《 エッセイ no.3 》わたしを諦めない
こんばんは。村嵜千草です。
タイトルは、わたしがときどき思い出す言葉です。
自分の側に置いてある大切な言葉という意味では座右の銘とも言えるかもしれません。
文字通りわたしがわたし自身を、
直接的に言うならば命というものを諦めそうになったときに、
尊敬しお世話になっている方に言われた言葉です。
「千草さん自身が、千草さんを諦めないであげて」
書いてみてうるっと来るくらいにはずっと大切な一言です。当時の状況や環境、その方の真っ直ぐで強い目も同時に思い出されます。
とは言いましても、ひたすら修行のように己に言い聞かせるだけでは今ここにわたしはいないだろうとも思います。
自分を諦めそうになるとき、諦めたい念慮に支配された頭は「わたしを諦めないわたし」を見失うくらい必死で追い込まれているからです。
一人きりでいたならば誰も自分を止める者がありませんね。
それでもこうして今は文字にして綴っているのです。
座右の銘だなどと大層なことを言ってみたりしているのです。
結局のところわたしはわたしを諦められていません。どうしたって大切な家族や友人たちが諦めてくれないんですもの。
「わたしを諦めない」というのは、わたし自身と、
それからそうしていてくれる周りの人との言葉なのだとつくづく思います。
わたしがわたしを諦めないで、と思い出させてくれるのはいつも仲間ですし、
「どうしてこんなに面倒な人間を」と思っても「あなただからだよ」と笑ってくれるし、
すれ違っても喧嘩をしても、懲りずに向き合って近寄ろうとしてくれます。
わたしはわたしを諦めてくれない大切なひとたちに、ありったけの感謝をお返ししなくてはなりません。
具体的には、分かりません。ただひとつ、「わたしがわたしを諦めないでいる事」はもしかしてほんのちょっぴりのお返しになるかもしれないと思っています。
諦めないで、笑って泣いていようかな。
それだけで毎日幸せな気がするのです。
そもそも諦めないことの意味だとか、どうして諦めちゃいけないのとか、
考え始めたらキリのないことは山ほどあります。
答えなんてあるかも分かりません。
だからこの、今わたしの持てる「諦めていない時間」の中で嫌というほど考えてやろうと思います。
諦める、ことを考えながら、
諦めない時を、過ごします。
家族、友人、何かで繋がったどこかの誰か。
根気強くてやさしいひとへ心からありがとうを。
2022.02.12
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