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手塚治虫先生の「奇子(あやこ)」レビュー「裁くのは誰だ?」

昭和24年6月1日国鉄初代総裁となった霜川則之は運輸次官上がりで
政界には仲間も上司もいない「一匹狼」で「よけいなヒモが付いてない事」がGHQ(占領総司令部)の鉄道公安官シャグノン中佐の眼鏡に適い,
シャグノンは霜川を総裁に据えたのだ。
シャグノンは
「国鉄は日本のものじゃない」「私の鉄道だ!!」
「このシャグノンの鉄道なんだ」
と霜川に対し圧力をかけ同年7月3日迄に国鉄の9万5千人の首切りを命じる。
だが「私は子供の頃から鉄道を見て育ち鉄道の職場に人生の全てをかけてきた男」を自認する霜川は「切るに忍びない」との理由から
シャグノンの命令実行を渋った。

同年7月4日霜川は国鉄の33,963人の人員整理を発表後,翌7月5日に失踪。
同年7月6日午前2時半常磐線綾瀬付近で発見されたバラバラの轢死体は霜川のものと確認された。警視庁では午前6時に現場検証を実施。鑑識課・捜査課・検事局・検察庁含め60人近い大検証団が現地に急行した。

「霜川事件」の捜査の指揮を執る下田警部の元に,
かつての下田の先輩で今は東北某県の県警の警部をつとめる田沼から
会って話したいとの連絡を受ける。
上京した田沼の話によると
同年6月17日に東北某県・淀山で民進党の淀山支部長の江野正という男が
霜川総裁と全く同じ状況で死んだという。

下田に田沼の「言いたい事」が分かって来た。
「淀山事件」と「霜川事件」には関連があって
「淀山事件」は「霜川事件」の予行演習なのではないのかと。
従って「淀山事件」を追う事が,ひいては「霜川事件」解決の
糸口となるに違いないと田沼は言っているのである。

田沼の捜査によると江野正は
十四ヶ村の大地主天外作右衛門(てんがいさくえもん)の長女・志子(なおこ)と交際していて,四歳になる天外奇子(あやこ)は「淀山事件」のあった日,
作右衛門の次男・仁朗(じろう)が血のついたシャツを洗ってるのを
目撃したと証言したという。

一方警察に「探り」を入れられた作右衛門は
1.長女・志子がアカと付き合っていた。
2.志子自身も民進党員…要するにアカだった。
3.次男・仁朗がそのアカが殺された事件に関与している。
点に激昂する。彼にとって「アカ」とは

「農地改革とかでワシから地所を取り上げ,組合ちゅうもんでワシを脅し」
「ワシの財産を盗み取ろうっちゅう魂胆の悪党」

なのだ。
天外家の一角には「白洲」が設けられており
身内から「不届き者」が出た場合には,
「不届き者」を縛り上げ,白洲に正座させ
当主直々に「吟味する」のが300年続くしきたりなのだ。
作右衛門は領主であって奉行であって
罪人を座敷牢に幽閉する執行者であって
三権を一手に握る殿様なのだ。
「吟味」の結果,志子は勘当のうえ所払い。
仁朗は所払い。
奇子は土蔵に閉じ込め「窓」を漆喰で固め,無期限で幽閉される事となった。
奇子は戸籍上は作右衛門の長男・市朗と妻すえの娘だが,
実際には作右衛門が市朗を財産相続で釣って妻すえを貸させ,
土蔵の中ですえに産ませた子で,
作右衛門の娘であると同時に市朗の娘でもあるが
市朗にしてみれば奇子は実の娘でないから愛情や同情心は全く湧かず,
家督欲しさに作右衛門に隷属している市朗にとっては
寧ろ進んで奇子を土蔵に幽閉する様,父親に進言する始末。
周辺の有力者は天外家で占められており医者もまた然り。
奇子は肺炎で病死した事にされ,皆が皆身内を庇い合い,
次朗は名前を変え朝鮮戦争の特需で儲け成金の暗黒街の大物になり
「淀山事件」は暗礁に乗り上げる。

