短編小説「Sipka3000(ガムテープ・オンザ・ウォール)」

献辞

本作には幾つかの実在する立体造形がイメージに使用されておりますが、制作物についての作者様の意図とはかけ離れた二次創作小説となっております事をご了承下さい。名古屋・大須のアクセサリー・セレクトショップSIPKA様と造形作家植田明志様、eerie-eery様に敬意を込めて。

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SIPKA3000第四話「泥論、泥論」

でろん。
どろん。

行灯の焔が血路血路と揺れると部屋壁に長く伸びた皆様の影までもが血路血路と揺らめくので御座いました。

でろん。
どろん。

矢庭に奥様が呻き声をあげると喉奥が膨らんで濡羽根の鴉がでろんどろん。泥論とぬばたまの黒尾羽根を艶と濡らした大鴉が出てきて呵呵と啼くので御座いました。
奥様は大層苦しみましておりましたけれども、一頻り鴉の体躯を吐くと頬と溜息してその儘お休みに成ったので御座います。
と、未だ恐怖に震える菊子の話を聞いて其の青年は大きく首肯致しました。
成程成程。然して其の鴉は何うされましたか。
と青年は菊子にお尋ねになりました。
エエ、飛んでいッてしまいました。
と菊子は言いました。
が。

嘘を仰い。
と、黒髪の長きを後ろに束ね首筋凛とした薄唇の眉目秀麗の美青年、料理人鬼哭谷宗一様は仰いました。嗚呼、嗚呼そんな目で見ないで下さいまし。菊子は鬼哭谷宗一様の眼力に気圧されて儚みました。貴方様の其の目で見られるのは切なくて御座います。
どうか菊子を、か弱き乙女をそんな目で見ないで下さいまし。
僕の包丁は。と鬼哭谷様は仰いました。肉襞を分けてこの世の真実を捌くのですよ。
鬼哭谷様が包丁の電源を温、にすると異形の肉切包丁はうわんうわんと唸り声を上げるので御座いました。機械歯が回転して包丁は血に飢えた野獣と化すのです。
菊子は堪らずに目を覆って仕舞いました。斯様に獰猛な包丁は正視に耐えませぬ。堪忍を、堪忍を。
否や、僕の包丁は血に飢えている。一度、温と鳴けば血を見るまでは此の真情が治まらぬ。
見れば鬼哭谷様も戦慄きながら猛っておいでで御座いました。
イヤイヤと菊子は頭を振りました。が、鬼哭谷様は菊子の服を剥ぎ取ると下腹に包丁を当てて菊子を弄ぶので御座います。
温、温と包丁が鳴きました。
嗚呼と菊子も堪えかねて泣くので御座います。
堪忍を、堪忍を、と菊子は申しましたけれど唸り声を上げる鬼哭谷様の肉包丁は菊子の腹をお割きになりました。振戦する包丁の振動が菊子の肉を愚図愚図と嬲っていくので御座います。阿礼と叫んで包丁に当てがった菊子の指は忽ち切り落ち芋虫のよう。襤褸襤褸落ちて、手足迄もが捥げました。菊子の胴体は今や首が繋がる許りの芋虫で御座います。そうして逃げられなくなった菊子は縦半分に胴体を割かれるので御座います。
丁度菊子の大腸が裁断されて包丁刃は肝の臓に達しようかと言う時に鴉が、左様で御座います鴉が、呵呵と鳴いたので御座います。
泥論、と黒羽根の鴉が菊子の臓物から出て参りました。
獣の御御足を三本持った鴉で御座いました。
三本足の鴉様は呵呵、呵呵、と何事か仰いましたが、忽ち鬼哭谷様に囚われて、細首を誤謬と締められ奇縁奇縁と啼くので御座いました。
嗚呼、恐ろしい光景で御座います。あんな成りをして鴉様は人様を呪っているので御座います。菊子は肉達磨となりて、胴体も破瓜となり、気を失ったのでございます。

菊子が目を覚ましますと、鬼哭谷様が優しく微笑んでいらっしゃいました。菊子は寝所に寝かされて、朝日が眩しう御座いました。
微笑まれる鬼哭谷様はお優しくて、昨夜の鬼のような怖い方と同一であるとは信じられません。
菊子は割かれた筈のお腹を撫でました。手も足も御座いましたし、お腹も無事で御座いました。鬼哭谷様に切断された箇所は皆、黒帯の我無貼布で繰る繰るに巻かれているので御座いました。
我無貼布で巻いたのでもう大丈夫だ。と鬼哭谷様は言いました。
それが、お別れの言葉のようで菊子は悲しい思いをしたので御座います。
阿礼と其の時菊子は気付きました。妾の小指が無くなっている。鬼哭谷様の肉切り包丁で落とされた指は我無貼布で繋がれているのに小指だけが無いワ。と菊子は言いました。
也々。と鬼哭谷様は顔を赤くされました。
実は。貴女との別れが惜しく小指を貰い受け候。
嗚呼、菊子は感涙にむせんで言葉を失うので御座います。二人の間には黒い我無貼布によって結ばれた契りがあるので御座います。どうぞこのまま菊子を貰い受けて下さいまし。この世の地獄よりお救い下さいまし。菊子の肉をお好きに遊ばして下さいまし。菊子の身も心も鬼哭谷様の物で御座います。
お情けを、接吻を授けて下さいまし、と菊理姫神菊子が目を瞑った所に、

