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短編小説「大蔵三丁目」

小田急線祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩15分を南下した処に都営団地、世田谷区大蔵住宅がある。

この大蔵住宅がすっかり古くなったので幾つか取り壊して有意の施設を作ろうという計画があって、その説明会に参加するため僕と上司は本土地を訪れたのであった。

道は木の枝を思わせた。節ごとに折れて捻転している。直進である道が直線にならず僅かな角度で折れ曲がる。節ごとに電柱と街路樹が並んで、狭隘に歪む。通行人も車も電柱の手前で立ち止まり対向車が過ぎるのを待つ。
遅遅として窮屈だ。

「世田谷区に来ても土産品は無いですね」
僕は言った。

空は晴れていた。
銀杏並木が黄色に色付いて空の青さに対比した。そうした色彩を眺めるのは気分が良かったが、職場に帰れば暗い事務所の机の上の左右の袖に溜まった未整理の書類とメールボックスに溜まった未整理の電信文書が待っていて、減らない仕事に心臓が愚図愚図と痛い。
詰まる所、空の蒼さも銀杏並木の金の鳥も僕を救わないのである。

僕達は立ち止まり、電柱の陰に身を寄せ、黒くて四角張って幅広の高級車をやり過ごした。

団地の敷地内では既に解体工事が始まっていて、長閑の日差しの中で解体されゆく団地群は、森林に眠る遺跡を思わせた。

未だ人の住んでいる風の住宅棟もある。だがどの部屋もカーテンが閉じて、或いは既に空室で人々の生活痕が見えない。十数棟に及ぶ巨大な団地は今を暮らす住人の人影も無ければ、かつて暮らした人々の残花もない。

団地の中央にある廃保育園の園舎で住宅供給公社による事業者向けの説明会が行われた。
上司と僕は説明会の後、団地の一角にある銀杏に囲まれた公園を歩いた。

落葉が敷地を黄色く染めていたが、今朝の霜が溶けて泥に成って愚図愚図している。
山と住宅棟によって陽射しは遮られて公園は常に日陰だ。

団地の西側には仙川という川が流れていて、その川に向かって土地は低く傾斜して谷になる。
本来は山林を拓いて作った起伏の多い土地なのだ。
その起伏を隠すように谷の上を真っ直ぐに、平らかに世田谷通りの下り坂が作られている。自然造形の起伏に鉄骨道路で蓋をするかのような構造で直線的に成城方面に伸びる。
仙川。という川は上祖師ヶ谷に10年余をかけて開発中の祖師ヶ谷公園のあたりから発生して、大蔵を通り抜け、二子玉川に流れ、野川に合流する小さな川である。

昔ながらの高級住宅地である成城と大蔵がこの川を境界に隔てられる。その仙川と世田谷通りの交差する谷間には寺院があって通りからは大仏の背中が見える。土地の名物、妙法寺のおおくら大仏である。
幾許か風化した白いコンクリート造りの、四角い台座に立像する大仏は歴史の威徳を感じさせず、異様だ。

僕達は妙法寺の敷地に沿って世田谷通りの脇道にある台湾料理店に向かって歩いているのであった。
成城石井の本店や東宝スタジオと云った「華のある土地」から五分も歩いて裏手に回ると、妙法寺の生垣や更地になった露地、川沿いの緑地が見えて、僕のような田舎暮らしの人間には漸く一息つく、落ち着いた場所になった。

道の先に小さな襤褸の中華料理店があって二人の男が店先に侍っている。
店内で空席が出来るのを待っているのだ。

壁に開く穴を手作業で塞いだような外壁と手書き文字の貼り紙が下手下手に張られたガラス戸と、その他ありとあらゆる現代らしくない何事かによって料理店の外観はバラックという言葉に形容される。

その時、店内から人が出て、外に侍っていた男達は入店した。

僕達はガラス戸に貼られた巨大怪獣映画のポスターやオススメメニューを書いた貼り紙の隙間から店内を覗いた。
カウンターが5席ほど。テーブル席が3つ小狭く並んで、店内は人間たちで満席であった。

僕達は何事もない、車すら通らない道路端で、空席が出来るのを待った。

「この店は何が有名なの」
「極辛ニラそばが美味しそうですよ。後は極辛火山炒飯と。ネット情報では乾麺(ガンメン)が人気のようです」
「乾麺?」
「台湾料理で、汁の無いラーメン、と書いてあります」
「ああ」

僕達の後ろにまた男達が並んだ。
暖かい日であった。南中の太陽は家々の垣根の影を地面に落とした。影も柔らかい、長閑の昼さ中である。
空席を待つ間、僕たちには何も無い。今は仕事でも、仕事後の余暇でもない。必要と必要の間に出来た望まれぬ無聊である。

