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大井恒行氏の新しい句集である。 大井氏は「水月伝」という句集名にどんな思いを込めたのだろう。 「鏡花水月」ということばが想起される。辞書にはこうある。 《はかない幻のたとえ。目には見えるが、手に取ることのできないもののたとえ。また、感じ取れても説明できない奥深い趣のたとえ。詩歌・小説などの奥深い味わいのたとえ。本来は、鏡に映った美しい花と水に映った美しい月の意。それらは目には見えても見るだけで、実際に手に取ることができないことからいう。▽「水月鏡花」ともいう。「鏡
このシリーズの最後が「櫻」とは、納得の編集である。 句集にも印象深い櫻の秀句があり、その存在感は飛びぬけていたように思う。 それをこのように、髙田氏のみごとな編集で一冊になって、纏めて読むと一際の感慨が沸き起こる。 さらに、嬉しいのは句碑となった映像と、他の句も含めた黒田杏子句碑一覧が収録されていることだ。こののちの、後追い「巡礼者」の手引きとなるだろう。 本章の構成は次の六章立てである。 Ⅰ 「句碑」の櫻 Ⅱ 花を待つ Ⅲ 花の満ちゆく Ⅳ
千葉信子氏の第三句集『レクイエム』が上梓された。 巻末に、千葉信子氏の全句集の背景とその内容について、わたくしの解説・鑑賞文を掲載させていただいている。 その全文を以下に転記する。 ぜひ、この稀有の俳人の世界を、じっくりと味わっていただきたい。 ご本人はもう句集は出さないと思われていたようだが、ご子息の熱心なお薦めで実現した、母子愛の結晶のような美しい句集である。 ※ ※ 千葉信子句集 『レクイエム』ー命と共振する魂の韻律 Ⅰ 千葉
高橋陸郎の新句集『花や鳥』が二〇二四年二月四日、「ふらんす堂」から上梓された。 句集『十年』(二〇一七年)に次ぐ句集である。 序句に、 花や鳥この世はものの美しく とある。この句集の主題は「老い」のようだ。それは次の句に読み取れる。 小鳥來よ伸びしろのある晩年に 老いて尚、新境地を拓かんとする意思表明のようだ。 また芭蕉のことばを引いて、自らの俳句観を次のように述べている。 「少(わか)く俳句なるものに出會ひ、七十餘年付き合つてきて言へること
3月13日は黒田杏子の命日である。 その一周忌の日付にて、藤原書店より『花巡る 黒田杏子の世界』が刊行され、寄稿者のひとりであるわたしの元に郵便で届いたばかりである。 次が同封されていた藤原良雄社長の送り状である。 この文面からも解るとおり、本書は黒田杏子と親交の深かった藤原良雄氏の衷心から哀悼の想いによって成った書である。 石牟礼道子論をワイフワークとしているわたしには、このお二人は大恩人である。 戦後の俳句界にこのような方が存在したことは、幸運以外のなにものでもな
高田正子氏のライフワークの黒田杏子俳句コレクションの第三集が上梓された。 今回のテーマは「雛」である。 雛で一冊になることに先ず驚いている。 既刊の句集で読んで覚えていた次のような印象的な句も、もちろん収録されていた。 雛流す常世の涯の浪の音 『日光月光』 逢ひ訣れ逢ひ訣れ雛飾りけり 〃 そして雛の句ではないが、強く印象に残っていた次の句も収録されていた。 子を持た
川口真理の句集は、第二句集を先に読み、その為人と作風に触れているので、第一句集である『双眸』は、刊行の逆順に鑑賞することになる。 第二句集『海を醒ます』については、本ブログにて紹介しているので、そちらも是非、読んでいただきたい。 川口真理句集『海を醒ます』 |武良竜彦(むらたつひこ) (note.com) https://note.com/muratatu/n/nd498c3f1393e 『海を醒ます』の鑑賞で、わたしは次のように述べた。