「ガムテープであんたを繋いだのは俺だ」と菊子の相貌に己が剛顔を寄せて楢山節剛郎は言った。楢山節は背丈六尺胴回り一尋、直毛黒髪をポマードで固めて、黒いスーツに身を包む。峻厳の山谷を人体にしたような強面の大男である。「残念ながら鬼哭谷ではないぜ」
「ふうん」と菊子は言った。興味が無いのだ、年増の男やもめには。「道理で下手だと思いました。ガムテープの巻き具合の野暮な事。」
「野暮で結構。小指もつけ忘れただけだ。返すぜ。」楢山節は言って菊子の小指を放った。楢山節の指先から黒いガムテープが撥撥と伸びて菊子の小指を固定した。
「黒鴉館のご婦人は何処に行ったんだ。」楢山節は菊子に尋ねた。
「ああ、奥様。」
冷えた様子で菊子は答える。
「さあ、何処へ行かれたのかしら。ご寝所で寝ていらっしゃるのじゃないかしら。」
「ほう、寝所とは何処の事だ」
「御二階にあるじゃないの」菊子は言った。
「まだ夢を見ているようだな。起き上がって屋敷を眺めると良い」
「何を」
と菊子は立ち上がった。立ち上がってその拍子に右腕がぼたりと落ちた。
「気を付けろ。まだちゃんと繋がってない。」楢山節が腕の肉崩れた断面を雑に圧し当て再び黒帯で巻いた。
また、菊子の片足が取れて床に転がった。
「言ってる傍から」
楢山節が菊子を抱きかかえた。
「離しなさい、不調法者」
菊子は楢山節を罵って暴れた。薔薇薔薇と菊子の手足が落ちた。
「お嬢さん、暴れるのは後にしよう」と鬼哭谷が指を拾いながら諌めた。
女中室を出た菊子が見た物は廃墟と化した黒鴉館であった。
「そんな」
菊子は戦いた。
「奥様は?」そして女中の朋輩は。
「あなた自身が見ていた幻だ。」
「幻」
「そして今見ているものが現実だ」
俄に信じられる話では無かった。むしろ、いま自らがかどわかされて幻影を見せられているのではないかと疑った。だが、肉体の感じる質感はこれが現実であることの証左に他ならない。
「三本足の鴉の魔力に誑かされていたのだ。」と鬼哭谷は云った。
菊子は思い出した。
優しかった奥様が日増しに粗暴を増して、菊子に折檻するようになった事。
堪忍堪忍と懇願する菊子の尻を捲り、棒杭で叩いたり突いたり菊子の尻を責めるのだ。
それも皆、奥様が小鳥を飼い始めた頃からでなかったか。
有閑の人々の間で体に孔を穿って小鳥を買う事が流行している。菊子の仕える奥様もある時、小鳥を飼うのだと言った。
広い御屋敷におひとりで暮らす奥様にも慰みは必要だろうと菊子も賛成した。
奥様の胴腹に空いた鳥籠に小鳥は可愛らしく囀った。

菊子の語る間に空には俄に黒雲が起こり、陰った日に因って廃墟は下闇に落ちた。輪郭朧となりぬる儘、菊子は回想を語る。その菊子の回想に鬼哭谷宗一は口を挟んだ。

*****

だがあなたは嫉妬をしたのではないですか。

ええ、そう。だって奥様はすっかりあたしに興味を無くしてしまったんですもの。
炭焼小屋の錬二があなたが小鳥を軛くのを見ていますよ。
そうよ。だって小鳥如きがあたしの奥様を。
そして嘆き悲しむ奥様にあなたは新たな小鳥を与えた。無垢けて小さい黒い鳥を。
そう、だって呉れた人がいるんだもの。

楢山節が眉をしかめて短く唸った。
菊子に鴉を渡した人物。それが楢山節や鬼哭谷が追っている人物に他ならない。
鳥頭の?
そう。
鳥の仮面を被っていたわ。その男が小鳥が死んで困ったあたしを助けてくれたのよ。
「小鳥をあげよう」
と。
黒い小鳥を呉れたのよ。
だからあたしは奥様に黒い小鳥を差し上げたわ。

菊子の罪は三つあった。深窓の奥に身分違いの懸想をした事。嫉妬に駆られて小鳥を軛いた事。鳥頭の男から貰った黒い鴉を善意に手渡した事。それが災禍となる事も識らずに。

黒い小鳥には三本の足があった。鳥らしからぬ獣族の、脚。デザインドビースト。キメラ。ホムンクルス。人造生命体。つまり巷間に合成獣と呼ばれるものである。

「死の医師」と楢山節は鳥仮面の男の事を呼んでいる。違法な合成獣を配り歩いている。合成獣は人体に接して如何な影響を及ぼすのか予測がつかず、合成獣の御身自身がどのような成長を遂げるのか予測がつかない。試験管の中で生命の創造は難無く可能だ。だが生み出された人造生命は未だ人類の手に余る。

