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文章を書きたいのか、意見を発信したいのか
文章を書きたいのか、意見を発信したいのか。
物書きになりたいという人は、この点をしっかりと考えるべきでしょう。
ひとことにブログを書くといっても、単に情報発信したいという理由から書く人もいれば、文章を書くのが好きで書くという人もいます。
文章を書く理由は人それぞれでしょう。しかし目的をはっきりさせないとモチベーションの低下につながります。
わたしは情報発信のために書いています。数ある情報発信の手段のなかで、文章という形がいちばんやりやすいので。煽りがしやすいという点でも文章は優れています。
ブログは手段であって目的ではない
ブログというのは、あくまでも情報発信のいち手段です。
ブログをやっている人のなかには情報発信したい、人の役に立ちたいといった目的を持っている人もいるでしょう。
そのような目的のためにブログを書くというのであれば、自然といい方向に更新されていくはずです。
もしブログを書くことそれ自体が目的化した場合、なぜブログを書くかというのが曖昧になってしまいます。誰かとつながるわけでもなく、問題提起をするわけでもなく。
コンテンツですらなくなる可能性も高いです。時間のむだになってもおかしくはありません。
言うまでもないことですが、個人攻撃のためにブログを書くのはやめましょう。誰かを貶めるためにブログを書くとかアホらしいですから。
それよりはアウトプットのためにやった方が何倍もマシでしょう。祭りに参加するためのネットとか意味がないです。
ゴールが遠くにあってこそ文章が生きる
つまるところ、目指すものがはっきりとしていればブログが生きますし、書く文章にもキレが生まれます。
通過点や手段としてブログを書いた場合、自然とまとまりのある文章になります。
これはある意味で資格と似ています。資格を取ること自体がゴールであれば効率が悪いですが、取って当たり前と考えてしまえば効率が良くなる。それと同じ話です。
文章を書くこと自体を意識しないことで、かえって文章の質がよくなる。皮肉ですがこれが真実です。
インプットがアウトプットに反映される以上、これも当然のこと。
いい文章を書きたければその分いい体験をしたり、ヴィジョンを持ったりする必要があります。ときには傷つくこともあるでしょうが、それなしにはいい文章など書けません。
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