また男が一人やってきて列に加わった。
店内からは家族連れの客が外に出た。

小さな坊やとお姉ちゃんとその父母だ。慎ましく平凡の一家族である。
だが平凡の家族に見えて本当はもっと複雑な事情の人々なのかもしれない、と僕は考えた。


女と男、女児と男児。

例えば。
女児は女の娘だ。
だが男との間に設けた子ではない。前夫の子だ。
また男児は女の実子ではない。
親類の子どもであるが身寄りを無くし女に引き取られたのだ。
だからこの男女で血縁があるのは女と娘だけである。

それでも一家は女を中心に、本当の家族のように明るく暮らしていたが、実は、女は悪性腫瘍に犯されている。
気付いた時には手遅れで、女は儚くなりにけり。

さてどうなる事か。男と女児と男児は互いに血縁がない。今や一家は他人の集合だ。
女を中心に成り立っていた人間関係も、途端にギクシャクとぎこちない。

途方に暮れた一家に更なる奇縁が重なって男は他所の女と結婚する事になって仕舞った。
偽父と偽娘、偽息と、新しい継母。
他人暮しの一家が、一所に暮らし始めてさて何うなり也。


ア、

男が店を出る時に僕と肩がぶつかった。
「失礼」

向後の悲喜劇の主人公たる男は何も言わず、その代わり余命幾許の非業のヒロインである女が会釈をした。


それから僕達は店内に入って、先刻の家族が座っていたテーブルに座った。先客の食器が残っていたが、暫くすると店娘が来て食器を片した。

店主は黙々と中華鍋を振るう。
店の人間は店主と店娘の二人だけだ。

上司が店娘に注文をする。

激辛ニラそばと、腸詰火山チャーハンに目玉焼きを乗せて。
それから焼き餃子。
あと乾麺、豚角煮トッピング。
それとピータン豆腐を半分で。

注文を受けて少女は、ハイと返事をした。思えばそれが、この土地の人間と言葉を交わす初めてであったかもしれない。


店主は一心不乱に中華鍋を振るって火台に焔立つ。
満席の客たちは無言で中華麺を啜る。
テレビが昼のニュースを放映する。

やがて僕達の席には料理が並んだ。苛烈の香辛料に汗かきながら僕達はひたすら喰らう。

激辛ニラそば。
腸詰火山チャーハンと目玉焼き
焼き餃子。
豚角煮乾麺。
半分サイズのピータン豆腐。

発汗に次ぐ発汗。
止まらぬ食指。
胃腑が烈火の香辛を求めている。

この店は東宝の映画スタジオが近く、かつて黒澤明も訪れたという。そのような逸話から映画関係者、そのファンにも愛されている。店内には数年前に上映した映画ポスターが貼ってあって出演した俳優のサインが残っている。

襤褸の外容も、常連客が寄せる撞着の結果であるかもしれぬ。人は愛する者が変化することを望まない。襤褸を愛したならば襤褸の儘が好い。
この店は世田谷区の真ん中で襤褸である事が一等良いのである。

古びて取り壊される都営団地と、未だに残る襤褸の台湾料理店の相関関係について、僕は爆辛と汗をかきながら考えていた。

店娘に御手洗を尋ねると、土間を上がった奥のドアだと言われる。土間には土足で上がれと言う。ドアを開くと和式便所は汲み取り式で闇深い穴が開いている。
この国に、まだこのような場所もあるのである。


店を出た僕達は再び妙法寺の敷地に沿って駅までの道を戻る。
世田谷通りから見た妙法寺は白い汚れた豆腐であったが、裏手にある木組みの正門、つまり寺院にとっては正面から中を覗くと緑豊かな庭園の奥に木造の立派な本堂が見える。其れは歴史の威容を備えて趣深い古刹であった。
日本庭園ごしに見える大仏が裏世田谷を照覧している。


表と裏、生活の高低、華やかさと陰翳、格差が澱となって蟠まったような街だ。
と僕は大きなお釈迦様の顔を見ながら考えた。

お釈迦様の顔を見ていると無性に悲しくなった。折角香辛料によって生まれた多幸感がみるみる消えた。
鬱屈病だ。
生きている事の澱みが僕の腹底に溜まっていて、時折精神の撹乱が澱を掻き回して、心水を濁らせる。
濁る中には半魚の怪物がいて、怪物は今まで晒した僕の生き恥を突きつけて呵責するのだ。
暗い事務所の机の上の左右の袖の未整理の書類と、メールボックスに溜まった未整理の電信文書が追い討ちを掛ける。
その他有象無象の心象がクランプスとなって僕を縄縛して打擲する。