凝凝。

鬼哭谷の眼球が反転すると、その眼を押し退けて小さな人が這い出て来た。御身の下半は人間であるが、上半は外道の物から成っている。
いま出てきた「其れ」は腹部より上が昆虫類の蛹である。鬼哭谷の眼裡から異形はその後も這い出して凝凝と騒ぐ。口器など無いので体内の臓器を捻って声鐘を発するものに思われる。この鬼哭谷宗一が体内に飼う小人共をぺししと云う。鬼哭谷はぺししの振動力を魔刃に伝えて肉の結合を解体する事ができる。

ぺししは菊子を前に凝凝と威嚇をした。ぺしし達が怒っている。

ひい。

と菊子は怯えた。合成獣を恐れ忌み嫌うのは菊子の本能に因る。災災と菊子の神経が逆撫でされ肌が粟立つ。
「止さないか」鬼哭谷はぺしし共を掴まえて口中に頬ばった。 奥歯で咀嚼して飲み込む。こうすれば暫く小人達は大人しくしている。
「悪戯好きですが、害は無いですから。」
ひいひいと怯える菊子を宥め乍ら、鬼哭谷は尋ねた。
「黒い小鳥を奥方に渡してどうなッたンです?」
其の黒い小鳥は。

黒い小鳥は奥様の胴腹の鳥籠で見る間に成長して、癇癪して暴れて、啼いて、奥方の胴腹を嘴で突くのです。其処に穴が空いて、抉れて深まり、奥様は悲鳴をあげて苦しみました。

それを妾が介抱して、、、奥様は再び妾の元に戻ったんですの。

その時分には奥様の鴉はすっかり大きくなり遊ばして肉襞から器用に奥様の体内に潜って遊ぶようになりました。

解経、解経と奥様は悦楽とも、愉悦とも或いは苦悶とも知れない御声をお上げになりました。

濡れ鴉が奥様から出たり入ったりする姿も可愛らしいもので御座いましたのヨ。
奥様は白目を剥いて悶絶致しました。鴉が胴腹の中を食い散らかすのですから、尋常ならざる感覚が奥様の身に起こっていたのでしょう。解経、解経と奥様はお啼きになり遊ばしますの。或時に比丘と一度巨く御身体を撓ませて、奥様は痙攣なさいました。

それから。
奥様の口から鴉が這い出て。
それから。

恍惚と説明を続けていた菊子の記憶が淀んだ。

それから?
妾は鴉と目が合って?

ハテ。
ドウシタノカシラ。妾ハソノ後ヲ憶エテオリマセヌ。
アア、可笑シイコト。
そして菊子は解経、解経と嗤った。

「鴉はアンタも食っちまったンだよ」
「ソンナ、マサカ」

そしてその化鴉はあんたに成りすまし、ある時は奥様に成りすまし、廃墟になりゆく黒鴉館に魔力をかけて人々の目も欺いて来たのさ。

ソンナ、マサカ。
俄に信じられる事では無かった。ソノ話ガ真実ナラバ?妾ハ?

「だから、お前は鴉だよ。」

菊子と鴉が相通じて喰らい合い、同化してしまった。
鴉は菊子であるが、菊子の肉が残存して、菊子も鴉である。

呵呵、呵呵。
菊子の背中から油に濡れた黒い翼が生えた。

「化け鴉に菊子の記憶が残っていたとは思わなかった。」

鬼哭谷は菊子から摘出した黒鴉を解体するつもりでいた。だが事の次第に違和感を感じた楢山節が鬼哭谷を制して黒鴉を助けたのであった。

呵呵、呵呵。
菊子は翼を羽ばたかせて、広間を飛んだ。飛んで、天井から吊り降ろされた硝子細工の装飾照明に羽を休め、二人を見下ろした。

広間の天蓋に描かれた聖母像と天球図。
菊子である黒鴉の向こうに天井が覗く。本来は聖母の周りに天使の絵が描かれる筈であった。その天井画の空隙に菊子は、黒鴉は天使の如く調和した。黒い翼の天使によって聖母像がいま完成したかのような錯覚に鬼哭谷と楢山節は陥り畏敬を感じた。哀しい存在だ。楢山節は鴉を憐れんだ。愛を欲している。一人では生きていけぬ。寄生宿主を見つけて、庇護されなければ生きていけぬ。