ただ奇子だけが4歳の頃から「変わらない」。
土蔵の中が「世界の全て」で真面(まとも)な教育を受けられず
善悪の区別もつかず倫理観もない彼女の心中に
独自の世界観が構築されて行くのであった…。

本作品は「人が人を裁く」場面が頻出する。
最初に裁くのは「アメリカ」で
大地主・天外作右衛門から農地・小作人を奪って行く。

次は「仁朗の良心」が仁朗を裁く。

お前に一家を非難する権利があるのか?
お前は親父より兄貴より
もっと愚劣で人間のクズである事を認めるか?

三番目に裁くのは天外家の三男・伺朗(しろう)(12歳)。
彼は天外家で一番真面な部類に入り,
極東軍事裁判が日本を・天外家を「良くする」と信じ,
極東軍事裁判の「ままごと」をして大人…次朗を裁く。
後に伺朗は少年時代の自分を回顧して

「俺はヒロイズムに酔ってたんだ」「安っぽいヒロイズムにね」
「俺はガキの頃,よく極東軍事裁判の真似をしてた」
「何が「人道に対する罪」だよ」「裁く方に人道があるってのかい?」
「正義ってのは何を基準にして言うんだい?」「罪とは何だべ?」
「それを裁くのは一体何処の誰ならええ?」

と兄・市朗に漏らすのだ。
これ…手塚先生の御本心なのではないのか?

四番目に裁くのは次朗の姿を借りた「手塚先生」で
「下川事件」の真相にGHQが噛んでいる事を
架空の事件「淀山事件」「霜川事件」を手掛かりに
天外仁朗がGHQのスパイであると創作し
「下川事件を起こした奴等」を裁くべく真相に迫って行く。

最後に裁くのは奇子である。
落盤で炭の貯蔵穴に閉じ込められた
「天外家の一族」は皆周章狼狽するが
無学無教養で「子供がそのまま大きくなった」奇子だけは冷静だ。
彼女はずっと狭くて暗い土蔵の中で生きて来たのだから。
憲法も封建制度もGHQも彼女には関係ない。
彼女は人でなし揃いの「天外家の一族」ですら捨てられない
「良心の呵責」に訴えかけて「裁いて」行く。
「良心の呵責」はかつては仁朗も感じていたのだが
一度は捨てて非情になった心算でいた。
そんな次朗も「奇子には済まない事をした」って
良心の呵責からは逃れることが出来なかったのですよ。
皆さんは「東海道四谷怪談」って知ってますか?
妻・岩を毒殺した民谷伊右エ門を裁いたのは
奉行による吟味ではなく
「岩に悪いことをした」
って伊右エ門自身の良心の呵責なのですよ。

手塚先生の後書きによると本作品は「カラマーゾフの兄弟」を
意識されていてもっとずっと長編になる構想で
奇子の「不思議な人生」を描かれる予定だったようです。
最後の「奇子の裁き」が
「ブツっと切れた様な終わり方」になってるのもそのせい。
連載時と単行本になった際の「結末」も違うそうです。

第2巻には「奇子」の他に「鉄の旋律」(1974年から1975年)
「白い幻影(まぼろし)」(1972年)「レボリューション」(1973年)
が収録されてます。
巻末に「鉄の旋律」が手塚治虫漫画全集96(1980年発行)に
初収録された際の手塚先生の後書きが収録されてます。

虫プロダクションがつぶれ,
ぼくのキャラクターの権利がごまかされてとられてしまい,
しかもマスコミには手塚はもうだめだとかかれ…やりきれない気持ちで,
しかしなにくそという反発で,
むちゃくちゃに雑誌の仕事に突進していった時期…。
ぼくにとっては,最も精神的にハングリーだった時代の
青年漫画が,このようなものです。

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