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髙田正子著『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』

                                                                      深夜叢書社2022年8月刊

 本書の著者、髙田正子氏は、昭和34年生まれで、大学卒業の頃、黒田杏子氏と出会い、「木の椅子会」「東京あんず句会(於法真寺)」「あんず句会(於寂庵、常寂光寺)」に参加、以来、黒田杏子氏とは40年以上のご縁だそうである。
 髙田正子氏は「わが師を語る 黒田杏子」と題する文章を、「NHK俳句テキスト」2021年2月号に寄稿している。
 この大著に関連して、髙田正子氏の黒田杏子氏に対する姿勢、視座がよく表れているので、その文章と、彼女による黒田杏子俳句の解説を以下に引用する。
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 昨年、師の「俳壇の枠にとらわれない幅広い活躍」に対し、現代俳句大賞が授与された。俳人協会に所属する俳人に現代俳句協会からの贈賞は例がないだろう。句集他書籍の刊行も、選者としての業績も、蛇笏賞等の受賞歴もむろん華々しい。だが、思いつきを企画に変え、着々と実行してゆくエネルギーに何より私は惚れた。一世代上の遥かなる背を見つめ、私も歩き続ける。   
      
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 女性として俳句に携わるには、男性側が想像する以上の「ガラスの天井」という障害、男性優位の偏見と蔑視の長い歴史がある。
 そんな旧態依然とした俳句界の中で、なんの制約にも囚われず颯爽と行動し、自分の表現世界を広げてゆく黒田杏子氏の姿勢に、多くの女性たちが魅かれ、励まされたであろう。
 そんな中で、髙田正子氏はただ憧れるだけでなく、共に行動し学ぶことを選択した人なのだ。
 その髙田正子氏による「NHK俳句テキスト」掲載の黒田杏子代表句選と、解説を以下に摘録する。
 
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かよひ路のわが橋いくつ都鳥        (「木の椅子」 昭和56年刊)
JR市川駅(千葉県)から御茶ノ水駅まで総武線で一本の通動ルート。川を越えるたび冬の車窓に都鳥の白い点々が散る。
 
白葱のひかりの棒をいま刻む        (「木の格子」昭和56年刊)
「研ぎ上げた刃がその光体を輪切に崩してゆくときのまな板のよろこぶ音」と師は記す。視覚聴覚嗅覚の躍動。
 
暗室の男のために秋刀魚焼く        (「木の椅子」昭和56年刊)
共働きの忙しさの中に、秋刀魚を焼き酢橘を滴らす時間も。夫・勝雄氏は令和2年、写真集「最後の湯田マタギ」を刊行。
 
磨崖佛おほむらさきを放ちけり        (「木の椅子」昭和56年刊)
佐渡・宿根木(しゅくねぎ)の磨崖仏(可碑あり)。「おほむらさき」は紫の翅に白い紋のある大型の蝶。このおおいなる解放感。
 
縄とびの子が戸隠山(とがくし)へひるがへる  (「水の扉」昭和58年刊)
東大ホトトギス会(山口青邨指導)の特選句。子の白い息の躍動感と冠雪の戸隠山の雄大さが拮抗している。
 
能面のくだけて月の港かな        (「一木一草」平成7年刊)
師は机上のみの作句はしない。実際に目にした能面と眼前の空の月と水の月の三つの像が重なり合い、くだける。
 
まつくらな那須野ヶ原の鉦叩       (「一木一草」平成7年刊)
平成元年故郷の父逝去。通夜の庭で聴きとめたのは「土中深くから湧き上がるように」響いてきた鉦叩の音色。
 
稲光一遍上人徒跣(かちはだし)     (「一木一草」平成7年刊)
松山・宝厳寺の一遍上人木像と向き合った瞬間の感動。木像はのちに焼失〈灰燼に帰したる安堵一遍忌〉(平成25年作)
 