「妾はどうしたら良いの」
菊子は己が境遇を儚んだ。

「来れば良い。」
鬼哭谷は聖母像の傍らに羽を休める菊子に言った。
「一緒に来れば良い。」

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SIPKA3000第参話「濁濁」

炭焼き小屋の練二は語る。

奥様はハア、それは御綺麗な方で御座いましたけれども、それが最近はすっかりやつれましてハア。そのやつれ様が鬼気迫るのでございます。あの目が恐ろしくて使用人たちが辞めていきますので。以前とはまるで別人で御座います。ここだけの話、奥様が化け物になって仕舞ったなんてハア、噂もあるので御座います。私ももう奥様が恐ろしいので御座います。
奥様のお部屋から僻僻と音がするので何かと思って私もこっそり覗いたので御座います。お部屋の中にはあられない姿の奥様がおりました。奥様が膝を着いて屈んでおられる。その奥様から僻僻と音がする。なんとハア、奥様は、嗚呼恐ろしや鼠を齧っていたので御座います。奥様は気が触れて仕舞われたので御座います。奥様に言われて少年男娼を幾人も用意して来ましたが、ハア帰った者は誰もいないので御座います。

黒鴉館の女中菊子は語る。

奥様のように素晴らしい御方など何処にもいらっしゃいません。皆、奥様が急におやつれになったので勘違いをしておいでなのです。今でも奥様はお優しい方で御座います。炭焼き小屋の練二ですか、あの阿呆の言う事など、信じてはなりませぬ。あれは阿呆で御座います。奥様に内緒で少年男娼を囲っているのです。少年男娼を焼け棒杭で嬲るのが趣味の男なのです。それでいながら奥様にも懸想をしているので御座います。あの畜生は邸内を知り尽くしていて、何処をどう巡るのか奥様の部屋を出歯亀しているのです。どうしようもない男。あの男が意地悪をするので使用人たちが皆辞めていくのです。妾も意地悪をされたりいやらしい事をされたりするのですが、妾が居なくなっては残された奥様がどうなるか知れません。なんとか菊子は堪えているので御座います。

翌日、ギャーッと叫び声がして鬼哭谷たちが駆け付けると女中の菊子が逆さに吊られて死んでいた。下顎がない。えぐられた顎から血が濁濁と噴出している。叫び声の主は女中頭の留であった。

「化け物の仕業だ」留は言った。

邸内が騒ぎになって鬼哭谷たちが再び現場に戻ると、菊子の死体がなくなっていた。誰が触れる筈もない。死体が消失してしまったのだ。


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SIPKA3000第弐話「女鬼女鬼、微々微」


あと数日で皇紀三千年の紀元節を迎えようとする名古屋市中区56番街、通称常闇商店街はいつにない活気に満ちていた、ように思う。


楢山節剛郎は、これ迄の半生に於いてその角張った巨躯を文具メーカーの営業職に奉戴して来たが、それが間違いであったかも知れないと疾うの昔から万人が認める所の真理に、楢山節自身が長い逡巡の末に帰結したのは極々最近の事であった。
その日、得意先から兇状文を回状されて金輪際の出入り禁止を仰せつかった楢山節は大いに悩み煩悶して、鞺鞳、年若の仕事を能くこなす上司殿に相談をした。

「この仕事は向いてないのかも知れません。」
と背中を丸めて固い拳骨を悪戯手に弄び乍ら、剛顔を顰め弱気を吐露した。
其れを聞いた二回りも年の離れた上司殿は驚嘆の顔をして言った。

「今さら」
今さら、漸く、気が付いたのか。と悩める楢山節にトドメを刺した。
打ちひしがれてその日、楢山節は俯き歩いて帰途に着いた。楢山節の岸壁の巨躯と絶壁の相貌は如何に振舞っても愛想に欠ける。素にしておれば不遜に見え、媚びへつらえば気味が悪い。楢山節にとってはミニチュアの机に肉体を押し込め、体躯に比して爪楊枝かと見紛う鉛筆を持って机仕事などすれば、其れはさながら緻密の細工を得意とする宝飾職人が国宝の気概を以て臨むが如し。然るに彼の仕事は間違いが多く、小人共に小馬鹿にされる事を常としてきた半生である。それも領分と弁えてきたが、俺にも違う人生があったのでは無いかと、近年にして思う。
しかし、今さら。何をかやり直せるものか。もう手遅れ。取り返しのつかぬ所まで人生を歩いて仕舞った。御歳の一から始めて花実を結ぶ仕事など、無い。楢山節は悲嘆に暮れて頬と溜息をつくのであった。

滑、と何かが靴先に当たって転がった。
石か、小銭のチップかと楢山節が見たものは誰かの記憶ディスクであった。
昨今自らの記憶を録画してディスクに封じて、誰彼に配る人がいる。楢山節の脳内もまた記憶はデジタル方式に因っているが、それを人に配ろう等とは思わない。何かを説明したくても口頭で済ましたい。そうした文化的隔絶が仕事の出来る若い世代と楢山節の能力の差とともなっているのであった。

通常、得体の知れぬ記憶ディスクなど棄て置く所を、自らの人生に限界を感じた楢山節は路傍の石からも天啓を求める心境であった事もあり、妙に心惹かれた。

足先一尋に転がったディスクを注視すると「黒いガムテープ」とタイトルがあった。
文具メーカーに勤める楢山節はタイトルに同調性を感じてディスクに向かって手を伸ばした。

