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【まがいもの】眠れぬ夜の奇妙なコメント師

先日はNEMURENU42th(眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー第42集)「まがいもの」のご参加、ご観覧ありがとうございました。

皆様の「がり」、しかと頂戴致しました。

「アンソロジー」がまとまると奴らが来る!

NEMURENUのアンソロジーがまとまると何処からともなく「コメント師」がやってきて作品について放言致します。彼らの名前は「眠れぬ夜の奇妙なコメント師」。無礼講故、諸々の発言はご容赦下さい!
(批判はダメです。)

というわけで、この度も集った「コメント師」様の発言集、ただいま開幕でございます。





NEMURENUバーマゼンタ

硝子兎 さん

コメント師プロフィール
講評は出来ないので感想を書かせていただきます


コメント
「透明の戯れ」りりかるさん
美しい魔性の魅力を持つ主人公と、それを取り巻く人々の愛憎劇場です。魔性の魅力、と文字にすれば五文字ですが、それを如何に読者に伝えるか?書き手の腕が問われるところですが、主人公を見つめる人々の目を通した描写は見事のひとことです。関係性によって表現が変わり、人物毎に語り口も違うという。芸の細かさに驚きます。
起こったひとつの事実と多人数の視点で描かれた状況。矛盾が無いよう細かく計算して書かれているのが分かります。昏く怪しくエロティックな側面と、パズルのように緻密なミステリという側面が違和感なくひとつにまとまった、とても贅沢な読書体験でした。

掌編小説『如月、おばさん』武川蔓緒さん
仕事相手から「『恩師』を連れて来い」と言われた主人公が連れて来たのは”おばさん“。
恩師。捉え方にもよると思いますが「恩師」と言われて誰かの面影が浮かぶ人は幸せでしょう。思い当たる節がない、という方が普通ではないでしょうか?
おばさんは主人公にとって何の分野での「恩師」なのか?……ここが肝であり、斜め上キターという驚きであり痛快、なのにとても説得力があります。スカッと爽やかな裏切られ方は小説の醍醐味。こういう魔法(?)あるかも、あったらいいなぁ、楽しかったなという読後感でした。

「二ノ坂」海亀湾館長さん
カメラマンである主人公の目を通した羽黒山と山頂への階段。描写がとても素晴らしいです。目に浮かぶように生き生きと、それでいて文章も格調高く美しい。文章を作る技術の高さと、情景を文字に変換する書き手の感性の鋭さ。ただただ感心しながら読み進めると、転調する瞬間が訪れます。
そして急転直下、鮮やかに決まる着地。ただオチが秀逸、というだけではなく、俯瞰して見ると詳細な霊山の描写があってのラストであり、その流れがあるから物語の最後に主人公が抱く感動が読み手にダイレクトに伝わるのだなと思いました。不思議な旅のひと時を一緒に過ごしたような、貴重な体験をしました。





NEMURENUバー紫

夏目坂出水 さん

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「呪術廻戦」と「ジョルジュ デュブッフ」がうまく発音できません…。


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04 小説「脳響」ムラサキさん
本当に語彙がなくて情けなくなるのですが、凄く凄く面白かったです。自分が信じているものが、実はまがいもので、信じていないものが本当なのかもしれませんね。そして、今、密かに脳響水をつくろうとしている自分がいます。まずは脳響水Cから…。

05 漫画「贋作」トザキさん
とにかくキャラクターひとりひとりの特に瞳が魅力的!「ほんもの」って一体、なんなんでしょうね…。「今来なくても、必ず来るものは来るのだ」7話でウォルトとエドのふたりになにが「来る」のか、楽しみです!

17 小説「ドロシー・イン・フラノ」朝見水葉さん
うまく言葉にはできないけれど、何度も読み返したくなる作品。蝋人形と義歯、アルゲリッチと夜会巻きがシンメトリックになっているのが印象的でした。「このまま何処かへ行きたいかい」という問に対する「どこかへ帰りたい」というミラの答えにはぐっときました。それは私の中にもある答えであるような気がします。





NEMURENUバー緑

ゴテンマリシティ さん

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……遅刻しました
……読んでいます
最近気に入った飲み物:ペプシスペシャルゼロ(特保)


