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「無知」は罪

本コラムは、2018年4月に村上が運営するコミュニティの会報誌vol.9にて公開した連載コラムを特別公開するものとなります。

投資で成功するために「無知」ではいられません。「無知」とはどういうことなのか、是非ご覧ください。

「答え」はない

無知は罪なり、
知は空虚なり、
英知を持つもの英雄なり

ソクラテスの言葉ですが、ご存知でしょうか。

ちなみにわたくし、
宗教・哲学・倫理・経済・社会・図書の
高校の教員免許を持っております。

あと、お坊さんの資格も持っております。
(厳密には少し違いますが)

はい、
ただのクールなイケメンではないんです。
インテリでクールなイケメンなんです。
※退会しないでくさい(笑)

なので、
私のコラムには哲学的な話題がよく出てきます。

いまだにこういったことが好きで、
日々勉強をしています。

色々な事に興味がわき、
深く調べたくなってしまうんです。

例えば、最近はまったのは
「アフリカの貧困」問題です。

何故いまだに解決しないのか?

少し不謹慎なのかもしれませんが、
「解決したい!」ではなく、
「何故?」の気持ちの方が強いのです

一般論として、インターネットで検索してみると
結果はこんな感じです。

・寄付が独裁者に搾取されている
・寄付により就業意欲がそがれている
・先進諸国に食い物にされている
・教育が受けられない
・人種的な問題
・暖かい場所は適当に生きていける

なにかしっくりきません。
浅いんです。
情報が断片的なんです。

そんな回答では、私のインテリジェンスは
満たされないのですっ(白目)

何故、これだけの年月がありながらも
アフリカ経済は発展しないのか?

何故、これほどまでに過酷な状況を
克服できないのか?

何故、紛争が絶えないのか?

何故?何故?何故?…

無知は罪1

しかしこれがインターネット検索の限界です。

本格的に調べ始めると、
いかに日本語で書かれたアフリカの情報が
少ないかがわかります。
まともな日本語の書籍が非常に少ないんです。

そして、“日本語での情報が少ない
という事実に気づくと愕然としてしまいます。

「やべー
日本人、チョー不利じゃん。」
となります。

いかに日本語だけの情報が偏っているか、
やはり日本はガラパゴスなんだなと…。

これからの時代、やはり英語くらい分からなければ
やっていけません。(キリッ)
(村上の英語能力が「アイ・アム・ボーイ」レベルなのは内緒です。)

そして最近さらに顕著になってきましたが、
インターネットでは基本的に声の大きい人が
強いです。

正しかろうが間違っていようが、
声が大きい正論っぽいものが勝ってしまうんです。

もちろん情報によっては、
インターネットのみで完結できるものもありますが、
そうじゃないものも沢山あります。

一番危険なのは、
「インターネットにこう書いてあったから。」
などと鵜呑みにしてしまうことです。

インターネットの情報は玉石混合。
素性も明らかではない、
責任のない適当なコピペで溢れ返っています。

そして、その適当な情報を教養だと思い
得意げに話している人をよく見ます。
本当に教養がある人からすると、
知識の浅さはすぐに見透かされてしまいます。

そしてその教養のなさは投資をする上で
致命的な結果をもたらすことになります。


「無知」は罪

なんか、きつい言葉ですね。

知らないことは罪なのか?

世の中のことを何も知らない純粋無垢な、
そう、私のような人間は罪なのでしょうか。
※はい、ある意味罪ですね。

無知=おバカ=罪

なんとなく、しっくりきます。

おバカは色々とやらかします。
犯罪もやらかすかもしれません。
だから罪なのでしょうか?

しかし、
ここでいう無知とは
若干ニュアンスが違うようです。

無知とは「知」がない状態です。

「知」とは社会の役に立つものです。
社会の平和を守り、
発展させるものです。

「知」とはその方法であり、
その実践まで含め、行動できることを指します。

つまり、
社会の役に立たなくても良いという
生き様が罪なんです。
社会の役に立つためだけに生きている私とは
真逆の生き方ですね。(笑)

