逆立ちする因果関係
因果を支配するのは確率だ。
現実の世界では、一つのインプットに対して不変的なアウトプットが得られることは少なく、むしろ大半のアウトプットは可変的である。
例えば、
神社に祈願したからといって、合格判定の低い第一志望の学校に受かる訳ではない。
合格という結果が出たことによって、神社での祈願が原因の座 No.1 を占めるのだ。
最大の原因は、受験する朝に食べた納豆の菌が脳を活性化させたことかもしれないが、それを知る術はない。
限りなく複雑に条件が絡まり合っているため、全ての可能性を吟味することは不可能だ。
結果を受け入れるための方便として、それらしい原因を甘受しているに過ぎない。
原因不明の状態はすわりが悪く、精神衛生上よろしくないだろう。
不確かな人生を避けるために、シンプルな物語を好み、思考を停止し、昨日と似た今日に安住する。
だが、予測可能な世界に生きようとすることは、生存戦略上は賢明な行為とは言えない。
可能な限り想定されるリスクに備えることが大切だし、時には大きなリスクを回避するために小さなリスクをとることも必要だ。
いまスーパーで購入をためらっている賞味期限ギリギリの折詰寿司が、ワタシの人生を変化させるかもしれない。
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