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奏者は作曲者の思いをどこまでくみ取るべきなのか?

いきなり宣伝(?)です。私が初めて作ったマンドリンの為の二重奏曲「覚めない夢」が、ピアスコアさんに登録されました。

初めて二重奏用の楽譜を書いたもんですから、無料配布版は楽譜の体裁がひどいもんです。

今回は体裁を整えて、一応作曲者名として私の名前も入れて登録しました。販売が目的なわけではなくて(売れたら嬉しいけど)、ちゃんとしたところに掲載するという目的でもない限り、楽譜を整えるということをしないと思ったので。せっかく作ったのにほったらかすのはもったいないですしね。あと三十数曲も頑張って体裁を整えていく予定です。

さて、そこでふと思ったのが、そもそもの楽譜の正しい書き方をしらないということ。「楽譜の書き方」みたいな本は売ってるんでしょうか?(探してみようっと)ひとまずは見様見真似と、ミューズスコアさんがいい感じにしてくれていると思って作ってます。

しかしここで大きな壁が!トレモロとピッキングの指定の仕方が分かりません。マンドリンを弾く人のあるあるだと思いますが、トレモロとピッキングのどちらで弾いたらいいのか分からない楽譜ってものすごくありますよね。楽譜に何も書いてない、書いてあっても表記が千差万別過ぎ。そしてこの問題って永遠に解決されそうにない(笑)。

「覚めない夢」については当初、「tremolo」とか「8分音符=ピッキング」と書いていたんですが、今回は消しました。最近は、トレモロで弾いて欲しいところはスラーを付けて、ピッキングで弾いて欲しいところはダウンマークを付けています。

けれど最近はそこまで指定する必要があるのか?と考え始めました。

私はマンドリン合奏団に所属しているので、クラシック音楽的に曲を解釈して、なるべく楽譜に忠実に弾くという演奏の仕方をしているわけですが、最近アンサンブルでブラジル音楽などを演奏していると、どうやら楽譜通りに弾かなくてもいいのではないか?その場のノリで楽しく弾くことが大切なのではないか?と思い始めたわけです。

と言っても私の作る曲はクラシック音楽寄りの曲なので、私のイメージ通りに、楽譜に忠実に弾いてもらうことを念頭に置いて、細かい指示を楽譜に書くべき?それとも二重奏くらいなら演奏する二人のノリで弾いてもらえるように、あまり細かい指定はしないほうがいい?う~ん悩む。

そもそもクラシック音楽の作曲家って、奏者にどのくらいのことを望んで作曲してるんでしょうね?自分の思い描く曲の世界を寸分たがわず表現して欲しいんでしょうか?もちろんそういう人もいるでしょうし、逆にそうじゃない人も意外といるんじゃないでしょうか?

マンドリン界では作曲者の指示を無視したテンポで演奏して、その後演奏禁止になった曲があるとかないとか(あまり詳しくは知らないですが)。

確かに昔のように個人で発信できない時代に、勝手に変な演奏を「誰々さんの曲です!」と公の場(演奏会など)で発表されたら嫌でしょうね。

話が逸れましたが、クラシックの有名な作曲家の中にも私のような考えの人がいるかもしれないとふと思ったわけです。

「テンポは適当にアンダンテにしとこ。今はレガートに弾いて欲しい気がするからスラー付けとこか。ま、奏者の人にいい感じに弾いてもらったらええわ」(←関西人??)

最後の1音にこだわる人しか歴史に名を残していないならば、そんな人はいないのかもしれませんが、100%いないとも言い切れないわけで。

つまりは、私は最後の1音までこだわり切れないということが言いたかっただけです。奏者の人が「こういう風に弾いたほうがいい曲になる」と思ったなら、そのように演奏してもらうのもありなのかなぁと。それはまだ私の作る曲が未熟なせいもあります。

いつの日か「最後の1音まで完璧!楽譜の指示通りに弾かないヤツは許さねぇ!」(←誰?)くらいの曲を作れるようになったらいいですねぇ。

余談として。クラシック音楽はたまに聴くくらいですが、名曲をプロのオーケストラが演奏してもいろんな演奏になるということは、やはり作曲者のイメージ通りに完璧に演奏することは出来ないし(そもそも指示のないところがあるのかも)、指揮者や演奏者の解釈が加わって、名曲として聴衆に届くんですねぇ。

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