バスに所属していた私は、確かに比較的ヒエラルキーは高めだった。だが部活動中に大怪我をして、私の心はあえなくポッキリ折れた。私を除く仲間が高校でもバスケを続けていく中、私のみがバスケから遠ざかった。中学時代から激しくオタクだったが、高校生でそれが一気に加速した感が否めない。
少し話が逸れた。オタクは陰の生き物。どうしたって覆らない。話題についていけない中学生活3年間も、オタクを加速させた高校3年間も、どうまとめても帆高君の東京生活には叶わないだろうなと思った。
いや、叶う叶わないの問題ではないのは分かってる。帆高君はそれを選び、私はそれを選んだ。

上映開始約1時間後の私は、観ながら色々な思いが交錯していた。
「ここから抜け出したい」その思いだけで故郷を抜け出した帆高君。まず彼の行動力に脱帽だった。
ネカフェか満喫かは分からないけど、寝泊まりに使う場所での支出計算は彼の真面目な性格を表していて、思い悩みながらも回り回って最終的には小◯旬の元へ行きつくのは、帆高君の素直さが現れていた。
訳もわからず始まった仕事に戸惑いながら、住み込みで掃除や料理もしながら生活して、おぼつかない仕草がどんどん慣れたものに変わっていって、帆高君は「成長」していた。私の6年間で大きく欠けたものだった。
帆高君の様々な面での成長を、あの美麗作画と音楽で見せられて、魅せられた。
それら全てをひっくるめて、眩しかった。


もちろん良いところばかり心に残った訳じゃない。
後半の帆高君は、恐らく私たちが日常で色んな物事に「めんどくさい」と思うくらいのスピードで法に抵触していたような気がする。

・ふわふわした新海ワールドが展開されている

このツイートの意味がわかった気がした。
私は法律を全く知らないので拳銃が出てきて、帆高君がそれを持ち歩いてるシーンで「銃刀法違反では?」と思ったくらいだが、法律無知の私がそう思うって事は、法律をきっちり勉強している方が観たらもっと色々と思うところがあるのではないかな、と。

そう、上映されている最中はそう思っていた。
でもかえってから色々考えてみると、いや違うなと。前作「君の名は。」でもそうだったが、恐らく逆なのだ。
新海誠監督のとある一貫した価値観として、


「少年少女のいかなるBoy meets girlにおいても、彼ら自身が、世に、世界に屈してはならない」


のだ。逆だろ? と。
そう考えると「天気の子」の後半の描写は、あまりにその価値観に純粋に沿った、狂気を感じるほどの純真さが感じられてきた。でも、素敵な狂気だなと感じた。
他人の迷惑など知ったことかと、自分の欲する対象のみをひたすらに追いかけて、自分の思いや、それに準ずる信念を曲げず、対象を求める。
(帆高君の場合は、その対象となるのが陽菜さん)
それは「少年少女」という枠において描かれると、途端に美しく、私たちオタクの心を撃つものになる。

作中の「そろそろ大人になれよ、少年」という◯栗旬のセリフ。このセリフは、私個人の勝手な妄想に過ぎないが、ここで帆高君は「大人」にならなかった。
大人へとなるステップを次の段階へ踏み出せずにいた帆高君を、小栗◯は無意識的に導こうとして、帆高君はそれを拒んだ。何が世間的に正しいとか、こうした方がいい、とかではなくて、「自分がこうしたい」という思いのみがそこにはあった気がする。

高1のはずの帆高君は、私の高3時よりもずっと自分に素直で、純粋で、眩しくて、羨ましかった。
できない理由ばかりをつらつらと重ねて自分から様々を拒み続けていた私は、「できる」と信じて、できるようになっていく帆高君が羨ましかった。


後半の後半で、帆高君は陽菜さんと会うことに成功している。
帆高君は叶えたのだ。自分が、自分のために「こうしたい」と激しく願って動いて、自分の手で叶えたんだ。強い、強すぎるよ帆高君。
作品は新海誠監督の価値観通りに進んでいた。何1つそれずに、監督の価値観に向かって、終始突き進んでいた。
劇場で「えっ?」と思った場面も、そう思うことで腑に落ちた。

帆高君が陽菜さんと再会したとき、世界が、少年少女のBoy meets girlに屈した瞬間だった。



新海誠監督の「少年少女=無敵」の理念を叩き込まれる。そんな映画だった。



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