後悔で溢れる世界〈b:お悔やみ編〉ep科学者2「機能的人権の尊重」①

1.

科学者にとっては『名前』など、さして重要な意味を持たない。

彼ら彼女らの仕事は、職業は、開発分野にしろ研究分野にしろ、『なにを生み出したのか』によってのみ評価される。そこには個人の存在や歴史など、意味を為さない。

だから彼女はだれと会ってもことごとく、名を名乗らなかった。自身の存在に紐づけられた固有名詞を、提示しなかった。

 飄々とした態度で淡々と「わたしは社長の部下で、わが社の社員ですよ。それ以上でも以下でもありません──労働に魂を売った、哀しきオーエルの末路こそがわたしというわけですねえ」などと嘯くのみである。

 技術職である彼女にはもとより必要のない技能ではあるが、これほど営業職や管理職に向いていない人材もいまい。

 とはいえ、向いていないからやらなくてもいいのかとなれば、それも違う。人間、ほんとうの意味でやりたいことだけをして生きていくなど、土台不可能な話だ。

 苦手な業務も、不得手な任務も任されてしまうこともある。それは彼女が曲がりなりにも『社会人』である以上は、避けられない──すべてが最善で最適な時計に巻き着かれた現代社会においても、それは同じ。

 最善と最適は、必ずしも人材配置の適材適所とイコールではない。

 だから彼女は今日、この日に限っては、名乗らなければならないのだ。

 技術者でも科学者でもある前に、ひとりのオーエルとしての彼女に与えられた、業務上の固有名詞。

「これはこれはどうもどうも、うちの娘が大変お世話になっているようですねえ。なんせギャル仕様……反抗期なもんだから、先生も友達も、相手をするのが大変でしょう。娘に募った日々の鬱憤はどうぞこのわたくし、芦分シルクにお申し付けくださいねえ」

 わが子のようにかわいい新製品の試作ロボット三号機──『芦分三科』の、母親としての名前を。

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