クラウドファンディングをする能登の姉妹を応援

僕は三人兄弟の長男で二人の弟がいる。末っ子の弟は亮太という名前で、亮太は金沢で自衛隊をやっている。

彼の奥さんは石川県の能登の輪島市の出身。僕の兄弟は全員男なんだけど、弟の奥さんは全員女性。ご両親がとても優しくいい人らしく娘たちもすごく家族想いのいい人たち。

弟はこの家族が大好きで、正月やお盆、ゴールデンウィークは、居心地がいいのか、いつも輪島の奥さん側の家族のところにいる。

今年の1月1日、能登で大きな地震があった。僕はちょうど、函館から大阪行きの飛行機に乗っていて、着陸した時に、ネットニュースを開いたら、能登で地震があったというニュースがあった。1月1日は弟は能登の奥さんの実家で過ごすと言っていたので、嫌な予感がして家族のグループラインに「亮太、大丈夫か?!」と送った。しばらくしてから「やばい」とだけ返信があった、そこからしばらくして、倒壊した家とその家の下敷きになった車の写真が送られてきた。

奥さんの実家は倒壊して、弟の買った車は廃車になった。弟の車も奥さんの実家も地震の保険に入っていない。

彼らはすぐに近くの体育館に避難して、そこでしばらく過ごした。しばらくして弟の奥さんの妹さんから話したいことがあると連絡があった。彼女は「クラウドファンディングをしたい」と。なんでって聞いたら、倒壊した実家では彼女のお父さんが時計とメガネの店をやっていて、クラファンで集めたお金でその時計、メガネ屋さんをもう一度建て直したいらしい。僕はこの彼女たち姉妹の想いを読んで、たくさんの人に共有して少しでも手伝ってもらえたらと思って、このURLを投稿します。よければ読んでみてください。

ちなみに弟夫婦は金沢の家に戻ることができ、弟は自衛官なので被災地にも行っているみたい。奥さんのご両親は住む家は無くなったけど、仮設住宅に当選し、そこにしばらく住めることになったみたいです。

日本にいる時、東日本の震災のあと、宮城気仙沼にいき熊本の震災で熊本益城町へ、台風で大変なことになった宮城県の丸森町など被災地に行って、被災者の人たちと話をさせてもらって、一番残ってるのが"被災者は我慢"をしないといけないということ。

思われ方を気にする人たちが多かった。自分だけが助かって申し訳ない、自分だけが、家が残って申し訳ない、自分たちだけが、新しい家が見つかって申し訳ない、物資でこれが足りてないというと、被災者なのに、わがままだ、ありがたいと思え、避難所で、女性達が化粧水が欲しいというと、贅沢だ、と。そしてあなただけじゃないんだよ、辛いのは、と。

今回クラウドファンディングをやる上で、この彼女も迷ってた、まだ大変な人たちがいる中で、クラウドファンディングで自分たちだけが、こうやって次のことを考えるのは、どうなんだろうと。もちろん、まだまだ大変な人たちはたくさんいる。でもみんなが同じペースではない。まだ立ち上がれない人、もう前に向かって歩き出せる人。歩ける人は先に向かって歩き出せばいいと思う。そしてなにより、この姉妹のお父さんが、この山下時計店が、この地域には必要な人だということもわかった。そんなことを思って彼女のクラウドファンディングを広げようと思った。

能登では今もたくさんの人が大変な中にいる。一人でもたくさんの人の声が届き、誰かによって一人でもたくさんの人が救われますように。そんな優しい世界であってほしい。

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