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映画鑑賞の備忘録「東京暮色」

「東京暮色」★★★

小津安二郎監督作品。

小津安二郎の「東京物語」が善良な市民のやるせない哀愁を描いた事に対して「東京暮色」は悪徳の市民たちのやるせない物語である。

「上品」である小津安二郎作品の中で悪徳の市民を描く事は異色とも言える。登場人物たちは酒や麻雀、不倫に耽っている。堕落である。堕落する人々を満身の人類愛を以て描いている。小津映画にとっては挑戦であったろう。生きる事において堕落と衝突は不可抗力。個々人の人生の事情に配慮が至らない事も不可抗力。

家族愛がテーマである。家族愛をテーマにするために擦れ違う家族の姿を描いている。笠智衆が父である。堕落していく事に異を唱える。だが、止められぬ。何も出来ず手をこまねいている。善良な原節子が善良を信じて妹を庇護している。だがそれも誤っている。必要なものは庇護ではなく受容であった。
堕落する事の寛容であった。
不倫の果てに子を捨てた母を、放蕩して行き詰まった妹を許す事であった。
堕落は止められぬ。本人の、周囲の意志とは無関係に、血脈の呪いとでも言うかのように始まった落伍は止められぬ。それが哀しい。
坂口安吾は堕落論に於いて「生きよ」と説いた。堕落しても生きる事が専決で、堕落も止む無し。人間は倫理に生きるのではなく貪欲に堕落に生きるのだ、と説いた。堕落を受け容れられぬ社会。孤立していく堕落人。訪れる悲劇。
堕落は倫理の影である。倫理など世に無ければ堕落も無い。手前勝手に作られた倫理に適合できぬ事の悲しみよ。数多の抹殺された堕落達よ。堕ちよ、生きよ。悲しみの中で落伍せよ。

「東京物語」他小津安二郎監督作品で高学歴高収入の役割を演じていたキャスト達がうらぶれた世間の片隅に生きる人々を演じる事の妙があります。倫理を押し付けちゃあいけないよね。堕落する事は罪では無かった。考えさせられます。

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汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐きつねの革裘かわごろも
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠けだいのうちに死を夢ゆめむ

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気おじけづき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる

中原中也「汚れつちまつた悲しみに」抜粋

#映画レビュー #小津安二郎 #東京暮色