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黒田勝雄写真集

黒田勝雄写真集

 『浦安 汐風のまち2003-2019』 大月書店 2023年7月刊



 『最後の湯田のマタギ』藤原書店 2020年6月刊

 わたしたちにとっては、黒田勝雄氏は俳人・黒田杏子氏の魂の伴走者である夫君でいらっしゃる存在である。
 もちろん、写真家として写真界では評価の高い方である。
 写真集に掲載されている氏のプロフィルを以下に転写させていただく。


 この度、上梓された『浦安 汐風のまち2003-2019』という写真集は、『最後の湯田のマタギ』という、その存在すら知る人の少ないマタギ家族の暮らしに、永年取材された重厚な写真集から3年目の新写真集である。
 前作の『最後の湯田のマタギ』のような重厚なモノクロ写真ではなく、カラー版だが、同じように写真に何か実体感のような重みがある。
  二作に共通している黒田勝雄氏の写真家としての眼差しは、対象への限りない優しさがある。
  客観的にただ記録しているだけではない、そこで生きて暮らしている人の実在感がひしひしとと伝わってくる写真のように感じる。
  喪われつつある人日の暮らしの文化への危機感が背景にあるのではないだろうか。

  妻である俳人の黒田杏子氏が2023年3月に急逝されて、この写真集の完成を楽しみしていらっしゃったそうだ。
  その黒田杏子氏は今年8月に句集を上梓するお心算で、原稿を準備されていた。
  その実現の前に逝去されてしまい、黒田勝雄氏はそのご遺志を実現すべく、「藍生」主要同人スタッフに、その編集と刊行をご依頼され、『八月』という句集を上梓されている。
  つまり、黒田勝雄氏はご自分の新写真集の上梓の準備と平行して、『八月』の刊行の準備もされていたようである。
  以下にこの写真集に収められた「まえがき」と「あとがき」を全文、引用する。
   わたしの解説などより、その主旨が明快に伝わるだろう。

           ※         ※
 
まえがき

 千葉県浦安市は旧江戸川を挟んで東京都江戸川区に隣接している。昭和に入って互いを 結ぶ橋ができるまで、浦安は陸の孤島といわれていた。
 東京湾の遠浅の海を持つ漁村は、アサリなど貝漁に適し、のりの養殖も盛んだった。 煮工場も五十数軒あった。
 一九六〇年代から漁業権の放棄と埋め立てが始まり、八一年に完了。 四分の三が埋め立て地という町になった。地下鉄東西線浦安駅ができ(六九年)、都市化が行。その後J R京葉線が開通して(八八年)、首都のベッドタウン化は一気に進んだ。
 私が初めて浦安を訪れたのは四十八年前の一九七五年。モノクロームで八年ほど撮った。 十年を経て再びこのまちを訪れた。このまちの変貌と変わらぬ姿をカラーフィルムで 追った。舟着き場や魚市場、祭りもある「元町」にはこのまち独特のにおいが残っている。「東京ディズニーランド」ができ、高層マンション群や大公園、鉄鋼団地もある「中町」「新町」は全くの別世界。

 いずれのまちにも東京湾からの汐風が変わらず吹いている。

                ※    

あとがき

 一九七五年から八年間モノクロの35ミリフィルムで撮影し 〇〇九年『浦安 元町 1975-1983』(大月書店刊)にまとめました。
 二〇〇三年一月、「十年ぶりに東西線浦安駅に降り立ちました。 旧江戸川の堤防に向かって歩きながら、このまちがすっかり変わってしまっているのではないかという思いにとらわれました。今日からはカラーのブローニーポジフィルムで撮るのだと気負っていたことを思い出します。
 「元町」はほとんど以前のままの姿でした。
 数日後、初めて訪れた京葉線新浦安駅からの「中町」「新町」の風景は全くの別世界。 新しい家屋が建ち並び、南国風の街路樹に囲まれた高層マンション群、広々とした公園など思いもかけなかった風景に出会いました。
定年退職後の二〇〇一年からJRP(日本リアリズム写真集団) の事務局の仕事に携わっていた中で、浦安撮影を再開したのでした。 二〇一一年三月十一日の大地震のとき、公募写真展 視点」の選考前々日、スタッフの 人として新宿区四谷三丁目のビル六階の事務 所で作業中でした。 液状化によって浦安が大きな被害を受けたという情報を得てはいたのですが、ようやく三月二十八日にバイクでまちを回ることができました。
 二〇一四年、千葉県市川市から東京都内に転居したため三年ほど中断した撮影を一八年に再開しましたが、翌二〇一九年三月末、長年親しんだ「浦安魚市場」が閉鎖となり、その日をもって十七年間の撮影にピリオドを打つことにしました。
 ライフワークといえるほどのものではありませんが、前作の後編として出版することにしました。
 初めて訪れて以来四十五年間この町を見つめ続けてきたことになります。漁師町独特のにおいに惹かれ、通い続けたといえます。
 スナップ中心の記録であり、声をかけずに撮影した写真も少なくありません。被写体になって下さったみなさんに感謝申し上げます。この町で親しくなった方々は十数人ほどでしたが、そのお一人、浦安駅近くで居酒屋 「ひげでん」を営んでこられた畑好秀氏に望外の玉稿を頂くことができました。
この写真集は、畑氏のほか編集に尽力頂いた写真家の金瀬川氏、ブックデザイナーの髙林昭太氏、東京印書館の鈴木浩二氏、プリンティングデレクター高柳昇氏、大月書店中川進社長の皆様方の力の賜物です。帯文を頂戴した写真家の本橋成一氏にも心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
 初校の届いた三日後の三月十三日に黒田杏子が急逝し、完成を楽しみにしていた妻にこの写真集を捧げます。
               二〇二三年三月  黒田勝雄

          ※           ※
 
 『最後の湯田のマタギ』については、本集に掲載されている、黒田勝雄氏と黒田杏子氏の随筆を、転写させていただき、ご紹介に替えさせていただく。
 

黒田杏子氏の随筆

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