コメント
 コラムと学術文献にまだ読み切っていない記事がありますが、今月のアンソロジーも素晴らしかったです。創作も全部良くて、選ぶのが苦しいくらいでした。こんなとき「偏れ!」という言葉は救いになります。今月も以下の作品に偏らせて頂きます。

16 小説「透明の穢れ」りりかるさん

 ミステリーが好きな人や純文学が好きな人は、今回のりりかるさんの作品に引き寄せられ、感銘を受けた人は多かったのではないかと想像します。まず撞着語法で付けられたタイトルからすでに吸引力がありました。読み終えて、被害を受けた人たちのすべてから愛されている紗雪を一言で表すならやはり、矛盾する言葉同士を繋げた、透明の穢れ、以外に的確な表現はないように感じます。見事なタイトルだと思いました。本編は七人の人物による告白体で書かれています。全部で七章、本人を含め、そのすべてが紗雪という謎の女性について語り、そこにミステリアスな出来事を溶け込ませ、読者を最後まで誘惑して離さない構成です。個人的には〈其の四岩井〉の告白は、この小説の展開の中では肝だと感じます。紗雪の正体をチラリと見せつつ、さらなるミスリードを仕掛けて読者を翻弄させる章です。岩井の告白を終いまで夢中になって読んでいるときの私は、すでに作者の手のひらの上で転がされていたことになります。〈其の六鮎川〉ではミステリー好きも納得の解き明かし場面となり、作者の緻密で周到な物語構成に感嘆する他ありませんでした。小説の構成のみならず、文章の表現にも目を瞠る箇所がいくつもあり、登場した七人については独白を生かした形で人間としての深みが描出されていて、純文学好きも納得の読み応えをもたらす作品に思います。この物語の鍵はヘーゼル色の瞳に集約されるのだなと感じます。このような面白い読書体験にめぐり会えるのは幸福です。楽しかったです。

17 小説「ドロシー・イン・フラノ」朝見水葉さん

 朝見さんの作品は、文章と展開に独特の妙味があります。段落に潜む大胆な省略と計算された結合を、私は読んでいて感じます。それらは細切れの絵としてイメージされ、それを読みながら繋ぎ合わせると、ひとつの映像になって意味を持つようになる場合もあれば、のちに起こる事象の伏線として効果を発揮する場合もあります。冒頭、喪服を着た主人公を乗せたタクシーが通り雨の田舎道を走っていて、後部座席に座る主人公は偉丈夫だった祖父を思い出しています。腹部からせり上がる香水、看板の剥げた精米所、時間の感覚を失わせる田舎道。これらはすべてあとになって意味を持つものであり、無駄な言葉は一つもここには費やされていません。通り雨は、言うまでもなく終盤の虹のために降らせる必要があったのだと気付きます。緻密に作り込まれた作品は、読み解く楽しみを読者にもたらしてくれます。私が個人的に素敵だなと思った箇所は〈ミラは、祖父と祖母の蝋を介した関係性を不思議に思った。〉という文です。簡単に固まり、簡単に溶ける蝋という性質を、直接のやり取りをしないで間接のやり取りを望んでいる二人の特殊な関係になぞらえているのを感じました。蝋は二人の距離感でもあるわけです。余談ですがこの作品で好奇心を刺激され、ネットで夜会巻きの手順を教える動画を見たのですが、巻いて形を作る手際が魔法のように思えてしまい、今度飛行機に乗るときは(失礼にならない程度にですが)注意してみてみようと思いました。

08 小説「如月、おばさん」武川蔓緒さん

 主人公はファッションモデルをしているS君ですが、この小説の語り手は、そのS君と同じ事務所に所属する先輩、という設定です。私がこの作品を魅力的に思うのは、この先輩の語り口がユーモアに溢れていて、ファニーな印象を与えているからです。これは武川さんの巧みな言語センスによるものだと感じます。「恩師」を連れてくる状況で、S君はなぜか「おばさん」を連れてくるという大胆な行動を起こしますが、それまで語られたS君の印象から、彼ならやりかねない、と納得してしまうところがありました。まさに語り口の勝利と感じます。また、細氷の使い方も素敵です。私はこの細氷を、アニメなどで魔法を使うときに、ステッキの先や指先などから飛び出す星のようなものだと捉えました。おばさんが登場するシーンでは細氷に包まれて出てきましたが、全身から魔法の瘴気が放散されている様を想像して、再読したときはこの場面に興奮しました。おばさん、という存在への着目がこの作品を特別なものにしていると感じました。