髙田正子編著による、黒田杏子の遺作集「俳句コレクション」の「月」編である。 特に印象に残った箇所を抜粋して紹介する。 ※ 最終句集『八月』には、 六月二十一日、信州岩波講座まつもと 兜太・杏子公開対談 一行の詩の無尽蔵梅雨の月 がある。兜太は戦争体験を語り継ぐ仕事の相方として杏子を選んだ。ひとりで語るのは難しくても、杏子が相手を務めてくれれば話しやすぐなる気がする、もちかけた兜太の判断は正しかった。インタビュアーとし
二〇二三年三月十三日、急逝された黒田杏子氏が遺した句が纏められた句集が上梓された。 写真家で黒田杏子氏の夫である黒田勝雄氏のご意志によって、その編集が結社「藍生」の主要メンバーだった方たちに依頼され、刊行されたものだ。 生前の黒田杏子氏が角川文化振興財団から刊行する予定で、句集のタイトルも「八月」、収録句数も三百数十句にしたいとして、その構想が「藍生」の高田正子氏にも伝えられていたという。 高田氏を中心とする刊行委員会が立ち上げられて、ご遺志を組んで今年の八月刊
「関悦史が聞く俳人の証言シリーズ(3) 「高野ムツオー人間を踏まえた風土性の探求」から 高野ムツオが佐藤鬼房から継承した「小熊座」の理念 このインタビューの中で高野ムツオは、こう語っている。 人間風土という言葉使っているけど風土っていうのは、人間があって存在 するわけで、そこを一人一人が探っていこうということだね。(略)鬼房からは風土と向き合う俳句を教えてもらったといえるな。(略) 最も佐藤鬼房の文章としては、知られてる文章だけれども、「俳句の風土性」。
著者の大関博美氏は俳人で、俳句結社「春燈」に所属する方である。また永年看護士として勤労中の方である。 大関博美氏の父が「ソ連抑留」体験の持ち主だった。 生前の父の口からその体験を聞きそびれてしまったという。 生存者がいて、その体験の「語り」と普及活動をしていること、そして抑留中の過酷な中で、俳句を詠み続けたことを知り、そのすべてを記録したいという情熱が、本書の形となって結実したのである。 本章は、歴史的経緯の「そもそも」論を、詳細にして簡潔に、前
池田燈子の新句集『月と書く』が上梓された。 さっそく、朝日新聞の夕刊に、インタビューと紹介記事が掲載されていた。 要点を押さえた記事なので、私の個人的な評ではなく、その記事を以下に転載、紹介させていただく。 戦争・コロナ…詠まないわけには 池田澄子さん句集「月と書く」朝日新聞2023年7月26日夕刊 記事転載
〇 高野公一氏の俳業の軌跡 高野公一氏の突然の訃報を受けて呆然としている。 わたくしごとだが、二〇一九年(令和元年)第三九回現代俳句評論賞に応募した、わたくしの石牟礼道子俳句論を、いちばんにご推挙されたのが高野氏で、その力説に他の選考委員の方が賛同されて受賞が決まったと、後日聞いている。 俳句評論の世界で今日のわたくしが在るのは、このときの高野公一氏のご推挙のおかけであり、いくら感謝してもしきれない御恩を感じている。 高野氏は昭和十五年、新潟県上越市生まれ
太田土男著『大野林火―俳句鑑賞ノートー』 「草笛」代表、「百鳥」同人で、永年、大野林火に師事してきた太田土男氏による林火俳句の鑑賞ノートが上梓された。 四章立てになっていて、 大野林火の百十句 大野林火のみちのく 俳句の場(講演録) あとがき が収録されている。 農水省の研究機関で草地生態学を専攻されてきた太田土男氏の、ライフワークだと思われる『季語深耕 田んぼの科学』を二〇二二年に上梓されたばかりだが、本書も太田氏にとっては、師事した大野