その時、常闇商店街の文具店の店主が楢山節に声を掛けた。
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家に着いて楢山節は冷えた食卓に座った。小さな魚が焼かれて皿に乗っている。用意された食事はそれだけだった。
飯釜に米は残っていなかった。
であるからしてレトルト米を湯煎して茶碗に盛った。
ちまちまと魚の骨を除く。
楢山節の嫁御はハンドヘルドPCに没頭して夫を顧みる事がない。二者間に出迎えの挨拶も無ければ帰宅の挨拶もない。無言のうちに楢山節は食事を終えた。

食事を終えた楢山節は嫁御に云った。

「腕が欲しいんだ。」
常闇商店街を歩きながらくよくよとしていた楢山節は電器店のショウウインドウに展示された腕を見つめた。
「インドの奇術師の腕なんだ。とても器用そうなんだ」
こんな腕を取り付ければ俺も少しは上手に仕事をこなせるのではないか。ショウウインドウの華やかな照明に当てられながらぼんやりと考えた。
値段は少し、楢山節家にとっては相当に、高い。きっと若者の腕なのだ。神経が未だ若く伝導率が良いに違いない。
「欲しいんだ。滅多にない出物なんだ。」
屹度、これが有れば人生の転機になる、楢山節はそう考えた。

「駄目よ」
ハンドヘルドから目を離すことも無く、嫁御は、楢山節の一縷の希望を切捨てた。嫁御は疾うに夫たる楢山節について諦念している。今さら楢山節が一念発起して善くなる事など何一ツ無い。楢山節に費やす金は須らく無駄と考えているのであった。
敢え無く楢山節の人生の転機は、無碍となった。

その晩、晩酌をしながら楢山節は逡巡していた。
立腹する得意先、小馬鹿にする上司殿、無関心の嫁御。インド人の腕。文具店の店主。
そういえば?

文具店の店主に話し掛けられた時、俺は何かを仕掛けていたぞ。ええと、なんだっけ?

楢山節がポケットをまさぐると果たして拾った記憶ディスクが入っていた。
迂闊にデータに触るとウイルスに感染する事も有りうる。

台所の検疫機にディスクを入れる。検疫機がデータを読み込み、グリーンに光った。感染は無いようだった。
楢山節は改めてディスクを眺めた。落ちていたにしては汚れも、ない。
円盤が楢山節家の饐えた白熱灯を鈍く反射して黒い虹模様を描いていた。
「黒いガムテープ」

楢山節の会社が新たに売り出した商品もまた黒いガムテープであった。神経伝導率が高いため、吸着と同調の二つの機能を備えている。だが、それを使った消費者から数件の苦情が上がっていた。
ガムテープが慮外の動作を起こして制御不能に陥る。
どうやら新商品は製造過程に欠陥がある不良品であるらしかった。
それを会社は隠蔽しようとしている。
その薄汚い唾棄すべき隠蔽工作の片棒を、楢山節も担いでいるのであった。
俺は、疲れた。

楢山節は思った。酒にも酔っていた。藁にすがる思いで転機を、天啓を求めていた。
酩酊の鈍い認識の中で楢山節は手に持った記憶ディスクを自らの脳内に埋めた。楢山節の肉体回路がディスクに癒合し、溝から記憶を読み込んでいく。

「壁にガムテープを貼れ」
脳裡に誰か、男の声が響いた。
「壁にガムテープを貼れ。」
「壁にガムテープを貼れ。」

記憶ディスクの持ち主が誰かに命じられている。視覚には壁が写っている。持ち主の手が黒いガムテープを持っていた。それを一尺の長さに切って右襷掛けに貼った。次を左襷掛けに貼ると黒いガムテープの✕の字が出来上がる。
そこで記憶が断絶して、場面はまた違う壁となった。
「壁にガムテープを貼れ」
「壁にガムテープを貼れ」
「壁にガムテープを貼れ」

命令の声は機械のように変わらないが、壁が異なる。そして「手」が異なる。異なる手が壁にガムテープのXを貼る。どうやら複数人の記憶が撚られて一つのディスクにまとめられていた。ひたすら、命令されて壁にガムテープを貼る記憶たち。
呪いの儀式。
或いは宗教。
秘密結社の密儀。
スナッフフィルムの幕開け。

そのような狂気を感じた。狂気に毒される感覚を覚えた。危険だ。楢山節の本能が告げた。
陰鬱と酩酊が良識を彳亍して楢山節を陶酔に導いていく。
楢山節の肉体回路がトランスに、堕ちていく。

「壁にガムテープを貼れ」
「壁にガムテープを貼れ」

楢山節の手には自社の黒いガムテープが握られていた。一尺切って壁に貼った。もう一尺切って壁に貼り✕の字を作った。

それから黒いガムテープを今度は三尺に切って手捻りして輪を作った。頑丈の輪だ。自分の肉体を預けても千切れる事はない。楢山節は作った輪に自分の首を通して壁の鉤に掛け、そして首を縊した。
楢山節は死んだのである。

