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大人と子供の狭間で


西野さんが少し前に、人に読ませる文を量書いた方がいい、みたいなことを言っていた。

私は実は、昔からかなりの文量書いている。

でもその98%くらいは、地元の友達数人しか見れないインスタの鍵垢に書いているか、もしくは書いても下書きにしまったままになっていて、ほとんど人に読ませていない。

自分に自信が無いからか、人に読ませると思うと何かのブレーキが働いてしまうのだけど、もっと慣れていきたいし、これからは考察じゃない記事もnoteにちょくちょく上げていこうかな~と思ったりしてます。

(※考察だけ一覧で見たい人は、マガジンにまとめてるので、そちらからぜひ。)

LINEブログの下書きを見てたら20歳になった時に書いた記事が出てきたので、今日はそれを載せてみます。

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大人の定義ってなんだろう。
私は一体いつになったら大人になれるのだろう。

ふわふわと曖昧で漠然とした定義の中で、世間は私をどちらに振り分けるのだろうか。

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コンビニの缶コーヒーが自分で取れるようになったのはいつだったろう。

昔、まゆが入院してたころ、医大の売店によく1人で買い物に行ってたの。急ぐ必要もないのに、7階から勢いよく階段駆け下りてさ。

お父さんとお母さんがいつもエメラルドマウンテン買ってきてって言うんだけど、冷蔵庫の中の一番上に陳列されててさ、背伸びして頑張って手を伸ばしてもどうしても届かなくて。

いつも店員さんに「すみません、そこの一番上のエメラルドマウンテン取ってもらえます?」って話しかけて取ってもらってた。

そんな5歳の私も過去の中に消えた。

いつの間にか昔好きだった歌が歌えなくなって、好きだったお菓子は販売終了してしまった。

好きだったアニメの内容も思い出せない。

あんなに美味しかったねるねるはもう美味しくないし、ピーマンの苦味は消えてしまった。

怖いもの知らずだったし、なんでも出来るって思ってたのに、いつからか私はこんなに臆病になっていて。

挑戦することを躊躇うようになったのは、果たして成長と言えるのだろうか。

これが大人になるってことなのか?

でも、典型的なアダルトチルドレンだから余計に、私あんまり小さい時と本質的な部分では何も変わってないんだよ。

ただ、時間だけが流れてただけで、精神面があまり成長していないような気がしている。

子供らしさを失っていく割には、私は永遠に大人になれないんじゃないかって思うんだけど、小さい頃の私が思い描いていた大人像が幻想だっただけかもしれない。

でもみんないつから自分のことを大人だと認識するようになるのかなぁ。

私はまだ自分のことを大人だとは思えないんだよ。大人という括りに入れられると、すごく違和感があって。

だから学生って肩書きは便利だなって思うよ。

私はその肩書きすら失われてしまったし、そうなると括りではやっぱり"大人"になってしまうんだろうけど、なんだかスッキリしないんだよな。

18歳になったら?それとも20歳になったら?
誕生日が来たら、急に子供は大人になるの?

いつになったら、一体いつになったら私は、大人になれるんだろうか。

それとも、こんな私ももう、大人なのだろうか。

それでも、世間でよく言う大人らしさとか子供らしさに当てはめれば、私って随分子供なんだよ。

今でも昔と変わらずに、お母さんに抱きしめて欲しくて、頭撫でて欲しくて、お風呂は一緒に入りたいし、夜は一緒に眠りたい。

小さい頃、本当はずっと甘えたかったんだよ。
底抜けに甘やかして欲しかった。

でも甘えられずに育ったから、逆に大人になるタイミングを失った気がする。

私だって甘えたい、お母さん私を見てって気持ちのまま、そのまま時間だけが過ぎて20歳になってしまった。

弟たちが小学校を卒業して、今になってやっと少し甘えられるようになった気がする。

きっと私は昔より今の方がずっと親に甘えてるから、だから余計に、私はいつになったら大人になれるんだろうかって考えたりしてしまう。

一人、二人と同級生が母親になっていくけれど、私にはあと10年は無理だよ。
子供が子供産むなんておかしいもの。

お母さんお母さんって言ってる奴が、親になんてなれるわけがない。

人は成長するにつれて徐々に親に甘えなくなり、自立して行くんだと思うけれど、私は逆走してしまっている。

甘えられない、強制的に自立しなければいけない状況からスタートし、今は甘えられる環境に到達している。

もう私には、永遠に大人なんてやってこないのかも。

あぁ、もういいや。ずっとこのままで。
大人になりきれないままで。

だけど、まゆの声だけは、失いたくなかったな。

記憶の引き出しみたいな取り出し可能な便利な機能は私にはなくて、開かずの金庫に大事にしまって、暗証番号忘れちゃった感じで。

大事にしてた思い出も、忘れたくない記憶も、徐々に時の流れに奪われてしまった。

だからコーヒーは変わらず苦くて、ほっとする。
子供らしさの断片を拾い集めて、失わぬように、必死に思い出を抱きしめている。

どうか、私の中から消えないで。

子供の自分を捨ててしまったら、完全に大人になってしまったら、子供の頃の記憶ごと消えてしまいそうで、あの頃の感覚とか匂いとかそういうの全部感じなくなってしまいそうで、怖いの。


私は今日もまた、大人と子供の狭間をふわふわ漂っている。

(2003.01.20   まゆき 6歳の誕生日)

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