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Permanent Collection「さよなら」を絵に描いたようだ


「さよなら」を絵に描いたようだ

さっきまで、が嘘みたいな
いきなりの大雨が
「洗濯物 全滅かな」
頼む相手もいないしなあ

ホテル ロビー 土産雑貨
食玩のキーホルダー
「今でもまだ好きなのかなあ」
指で遊び 少し見てた

風の噂で耳にした
今の君の暮らし方
ママを困らすお嬢ちゃん
きっと君に似てるだろうなあ


【解説】
昔付き合っていた彼女が結婚して、
子供が産まれたという話を人伝に聞き作った曲。
30代になり、
20代のように嫌いになったとか、
付き合うとか別れた、
新しい彼氏ができた
とかいうレベルではなく、
もう事実としてこうやって
終わりを提示される機会が増えてきて、
戻るつもりはなかったとしても
「もう戻ることはないんだ」
と思うことも増えてきた。
そういうのって
その話を聞いた時よりも
例えば、
一人暮らしのアパートで
洗濯物を干して出掛けて、
雨が降ってきたけど、
あの子に連絡して取り込んでもらえない
とか、
ライブで県外に出て
ホテルのロビーでお土産を見てた時に
「そういえば、
ご当地の食玩(食品サンプル)を買ってきて欲しいって言ってたな。」
とかそういう時に強く実感する。
でもそんなこと本人に言えないし、
別れている以上、言う権利がない。
お前はそれをいつまで言ってんだよと思うような
そんな「あー」という気持ちをこの曲に残した。
I MISS YOUは特に歌詞に書かなかったのは、
ここは歌詞というよりは雰囲気というか、
メロディではなくピアノで音を足している
みたいなイメージに近い。
ニュアンス。
聴いていてここは間奏というか、
歌の世界のイメージを聴いてる人に
膨らませてもらうような部分だと思う。
そうやって歌の本筋を邪魔をしないようにするためによく英語を使う。

タイトルは
夏目漱石の『三四郎』の一説で、
主人公が
昔会った女の子に何十年後かに夢で会ったけど、
その女の子のあまりの変わらなさに
「あなたは絵(画)だ」
と主人公が言うと
女の子から
「あなたは詩だ」
と言い返される話が出てくる。
結局これって、
女の子が変わらない=絵=普遍的なもの
あなたは変わっていく=詩=流動的なもの
の対比になってる事に気がついて、
感心させられてすごく好きな一説だった。
もちろん
人によって受け取り方はあるだろうけど、
絵って多分年齢を重ねても
描かれてるものを視覚的に捉える作業だから、
そこまで受け取り方が変わらなかったりするけど、
詩って頭で捉えるものであって、
読んだ年齢とか経験とかタイミングで
その言葉の感じ方が変わるよね
って事が言いたいんだと思う。
ゴッホに言わせたら
そんな事ないんだろうし、
文を書く人間に視点ではあると思うけど。
あの時の彼女に伝えた「さよなら」を
僕はまだそのままの形で残していた。
でも生きてる以上は全てが詩になり、
全てが日々変わっていく。
僕は知らなかっただけで、
あの時の「さよなら」をした彼女は
もうこの世界のどこにも残っていない。
「さよなら」を絵に描いたような、
そんな気持ちになった。

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