死んだ楢山節の前に、男が現れた。全身を外套に覆って鳥の仮面を被っている。飛行士のようなゴオグルを着けている。その奇怪な姿は中世のヨオロツパに現れたペスト医師を思わせた。
ペスト医師の鳥マスクには所以がある。確か、ペスト菌が肺に入ることを防ぐため、ペスト菌を祓うハーブを嘴部分に詰めていた筈だった。では、この男の仮面は?死んだ楢山節の霊魂は考えた。

楢山節はその晩夢をみた。鳥頭の男が小さな蛇を楢山節の口中に入れると、その蛇が喉奥を、深く、肉体の中枢に向かって堕ちていく。

翌朝、楢山節は快活に目覚めた。活気に漲っている。
この十年の若さを取り戻したかのような明瞭を得ていた。
昨晩の不思議な幻想は神の福音であったのだろうか。
楢山節は神に感謝した。壁に残ったX字のガムテープに口づけし礼拝した。

楢山節は朝食の席で快活に嫁御に挨拶をした。明確な意思で嫁御に挨拶をする等、この数年にして初めての事であった。楢山節は生まれ変わったのだ。
だが。
楢山節の嫁御もまた生まれ変わっていた。
腕が、増えていた。嫁御の華奢の体躯に不釣り合いな豪壮の男の腕が生えていた。

「その腕はどうしたの」と楢山節は尋ねた。
「懸賞で当たったのよ。」
嫁御は云った。
「懸賞って、そんなの応募してたの?」
「欲しかったのよ、腕が」
自分の腕の無心はすげなく断っておいて。と楢山節は軽い苛立ちを覚えた。
「昨晩、鳥頭の人が来て、取り付けてくれたの。とても具合が良いわ。」

鳥頭の人。それは自分が見た幻影と同一物であるのだろうか。災災と胸が不吉にざわめく。
妻の、新しい男の、腕が包丁を持って器用に台所をしていた。
その腕を見て楢山節は益々ざわめいた。先の妻の言葉が胸に刺さる。「とても具合が良いわ。」妻は一晩を見知らぬ男の腕と同衾していたのだ。妻の肉体に他の男の肉体が触れる事の嫉妬、結合する事の嫉妬であった。その腕を使ってお前は何を、と野卑た言葉を必死に飲み込んだ。

楢山節は正体の知れない憎悪が裡から湧き上がるのを感じた。その憎悪は嫁御に感じているのか、腕に感じているのか。自らが当て所ない怒りに汚染されることを感じた。
だが、それは嫁御も同じであった。すっかり関心の失せた夫が無性に憎い。何故かはしれない。
一晩のうちに夫婦が夫々の知らぬ間に敵対していた。精神の深奥から浮上した敵愾心が今や殺し合うばかりの憎悪に転じた。
楢山節は強固の頭痛に襲われた。攻撃せよ。楢山節の脳髄に何者のかの指令が下った。
嫁御もまた、脳裡に新たな知覚を得た。

殺戮せよ。

嫁御の腕が女鬼女鬼と戦闘体型に形を変えた。
変形して其れは、楢山節の識る人間の腕では無かった。片腕の掌が割れて歪つな指を持った両掌と化した。腕の付け根は妻から抜けて海獣の尾びれとなって逆立ち眼前の敵を威嚇した。合成獣だ。妻の腕は正体を現して、短指で妻の肉体を包む。


掌の怪物が、冴えない一般家庭の、朝の、食卓で咆哮する。
楢山節もまた咆哮した。闘争本能が彼の肉体を支配していた。食卓の上の皿が、その上のトーストが、その上の目玉焼きが、食卓の上で微々微々と揺れた。
嫁御の白いエプロンがふわりと舞った。彼女を包む掌が開いたかと思うと、楢山節の巨躯を掴み、捻って素っ首を捥った。
楢山節は首を失くして夥しく噴血した。

楢山節はそれで死んだ筈であった。しかし楢山節は死なない。
罵詈罵詈と音がして噴血の切断面から黒蛇が幾条噴き出して、楢山節の肉体を巻いていく。黒蛇たちは捥られた楢山節の生首を拾って切断面を癒合した。全身を黒蛇に巻かれて楢山節の心体は再び明智を得た。
生き返った楢山節は、驚いていた。首が捥がれても生きている。
鳥頭の男の夢を思い出した。
そうだ、確かに昨晩俺は死んだ。
だが、生きている。
彼は自らの肉体を省みた。
蛇と思ったものは黒いガムテープで、彼は全身をガムテープのスーツに包まれていた。楢山節は指を噛んだ。傷口からガムテープが噴き出した。全身のガムテープが蠢動する。望めば締まり、望めば緩む。伸縮して開く、そして閉じる。
漲っている。黒帯が外骨格筋と化したように楢山節は漲っている。
楢山節は強靭となった自らの肉体を自覚した。楢山節は吠えた。
俺は強い。俺はまだ戦える。

