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僕と相模屋

小さい頃、どうやら僕は変わった子供だったらしい。

落書き帳には、夥しい数の迷路を書いていた。最初に覚えた漢字は、電車の行き先の「品川」。熱中すると周りの声が聞こえなくなる。

保育園では、階段から転げ落ちるわ、海に行けばパックリ足の裏を切るわ、椅子を積み重ねて上に乗り落下して骨を折るわ、今思えば、保育士さん泣かせの子供だっただろう。

椅子からの転落事故では、かなり盛大に折ったらしく、若干6歳にしていきなり入院を経験する。最近は自宅療養が基本だから、長く入院すること自体が滅多にないらしい。しかし当時は、腕を折っただけで1ヶ月も入院になってしまった。
腕以外は元気なので、本人は退屈で仕方がない。足でプラレールのおもちゃを遊んだり、同じく足を折って入院していた隣のお姉さんと仲良くなったりしていた。

さて、相模屋との出会いは、まさにこの病院であった。香ばしく、甘辛いタレに絡んだ、一本当時60円のジャンクフード。およそ病院に持ち込まれるとは想定していないそれを、世話焼きの祖母が買ってきたのだ。

今の僕から見れば、他の人も居るその大部屋に、なんてものを持ち込んでいるのだろうと思う。でも、何故か、その時の豚バラの焼き鳥(しかも鳥ですらない)は、今も強く思い出に残っているうちの一つだ。

既に亡くなっている父方の祖母は、はっきり言って、TPOに長けたタイプではなかった。しかし、世話焼きで、人を助けたいという気持ちが強い人だった。恐らくそれは父親にも、僕にも受け継がれている。

小さい頃に染みついた味の好みは、そういう世話焼きの性質と同じくらい、そう変わることはない。今でも相模屋の焼き鳥は僕のDNAの一部だし、他のお店の焼き鳥も美味しいけれど、なぜか物足りなく感じてしまう。

今や1本100円もするので、ジャンクフードの域から外れつつあるけれど、、これからも僕は相模屋の焼き鳥を愛し続けるだろう。

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