ガンジスに身を沈めたる初日かな     (「一木一草」平成7年刊)
インド・ベナレスにて。初日を待って河に身を投じ、沐浴をする人々の立てる波が、師一行の舟に押し寄せる。
 
狐火をみて命日を遊びけり        (「一木一草」平成7年刊)
藤田湘子らと切磋琢磨した「月曜会」(於・銀座「卯波」)。「命」の題を得て即吟。師の「狐火」は父の象徴である。
 
寂庵に雛の間あり泊りけり         (「一木一草」平成7年刊)
嵯峨野僧伽寂庵にて瀬戸内寂聴命名の「あんず句会」が始まったのは昭和60年。以降28年続く間にはこんな夜も。
 
花に問へ奥千本の花に問へ          (「一木一草」平成7年刊)
「花に問へ」は一遍上人の語。「花のことは花に尋ねよ」と。寂聴師の小説 (谷崎潤一郎賞受賞)のタイトルでもある。
 
漕ぎいづる螢散華のただ中に         (「花下草上」平成17年刊)
蛍見の舟を仕立てて四万十川を下ったときの句。灯を消した舟が、蛍の乱舞を分けながらしずしずと進む。
 
涅槃図をあふるる月のひかりかな      (「花下草上」平成17年刊)
入滅の釈迦を囲んで哭く人物、 動物。それら一切を包むのが豊かな月の光だ。髙野山・無量光院に句碑がある。
 
一介の老女一塊の山櫻            (「花下草上」平成17年刊)
師は自らを考女と呼んで山桜の古木に配す。すると老女はたちまち山桜の精と化すのだった。能の仕立ての句。
 
日光月光すずしさの杖いつぽん        (「日光月光」平成22年刊)
昼は日の光、夜は月の光の中をひたすら歩く。頼りにするのは遍路杖一本のみ。清しさが涼気となって身を貫く。
 
一人(いちにん)の死して六月十五日    (「日光月光」平成22年刊)
六月十五日は安保闘争で亡くなった樺美智子の忌日。一人の女学生の死は同世代の師に生涯重く響き続ける。
 
原発忌福島忌この世のちの世        (「銀河山河」平成25年刊)
東日本大震災は福島第一原発事故という人災を併発した。悔いも悲しみ苦しみも詠み継ぐという意志と祈りの句。
 
長命無欲無名往生白銀河          (「銀河山河」平成25年刊)
長命であった故郷の父母は、よく働き無欲で無名のまま大往生を遂げたの意。今は二人揃って銀河のたもとに。
 
みちのくの花待つ銀河山河かな       (「銀河山河」平成25年刊)
銀河山河は天上天下、かの世この世でもあろう。みちのくは青邨師の故郷にして震災から立ち上がりつつある地。
 
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 こんな解説は髙田正子氏以外の人には到底書けないだろう。句が出来た時空の正確な解説を含めた鑑賞に、作者自身の思いも掬い取る記述である。
 黒田杏子主宰の結社誌「藍生」の筆頭スタッフであり、本書のもとになった「黒田杏子の俳句」の、季題別分類と解説を連載してきた。
 そんな力量の髙田正子氏による、この大著は、季語・用語別に分類された、作品論としての黒田杏子俳句論でもあり、どんな評伝的書物よりも、俳人としての黒田杏子の人生の姿勢全体を浮かびあがらせる書物になっている。
 標題の副題にもなっている「櫻・螢・巡禮」は、まさに黒田杏子俳句を象徴する三大キーワードである。
 と同時に、俳句創作を志す者にとっては、どんな歳時記よりも、血の通った実践的参考書の役割も果たすものであり、永く、読者の座右の書となるだろう。
「季語の現場人」と自ら名付けた作句姿勢を基本とし、平明な表現で季語を生かす句風であり、それは黒田杏子氏が師である山口青邨に学び、独自に発展開花させた表現観と方法論でもある。


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