目の前の怪物を睨む。白磁を捏ねる粘土のような白い巨獣。死人の色をしている。彼の妻もまた血色失せて同じ体色をしていた。
怪人と転じた夫婦が戦って、二人が行き着く顛末は。

楢山節は我に返った。戦っては不可ない。
仕事鞄を取ると楢山節は窓ガラスを破って遁走した。


楢山節は家を、失った。家族を、失った。失ってみて、其れが平和であった事を知った。既に家庭には愛等無いと思っていた。冷えきって寒い家庭であっただ。だがそれは間違いであった。愛は熱いものばかりではない。冷めて互いに無関心となり背を向け合う仲であったが、それすら惜しむべく愛であった。

失ってしまった、俺は。
ぐらりと楢山節の生首が傾げた。其れを手で抑える。断面の肉擦れが未だ止まぬ出血の飛沫をあげる。

否、まだだ。まだ失ってはいない。俺は塒も嫁御も無くしていない。

元凶となった鳥頭の男。奴なら、俺や嫁の合成獣を除去する事も出来る筈だ。奴を見つけるのだ。そして、俺たちを真っ当な人間に戻して、俺は再びあの塒に帰るのだ
楢山節は黒帯で首を固定した。黒帯の神経伝達物質が慈和と切断面の神経回路を補修していく。
酷く疲れて楢山節は路地裏に忍んで少し寝た。全身をガムテープが包んで、繭玉となり、死んだように深く眠った。目を覚ますと夕刻も迫っていた。

楢山節はテレビ塔の上に登って其処から街を見下ろした。伊勢湾の、水平線が暮れゆく斜陽を反射していた。市街はネオンが光り始め、夜の装飾に満ちていった。不夜都市は無辺に広がっている。この何処かに、鳥頭の男がいるのだ。楢山節は屹と前を見据えて大きく息を吸った。そして、夜の街に翔んだ。

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SIPKA3000第壱話「仁王、怨怨」



「その猫を渡せ」

と男は言った。
僕は逃げた。
夜を纏う。

凶刃を持った男に追い掛けられていた。
僕の周りでおかしな事ばかり起こる。

猫が死んだ。
死体を抱えて夕暮れの街中を歩いていた。悲しかった。

鳥の仮面を被ったおじさんに出会って、僕の猫は生き返った。
でも以前とは少し違った。
形骸が霞んで見える。
猫と猫では無い何者かと、姿が二重写しに見える、気がする。存在が不確かになって仕舞った、気がする。

この猫は夜に成ったんだよ。
鳥仮面のおじさんは言った。


夜が近付くにつれ、僕の猫は明らかに巨きく成った。


仁王。
と巨体に成った猫は哭いた。
口が耳まで裂けた。
体が、夜の色をしていた。

猫の纏った青色が僕をも侵食して、僕もまた夜を纏っていた。
僕達は夜を駆けていた。

夜に自由である事はとても素敵。
夜の高みを昇れば月にだって行ける。
夜と死というものは少し似ていて、夜の住人となった僕と猫は形而下の「死」が見える。
路地裏に行き倒れている者が次第に夜に侵食されていく。
ああ、この者はいま死ぬのだ。どうか安らかならん事を。
僕達は夜の神様に祈った。そして夜に喰らわれる男の最期を看取った。
僕達は「死」或いは「夜」の静かな傍観者であった。

僕の意識は夜にしか保てなくなっていた。恐らく僕の実在が、夜にしか保てない事に起因する。夜になるといずくから僕達はかたち成して朝に成れば儚くなる存在となったのだ。この事はこうも云える。僕達は生成と消滅を、誕生と死を夜毎繰り返す存在なのだ。旭日の度に僕と、猫と、夜は、死するのだ。

怨怨怨怨
男の持つ凶刃は唸り声を上げながら戦慄していた。僕達は夜陰となって息を秘めて隠れていた。夜に溶けた僕達の目の前を男が徘徊する。
臭いを嗅いで、迂路迂路している。

全身が漆黒の男が、凶刃の男に近付いた。
「怖がらせるなよ」
凶刃の男が言った。
「怖がらせているのはどっちだよ。」
また、黒い男が言った。
「俺は子供たちに人気があるんだぜ」
街路を通り過ぎる車のライトが反射して、黒衣の男を照らした。
ガムテープマンだ、確か、彼は。神出鬼没のNagoyaのヒーロー。子供たちの味方だ。
HIGASHIYAMA ZOOに突如現れた巨獣オリオンザーから市民を、遠足に来ていた子供たち、を庇いながら決死の死闘を繰り広げた事がネットで実況されて、その果敢の姿が市民の胸を打ち感涙を滂沱させたのだ。オリオンザーの全天21光線に貫かれて腕を失い、頭を失い乍らも、仁王立ちに子供たちを死守した無私に全Nagoya市民が嗚咽を零して声援した。彼の素性は今以て知れないが、ガムテープマンは今やNagoya市民のニューヒーローなのだ。
彼なら僕と猫を助けてくれるのだろうか。頼ってみようか、誰かに。