長く生きる程人生は苦しい。
今日も仕事で明日も仕事だ。終わらない書類と格闘しながら年を取り、疲弊して襤褸になって衰えて疎まれる。今日もまた一日分老いて、一日分寿命と健康指数を失った。

人生を生きる其の果ては苦しんで死ぬ事しかない。
と大きなお釈迦様が仰った。

いよいよ気分は沈痛となって足取りが重い。腰が痛い。目が霞む。沢山歩いたのでもう疲れた。
悲痛に歩いて本通りに戻り、仙川の橋を越えた。これから先の道は世田谷通りの上り坂である。春になれば桜の名所だ。その手前に東宝前バス停留所がある。
ポツンと一本足のバス停が立って、バス待つ人はいない。

通り過ぎようとした時に、その停留所の路面に置かれた何やらが目に付いた。

靴であった。

変哲の無いバス停留所に黒い革靴が揃って置いてある。

靴。靴?揃えて置かれた靴?

それだけではない。

黒靴の下にビニール袋に入った便箋が敷かれていた。
アスファルトと黒靴に挟まれた便箋の白が光っている。

一体これは何であるか。

靴が置かれる事の意味も分からず、手紙の魂胆はもっと不明だ。

だが僕はその手紙に強く惹かれたのであった。

人生に蟠る鬱屈の、一大転機なのではあるまいか。いや、そうに違いない。きっとこの手紙は僕を別天地に連れて行く切符だ。幸福駅行きの、ジョバンニのポケットに忍ぶる特等切符だ。



その時、僕は肩を掴まれた。
振り向くと険しい顔をした上司である。

「やめとけ」
と上司は言った。

いつの間にか僕は黒靴を手に取ろうとしていたのであった。靴を手にしてその下の便箋を取ろうとしていたのである。

僕を制してから、上司は再た歩き出した。
僕も再た数歩を歩いた。
振り向いて停留所の靴を再び見た。
黒靴は其処にある。

異様で、不気味だ。
禍々しい不浄。不潔、不衛生。

どうして僕はあの不気味な靴を手に取ろうと思ったのか。


小田急バスがやってきて、減速して停車した。車体がぶるんと震えて乗車口が開いた。

「乗りますか」
乗車口のスピーカーが言った。
「乗らない」
僕は言った。

バスは乗車口を閉じ成城方面に走り去った。

バス停の黒靴は、今はもう長閑の午後の陽だまりに置かれた唯の靴であった。世田谷通りのバス停留所の前を何人かの人々が無関心に通り過ぎた。
上司が、坂道の途上で僕を待っていた。

黒靴と、その下の白い便箋について、僕は考えるの事を止めた。

幸運と慈悲、因業、悪心、不善或いは不忠、便箋の正邪について、考えても詮無い。
世田谷区の大蔵の台湾料理店の奥にある汲み取り式便所の闇底と、妙法寺の釈迦牟尼の白毫との宙間に撹乱された蟠りが濁って渦を巻く。
つまりは極々ありふれて日常の、金色の銀杏並木が絢爛と光る小春日和の瑣末事である。


(短編小説「大蔵三丁目」村崎懐炉)

#小説 #それだけは止めておけ #ネムキリスペクト #nemurenu



付記

本小説に登場する場所について

・祖師谷公園
住宅地を用地買収して公園を整備したが、立ち退かない住居も数軒あるそうで、公園の中に住む家がある。開発が途中で止まったまま放置されている。
祖師谷公園の中央には子ども広場が整備され家族連れで賑わうが、それに隣接して昭和の未解決事件、世田谷一家殺害事件の現場となった冨澤邸が未だ残って警察詰所に監視されている。

・祖師ヶ谷大蔵駅
円谷プロの聖地である祖師谷。駅前にはウルトラマンの立像が立っている。
駅前商店街の呼称はウルトラマン商店街。

・本書には登場しないが祖師ヶ谷大蔵駅前商店街付近に元オウム真理教信者の作った宗教の本部施設があって、警察、公安の監視所から常時監視を受けている。

・成城石井本店
成城石井の本店がある。

・東宝スタジオ
成城石井本店の隣に東宝スタジオがある。壁面に七人の侍の絵が描かれている。その脇にゴジラの銅像が立っている。

・玉蘭
創業三十年の台湾料理店。店構えは汚いが地域に愛されていつも満席。店仕舞いが早い。佐藤浩市が来てサインを残した。

・おおくら大仏
日中は本堂側を向いているため、世田谷通りに背中を向けているが、機械制御されていて、夜になると世田谷通りに向かって反転する。
日中も人感センサーによって、参拝者の方へと向きが変わる。
立像の台座は機械制御の納骨堂になっていて、365日、24時間参拝可能。暗証番号を入力すると自家の骨壷と位牌が現れる。