NEMURENUバーB

目覚ましコンクリートじゃなかったんですかっ さん

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千本松由季さんのYouTubeチャンネルを視聴しています


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『脳響』ムラサキ氏

第一章タイトルで、まず大爆笑しました。その後もムラサキ節を堪能し、顔文字やべー((*´∀`))ケラケラで読了した一周目でございました。
ぶっちゃけ、引用部分はななめ読みでしたが、じっくり読んで二周目、深刻にやべぇです。「成幸」とか、妙な漢字の当て字をするセンスはカルトの特徴と思っておりますし、とてもとても、まともとは思えません。I氏がスケープゴートに見えて、ぞっといたしました。尽くして尽くして尽くして切られたんだ、きっと(ノД`)シクシク
詳しくは濁しますが、たいへん興味深かったです。


『二の坂』海亀湾館長氏

ワイルド『わがままな大男』、トルストイ『愛あるところに神あり』、石川淳『焼跡のイエス』の三つを、「イエス様はそこにいたんだ系のお話」と勝手に呼んでおります。子ども、寡婦、老人、病人、貧乏人、罪人等「弱者」の中にイエスを見出だすのが、どうやらキリスト教らしいようです。
私の棺の中に一冊入れてもらうとしたら『わがままな大男』を選ぶくらい、特別にこの物語が好きです。
『わがままな大男』を読んだときの、すとーんと落とされたような感覚を、『二の坂』でも持ちました。
人生には上り坂、下り坂、「まさか」があるといいますが、『二の坂』というタイトルも意味深でそそられます。
『二の坂』の「その人」は、「弱者」というより「立派な人」なので、おそらくキリスト教的ではないのだろうと思います。作者海亀湾館長氏のコメントにて、「その人」は――かもしれないという推察があり、なるほど日本的だと思いました。


『ドロシー・イン・フラノ』朝見水葉氏


これまで朝見氏の作品において、頬が叩かれる(表現は違いますが)のを読むと、やや気が重くなっておりました。
本作品では、頬を叩くどころではない暴れっぷりに加えて、そうと行動した理由が述べられていましたが、初めて腑に落ちたようにも、ギャップ萌えしたようにも感じました。
作品に籠められた濃厚な何かを呪詛と見紛うところでしたが、これは、呪詛返しだ、なんて思いました。
本物の子ども――思春期以前の、かつ大人による作り物めいてはいない、子どもが(作品に)いる、とも思いました。
ミアは大人っぽいですが、本物の子どもに見えました。
ピュアとか言うのはありきたりで申し訳ありませんが、ピュアでした。米つぶが眩しいです。




NEMURENUバー茶色

水素酸素水素 さん

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疲れると猛烈にジャンクフードが食べたくなる。身体が必要とするのは、そのようなものではないのだろうが・・・。


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「まがいもの」。
オリジナルではないのだ。正規品ではないのだ。
人生の大通りから外れ薄暗い小道を歩いているネムキ派に、これ以上魅力的なお題は無いとさえ言える。
もっとも、このアンソロジーに寄せられた各作品は、決して何らかの模倣に留まるものではない。作者それぞれの情熱と知識に裏付けされた正しく正規品である。

短編小説「脳響」 ムラサキ氏
秘密結社「ムラサキミステリールポライター」(通称MMR)によるルポルタージュである。その対象は「池田剛士」。前アンソロジー「うどん」の中で、「ムチンとは・・・・・・」と謎のコメントを投稿された御仁だ。
ムラサキ氏にとっては全く考えてもみなかった角度から絡まれたようなもので、怒ったり無視したりしても自然なことではあった。しかし、ムラサキ氏はそうはせずに、しっかりと調査を重ねた上でこのような作品に仕立て上げた。これは、たぐいまれなる筆力と共に海のような大きな器がなければできないことだ。主宰に心からの敬意を捧げる次第である。

