生命と快感の存在する場所
最初の投稿にも書いたように「生命は快感により駆動され、快感は物事が移動することから生じる」と考えているのだが、もう少し書き加えてみたい。
移動とは、大雑把に言って、物事が二つの世界の間を行き来することだと考えている。
光と影、動と静、男と女、文明と野生、都市と自然...
快感とは、二つの世界の境界を超える瞬間に生じるのではないだろうか。
そして、生命とは、快感のシーケンスのことではないだろうか。
二つの世界を行き来する限り、快感と生命は存在し続けるだろう。そして、逆もまた然り。
誕生から成長する過程においては、行き来する二つの世界の種類は増加する。
成長から衰退する過程においては、行き来する二つの世界の種類は減少する。
最後に残った二つの世界から生ずる快感が消えるとき、生命のエンジンも停止する。
秋だからという訳ではないが、少しセンチメンタルな気分になってしまった。
Photo via Visualhunt "https://visualhunt.com"