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そのセーターはおしゃれ?ダサダサ?のっぺり?マンドリンの曲作りの話です

「作曲」というものを趣味にし始めて2年が経ちました。私にしては長く続いています。同時期に始めて既に飽きてしまった趣味は、クラシックギター、フラットマンドリン、ガレージバンド、あつ森、Youtube視聴、数学検定、リコーダーなどなど。

さて「作曲」ですが、最初の頃は思いついたメロディを楽譜に起こして「曲っぽいものが出来た~」と喜んでいたのですが、人前で演奏できるような曲を作ろうと思い始めてからは、自由さが無くなってきているように思います。

もともと、いいメロディが思い浮かんだとしても記憶しておく能力がないので、ミューズスコアに打ち込んでいるうちにすっかり忘れてしまいがちです。そしてほんの1小節分のメロディから続きを無理矢理作っていくので、その曲のモチーフは短いものになりがちです。

それと歌謡曲のように跳ねたりためたりするメロディは譜面には書きにくいので、拍・拍で音がきっちり変わる音楽しか今のところ作れません。さらには付点音符や16分音符も、弾くことを考えたらなるべく使いたくないんですよね。

するともう最近は、今まで作ってきた曲に似たような曲ばかりが出来上がる気がしています。

私にとってはミューズスコア様様で、音符を1つずつ入力しては鳴らしてみるという感じで曲を作っています。しかしその作り方でどうやら私は、曲を作っているというより、楽譜を作っているという意識のほうが強くなってきているのではないかと思いました。楽譜の見た目(音符の並び方)の良さを気にしているんです。

それは直近の2曲を作っている時に特に感じました。直前のフレーズと同じ音形で次のフレーズも作ろうなど、曲として聴いて受ける印象より、音符の並び方の規則性を重視してしまっていたと思います。

凡人が長い曲を作ろうと思ったらそうなるのは仕方のないことかもしれませんが、「それにしても」と思った次第です。

しかし平凡さを避けようとして、逆に訳の分からない複雑で雑多で心地悪い音楽を作ってしまうのも凡人にはありそうです。

ちょっとネガティブな思考になっているのは、毎回思ってもみないような曲が完成するからです。おしゃれなセーターを編むぞ!と思って編み物を始めたのに、ダサダサセーターになったり、何の変哲もないのっぺりしたセーターが編み上がっている、ような感じかもしれません。よかったらお聴きください。直近のハンドメイド(?)の2曲はこちらです。

マンドリンとマンドラの為の二重奏曲7番「音摘み」

マンドリン四重奏曲No.4


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