透明の穢れ りりかる氏
主人公紗雪は、外見と実際の性別が異なるように設定されている。しかし、ジェンダーフリーが叫ばれる昨今、これは「まがいもの」ではない。作者が「まがいもの」として設定したのは、外部から紗雪に寄せられる期待「透明感」と紗雪自らの認識「穢れている」の違いではないだろうか。
しかし、私は言いたい。紗雪は決して「まがいもの」ではない。外部の人が彼に望んだものをしっかりと返し、満足感を与えているのだから。むしろ「まがいもの」と言えるのは、スナックで高い金を取りながら客を楽しませることができないホステスではないだろうか。そうだ、彼女たちを楽しませ場を持たせるために客がしゃべらなければいけないなんて、何かが間違っている。これこそ「まがいもの」ではないか!(個人の見解です)

短編ゴシックホラー「悪魔城ITABASHI」 民話ブログ 氏
現実世界とゲーム世界の境界線があいまいとなったゴシックホラー。そこには「まがいもの」が溢れているのかもしれない。
では、何が「本物」で「正規品」なのだろうか。
あるいは、そんなことを考えること自体に、既に意味は無いのかもしれない。「本物」であろうと「まがいもの」であろうと、それは目の前に存在しているのだ。主人公たる自分は、その中で生きていくしかないのだ。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりなのだから。




NEMURENUバーR

亡骸三太夫 さん


コメント師プロフィール
漢中天坑群に月兎と一緒に暮らしている。主食は煎餅。好きな芸能人は羅生門綱五郎。
関節が弱い。最近血液が緑色になる。
好きな言葉は「鯨骨生物群集」


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茅屋に転居して間もない頃。その春先。砕石敷き詰めた裏庭の地面が割れて幾本かの得体の知れぬ芽がにょろりと生えた。雑木と思って摘むいだり、切ったりするのだが、後から後からにょろりと生える。とうとう諦めて生えるが儘にしておいたら、にょろりの木の正体は柿木であった。其の威勢は家人の精気を吸うが如く、ひと夏で腰の高さになって、翌年には背丈を越えた。柿木は盛夏の中でにょろにょろ伸びて、晩秋に落葉し、冬は死体の如く眠る。越冬して春になると若葉が芽吹いて煌煌光り、またぞろ夜目を盗んでにょろにょろ伸びる。幾歳を経て柿木も立派に生長し、本年の盛夏に緑白の花が一斉に咲いた。台風も来ない平和な九月で緑白の花は萼を膨らませて緑白の実となった。緑白の果実は夕陽に染まって色を濃くして照柿となり、幾つかは熟れ堕ち、幾つかは鳥族の餌になり、幾つかは吾が手に収穫されてキッチンの出窓に並んだ。十月。並んだ柿共は静かに熟する事を待っていた。半渋柿で熟しきらないと食べられない。熟れて溶けるまで時期を待つ。毎朝、柿の実を転がして熟れ具合を確認するのが日課となった。熟して溶けた柿は実を崩さぬように皮剥きして四等分に切り、小皿に乗せて朝食に出す。其れ等が一つずつ食べられて、今朝最後の柿が無くなった。およそひと月をかけて十一月。我が家は冬となった。
一日ごとに柿の実を転がして、熟成を確かめる。熟成を待つ。気を揉んでも地球の自転速度は変わらない。時間とは不自由、不随意のものである。今月のアンソロジーも力作が多く大いに楽しんだ。並べられた作品は日向に並んだ柿の実に似る。それ等を転がして三作を選ぶ。柿の実に因んで、緩徐と時間を掛けて円熟された作品を今回は選びたいと思うのだけれど、今回は本当に選びきれないで困る。とりあえず五作品まで絞った。更にこれを三作に絞るのだけれど、どうにも選びようもないので、風水とか月齢とか、明日の天気や今日の血圧などで選ぶのでもう本当にすみません。
理柚さん「まがいもの」海亀湾館長さん「二の坂」民話ブログさん「悪魔城いたばし」

円熟とは深みであって、深みとは重層であろうかと思う。
熟した柿の味わいは甘味、酸味、旨味、渋味の調和であって、甘いだけでは無い。
物語もあらすじをなぞらうばかりでは些か無味乾燥で、彩りが必要である。彩りとは登場人物の人間模様の綾であるとか、文体の妙などエッセンスは多々あるが、今回は物語に配置されたオブジェクトから織り成される深みのある世界観に着目する。