「朝が来る」
凶刃の怪人が舌打ちした。朝が来る。僕の意識が薄れていく。また、僕達の死ぬる時間。
そして僕と猫は消えてしまった。


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SIPKA3000第零話「図流離、愚舎利」



ベルベットアンダーグラウンドを口笛で吹きながら。
マフラーを巻き直して、ポケットに手を突っ込んで、僕は街中を流れる川辺を歩いていた。
街中の喧騒が、間もなく年末を迎えようとする人々の、石畳を歩く忙しない靴音が、白く烟る息遣いがベルベッツに調和した。

ヒッピーの恋人たちが店先の鏡を覗いていた。
ダメージジーンズの若者が、桟橋の上で煙草を吸っている。スクールガール達が談笑しながら並んで歩く。老人がバンドネオンを奏でている。僕はそれらの人々を眺めながらストリートを通り過ぎる。
川辺に集まる雑踏の人々を冬の陽光か一様に包んでいた。

トゥルトゥルトゥル…
モバイルフォンが鳴った。角膜に、ジーニーの名前が映る。
「アロー」僕は挨拶した。
「アロー」ジーニーは言った。「店に来いよ」と、ジーニーは言った。
ジーニーは街の真ん中で小間物屋を営んでいる。店の来歴は古いらしいが、僕の知る限り繁盛はしていない。彼の売っているものと言えば双頭豚の頭骨で作った洋燈や、犬の剥製が鳥籠に囲われたオブジェ、72人の太古の悪魔を祀った銀製のペンダント。奇異の品々で埋め尽くされた店内は近隣からも気味悪がられている。
「だって仕方ないじゃないか」とジーニーは云う。先代のそのまた先代の、そのまた先代の、何処まで遡るのか店の創業者がそういう趣味だったんだから。目立って繁盛しないものの、そのような珍品の数々が一部の熱烈な支持を受け、愛されながら細々と店は続いていた。

電話を切って僕は川沿いの道を遡り彼の店に向かった。

道端に誰が棄てたものかバナナの皮が落ちている。

バナナの皮が、落ちている。


進路を変えずして躊躇なく踏むべきか、踏まざるべきか。是は文学上の大きな課題である。世の中には二種類の人間がいて、バナナの皮を踏む人間と踏まざる人間。それはこのように言い換えることもできる。挑む者と遁げる者。
いま僕はバナナの皮の選択肢に対して自由である。だが、もしバナナの皮を踏まないとして、それでは次回にバナナの皮に対峙した時に僕はどうするのか。踏むのか、遁げるのか。矢張りその時も僕はバナナから遁げるのか。そして僕は今後の一生をバナナの皮から遁げねばならぬのか。
否、バナナの皮を畏れるなど、そんな人生を歩む訳にはいかぬ。克己である。何事も乗り越える壁である。人生は眼前に立ち塞がる壁を、永遠に現れる壁を直向きとなって繰り返し越えていくものだ。僕はバナナの皮を踏まねばならぬ。その壁を超えねばならぬ。踏むのだ、踏め、バナナを。踏みつけろ、畏れるな。等と考えているうちに僕はバナナの皮を躊躇なく踏んで、滑って、落下して、後頭部を街路に強かに打った。
力の加減が悪く、愚舎利と後頭部の骨は砕け、僕は敢え無くなった。

一寸先は闇と言うけれど。
一寸先は闇と言うけれど。

僕は果敢無くなって、途方に暮れた。
途方に暮れる僕の眼前に鳥頭の男が現れた。

「お前をバナナの皮被り人間にしてやろう。」と鳥頭の男は言った。

「バナナの皮を被るのは倫理上あまり良くない気がしますから、せめてもう少し何とかなりませんか。」
僕の霊魂は肉体から離れてしまっていたが、立ち上がって鳥頭の男に応えた。

「遁げるのか、バナナの皮から。」
「いや遁げない。」
「それなら良いじゃあないか。」
「バナナの皮が腐るかも。」
「腐らない。」
「小鳥につつかれるかも。」
「多分大丈夫。」
「でも」
「遁げるのか」
「いや遁げない」
長い押し問答をして果たして決着は。

鳥頭の男も僕も互いにひかず、痺れを切らした鳥頭の男は問答無用で僕をバナナの皮被り人間にしてしまった。
「ちょ」
異議申立てる間もなく鳥頭の男は消えた。かくして生き返った僕はバナナの皮被り人間になった。
バナナ、か。ポジティブフレームで物事を計れば、バナナの皮を被る事も悪いことばかりではない、筈だ。そう、きっと良い事だって、ある。

(短編小説「Sipka3000(ガムテープ・オンザ・ウォール)」村崎懐炉)

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本小説には造形作家 植田明志さん、eerie-eeryさんのオブジェをイメージに使用しております。

造形作家 植田明志ホームページ

造形作家 eerie-eeryさんホームページ

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