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リアルな場所の意義とその移りかわり。

2011年から数年間、発足まもない神戸モトマチ大学は、今は解体されてしまったファミリアホールで開催しました。1901年に旧三菱銀行神戸支店として建てられた文化財的なホールがもつ場所のチカラに助けられながらも、講義の開催頻度は多くても月に2回ほどだったので、当時の神戸モトマチ大学は特定の場所について深く考えを巡らせることはありませんでした。

2015年から、東遊園地から神戸の都心を変えていくという目標をもってアーバンピクニックをはじめてみると、特定の場所についていろいろと考えるようになりました。

まず、他の場所との潜在的な競合関係に意識が向きました。不健全な精神ですが、他の場所ではなくこちらの場所に来てほしい(選んでほしい)という意識が芽生えるのです。

また、これほどまでに情報発信や交流がウェブ上で容易に成立する時代に、特定の場所への求心力を高めようとすることの意味を考えるようになりました。その場所とは、30㎡の小部屋でも、数ヘクタールの都市公園でも、あるいは地方都市ひとつ分のスケールでも同じことです。一人ひとりが自分の好きなように移動できるのであれば、行きたいときに行きたいところで時間を過ごせばいいわけで、別にどこか特定の場所にこだわる必要はないわけです。

それでは、特定の場所をよりよくしようとするのは、功利的な目線でのみ理解されることなのでしょうか。(それを裏付けるように、いまプレイスメイキングに最も前のめりなのは、エリア間競争に追われている大手デベロッパーのみなさまです。)
あるいは、特定の場所をよりよくすることは、これからも社会的な意味を持ち得るのでしょうか。

かつて、都心の広場や四つ辻などの場所は、情報が受発信されるメディアとして機能していました。その後メディアは、紙、ラジオ、テレビ、インターネットへとその主役の座を移していきました。誰もが世界に向けて情報発信できるようになると、次にそのメディアは多様な物品が販売されるマーケットの機能を併せ持つようになりました。いまやネットの画面をスクロールするだけで、あらゆる情報が手に入り、あらゆる物品を購入することができます。

この時代に、特定の場所に社会的な意味が付与されるとすれば、リアルな体験が鍵となります。リアルな体験は、ネットも含めた既存のメディアには載せることができず、情報過多な現代にあって、その価値を高めています。

特定の場所は、やみくもに集客力を競いあう競合ではなく、どんな体験ができるのかという観点で特徴づけられていく。その体験に社会的な価値があれば、その場所もやはり社会的な意味を持ち得るのです。

公共空間をはじめ、社会的な意味をもつ場所について考えるとき、ただ集客力や滞在時間をもって指標とするのではなく、得られる体験について考えをめぐらせることができればと思います。

参考文献:「小売再生 リアル店舗はメディアになる」ダグ・スティーブンス著
写真  :アーバンピクニック会場で躍動するヤッシー楽団

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