理柚さんの作品を今回選んだが、いつもは作品を選ぶ際に文章量も考慮するので詩、を選ぶことは稀有な事であるけれど、理柚さんの扱われる言葉一つずつが重厚であった。例えば舞台は「死人の匂いがする街」の「がらくたに埋もれた骨董店」。小説であれば街の様子、店の様子を長冗に語る所だが、それらの説明は無い。が、伝わる。ひとつの言葉が原稿用紙数枚の質量を持っている。重厚の言葉が読者としての私を世界観に没入させる。その出来事は旅行と呼ぶに十分で、その体験を短いとは思わなかった。言葉、はそれ自体、物語を孕んでいる。つい、私も無駄の多い冗長の表現で疎まれる癖があるので見習いたい作品であった。
海亀湾さんの実在の場所を舞台にする事で辺縁の情報量が増えて、文章に表記される以上の世界観が広がっていた。場所にまつわる種々の情報も丁寧に提示されてそつがない。山深い急坂、蜂子皇子、霊山。飛鳥の都からの逃亡劇によって辿り着いた最果ての聖地。世界観が神秘に満ちている。だが、その神秘は現実世界の事物である。本作品は海亀湾さんの実体験に基づく極めて現実的な小説ながら、幻想小説として成立するところに面白さを感じた。もしも舞台が羽黒山でなく、或る国、或る処の山中の坂、としていれば、逆に幻想性は消失したのかもしれないし、現実世界のオブジェクトを用いて、現実世界の物理法則で物語展開したからこそ幻想性を発揮されたとも言える。思考が現実と幻想を行き来するような、虚実の空隙に心地良さを感じた。
民話ブログさんの物語展開は「板橋駅」「悪魔城ドラキュラ」「ゾンビパニック」「失業者問題」と四つの柱から成立している。これらの突飛な要素が突飛な物語を形成しているのだが、これらは全て民話ブログ氏の日常生活に存在するオブジェクトである。日常から物語を発想する力に優れている。常日頃、民話ブログ氏はこのような夢想の中に暮らしているのだろうと想像するが、それは例えて言うなればプリンスエドワード島の田園風景にキラキラネームを与え続けた赤毛のアンの如きものなのかもしれない。空想力は人生を楽しむ秘訣なのだろうと思う。本編に登場する奇特なキャラクターたちもまた民話ブログ氏の日常生活の住人である。海亀湾館さんの作品は現実世界のオブジェクトを現実法則に従って用いることで幻想小説に仕上げた。民話さんは現実世界のオブジェクトを強度に虚構構成してエンターテイメントに仕上げた。小説の素材が作者の体験から得られているという事に共通性がある。例えば私という人間は誰であるかと言えば、私は某系某派の某氏であり、某世界に於ける某氏であり、或いは某家の某。某家の飼育するウサギの主人である。人間存在は多側面であり、この多側面が人間存在の深みである。現実は小説よりも奇であると言うけれど、現実世界の複雑なユビキタスを小説作品に網羅することは難しい。小説は現実のデフォルマシオン。ノンフィクションはフィクションの手本である。民話ブログ氏は喫茶店に行くと周囲の客をよく観察して奇人変人をノートする。先日は喫茶店内で○○で独語する人物を見かけたという事なので、それが今度は小説世界でフィクション変換されて××で独語する怪人が登場してくるのだろう。いや既に氏の目には××独語の怪人が見えていたのかもしれない。小説家は現実視点と草稿バイアスの二重露出の中に暮らしている。下を向いて他人と目を合わさぬように暮らしている私にはそのような観察眼はない。羨ましい話だ。
理柚さんがこの度、詩を書いておられるが、詩は現実世界を詩言語変換して再構築する作業で、詩言語とは「兎」を称して「躍動の白骨」などと呼ぶ、世間一般的には厨二病とも呼ばれかねないアレである。詩人が語る言葉は詩言語であるが、見ているものは現実である、これは海亀湾館さん、民話さんの視点にも通じる。
本当は作品世界に深みのある作品としてあと二作品或いはもっと挙げたいのだけれど、本日の血圧の具合で上記三作のご紹介となることをお赦し頂きたい。言いたい、言えない。記述できない残りの二作品については上述の主旨からお察し下さい。
一概に言えないが、私こと亡骸三太夫の評価基準として。・文量、読み応え、世界観の奥行・登場人物の相関・物語の新奇性・文体の中毒性等で作品を選ぶ傾向が高い、気が、します。

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以上、六名のコメント師様でした。
コメント師の皆様、今月もありがとうございます!


次回テーマの発表!

眠れぬ夜の奇妙なアンソロジーではテーマをアンケートで決めております。
さて、気になる今回の投票結果はこちら!

・・・

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・・・

ナニカナ?




43集テーマ決定

すんなり決まって良かった!
「フォビア」です!

ちなみにゼロ票の「お金を拾う話」は私の発案でした。お金を拾いたい!


・・・フォビアとは?
以下ウィキペディアの引用です。

恐怖症(フォビア)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
恐怖症(きょうふしょう、英:phobia)は、特定のある一つのものに対して、心理学的および生理学的に異常な恐怖を感じる症状である。

主な恐怖症の分類
下記に国際疾病分類第10版による主な恐怖症の分類を示す。分類番号があるものは付記しておく。

広場恐怖症
広場恐怖症(アゴラフォビア)F40.0-1
過去に外出恐怖症あるいは空間恐怖症とされていたものを含む。

社会恐怖症
社会恐怖症(ソシオフォビア)F40.1-1

対人恐怖症 F40.1-5
赤面恐怖症
孤独恐怖症(モノフォビア)
下記は特定的な対人恐怖症として扱われる。

男性恐怖症(アンドロフォビア)
女性恐怖症(ガイノフォビア)
同性愛恐怖症(ホモフォビア)
外国人恐怖症(ゼノフォビア)
イスラム恐怖症(イスラモフォビア)
ペドフォビア

特定の恐怖症
高所恐怖症(アクロフォビア)F40.2-1
歯科治療恐怖症 F40.2-2
先端恐怖症(ベロネフォビア)F40.2-3
単一恐怖症(モノフォビア)F40.2-4
単純恐怖症 F40.2-5
動物恐怖症(ズーフォビア)F40.2-6
蛇恐怖症(オフィオフォビア)、犬恐怖症(シノフォビア)など。クモ恐怖症(アラクノフォビア)などもこれに該当する可能性もある。
閉所恐怖症 F40.2-7
暗所恐怖症
血液恐怖症(ヘモフォビア)
死体恐怖症(ネクロフォビア)
死恐怖症(タナトフォビア)
飛行機恐怖症
雷恐怖症
火炎恐怖症(パイロフォビア) - A burnt child dreads the fire. 「火傷をした子は火を怖がる。」(類似として「羹に懲りて膾を吹く」)の諺がある。
らい恐怖症:日本のハンセン病問題を参照。
効果音恐怖症:風船などの破裂音や金属音などによる恐怖症。
花恐怖症
嘔吐恐怖症
失敗恐怖症
放射線恐怖症
集合体恐怖症(トライポフォビア)

その他
新奇恐怖症(ネオフォビア)
古物恐怖症(パレオフォビア)
身体醜形障害

迂闊にネット検索すると「怖い画像」がいっぱいヒットしちゃうから気を付けて!

欲望(ミメーシス)は模倣する、という言葉がありまして。
欲望って後天的に学習することが多いんですよ。
「目覚める」という事なんですけれどね。
縄で縛られている女の人を見たことが契機となって、サディズムに目覚めてしまった、とか。そんなものを見ることがなければ、一生目覚めなかったかもしれないのにね。

と、同じく恐怖もまた伝播、感染。、模倣します。
今回の企画があなたの「新たな恐怖の扉」を開いてしまわなければ良いのだけれど。

一生消えぬ刻印を押されぬよう、ご注意下さい。


ちなみに私は高所恐怖症です!高いところもダメですし、天井が高いのもダメです。観覧車とか無くなれば良いのに!

というわけでNEMURENU43th「フォビア」の作品募集開始です!

NEMURENU「眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー」は文芸、音楽、イラスト、写真オールジャンルで参加出来るアンソロジーです。
第43回【恐怖症フォビア】は11月末日頃締切です!
皆様奮ってご参加下さい!

次々回テーマ候補を募集しています。


次々回テーマの候補を募集中です
次回テーマの投票の候補も公募にて募集しています。次次回(2021年12月号)のテーマの候補をご応募下さい。以前採用されたテーマでも応募可能です。お好きなテーマは何度でも。一度落ちても何度も応募すれば採用されるかも。


皆様に愛を!
眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー「NEMURENU」は毎月開催中。ご参加はお気軽に!

#ネムキリスペクト #NEMURENU