ソクラテスもまた、
そういった無知な人達によって殺されました。

無知な人は考えが狭く、
頑固なんです。

自分の正義を振りかざし、
他者を攻撃します。

インターネットやメディアがまさにそうですよね。

自分とは関係のない人が、
その背景も知らず、
たいした知識もないのに、
攻撃する。

嫌悪感でいっぱいです。

無知な人は、
誰かがどこかで言っている
安易な正解を求めます。

なぜなら、
正解は安易ではないということを、
知らないからです。

投資の世界、
またはビジネスの世界も同様ですが、
いわゆる「正解」などと言うものはないんです。

全員に当てはまる安易な正解があったら、
みんなお金持ちになってしまいます。

答えを知らないのが無知なのではなく、
答えがあると思っていることが無知なのです。

※あっ、これ名言です!村上名言集に載せておきます。

安易な正解を求め、
安易な正解を与えられ、
安易に失敗する。

今の不動産市場はこのようになっています。

投資やビジネス、
その他全てにおいて言えますが、
全員に共通する正解などないのです。

立場や状況、
時代や背景により、
正解は変わるんです。

自称・成功者(わ、私じゃありませんよっ汗)
に騙されてはいけません。

その人の言うことも
1つの答えかもしれませんが、
みんなの答えではないんです。

みんな最短距離で正解を知りたがり、
そして失敗するんです。

世の中は白黒はっきりできる事の方が少ないです。
グレーはグレーで良いのです。

全てをはっきりさせようとするのは人間の傲慢。

無知が故の傲慢なのだと思います…。


知は空虚なり

えっ、
さっき「知」はサイコーって言ってたじゃん…

はい、そうです。
でも、「知」だけでは意味がないのです。

それを行動に移して初めて
意味があるものになるのです。

いくらお勉強を沢山して、
知識をもりもり詰め込んだとしても、
実践に活かせなければ意味がないのです。

学生時代に血反吐を吐くまで勉強し、
2浪でレッツ東大。
若者の主たる目的である異性とラブラブも封印。

まるで若かりし頃の私のような生き方なのですが、
その詰め込んだ知識とやらは、
果たして社会に役立つのか。

空虚ですよね。

役に立たない知識なんて無いとは思います。
しかし、実践できない知識は宝の持ち腐れなんです。

無知は罪3

天才的に頭が良かったとしても、
それをアウトプットできなければ、
何者にもなれません。

ただの自己満足に終わり、
果ては卑屈な皮肉屋になってしまいます。
多いですよね、そういう人。

投資の世界にもいっぱいいます。
俗に言う頭でっかちな人です。

知識はあるが、実績がない。
反論はするが、自分では実践しない。

くどいようですが、
ネットの住人達もまさにそれですよね。

偉そうなことを言っている人は多くいますが、
実際は何者でもない人。

それではダメなんです。
実践してこその知識。
そして、それこそが教養なのです。


英知を持つもの英雄なり

「英知とは教養」

そうです、
行動に結びついた「知」こそ教養である
ということです。

物事の成り立ちや背景、
その他の情報との関連付けを行い、
実際に行動へと移せる知識のことです。
教養を持つものは英雄です。
そうです、私は英雄なのです。
※そろそろウザがられそうなのでやめておきます(笑)

みんな最初は無知なんです。

子どもは無知です。
親に養われ、
社会から守られ、
教養を少しずつ養っていきます。
家族に依存し、
会社に守られ、
子供の頃と変わらないことこそが罪なのです。

無知から始まり、
知識を集め、
それを実践していく。

これが、

“無知は罪なり、
知は空虚なり、
英知は英雄なり”

なのです。

今はインターネットで何でも簡単に
調べることができます。

社員からの質問にも、
「ググれ、カス」
(訳:ご自分でgoogle検索してみて下さい。)
と丁寧に答えています。

不動産だけに関わらず全てに言えることですが、
インターネットの情報は、ただの情報として捉えてください。

「正解」ではなく「情報」です。

書籍だってそうです。
もちろんインターネットに比べれば執筆者の情熱や
知識量に雲泥の差はありますが、
あくまでも情報です。

答えではありません。

無知は罪4

私の昔からの癖といいますか、
受けた教育の結果なのですが、
何事も必ず反対意見を知るようにしています。

例えば、
私は死刑制度反対派なのですが、
反対派を謳うのであれば、
反対派と賛成派、
それぞれの理論を知る必要があります。

それを踏まえない人との議論は、
時間の無駄です。

全てに当てはまります。

私は出自もあり仏教徒なのですが、
キリスト教、イスラム教に始まり
多くの宗教をわりと深く理解しているつもりです。

ですが、
宗教を理解していない人の宗教批判は
聞くに堪えません。
無知を露呈しているからです。

批判をする、
議論をするのであれば、
相手についても最低限の知識を身につけなければ
なりません。

そうでないと、批判でも議論でもない、
ただの一方的な喧嘩になってしまいます。

不動産投資の世界にも、
それぞれ主義や手法があります。

これは良くて、
あれはダメ、
などという安易な結論をせずに、
情報として受け止めることが
重要なのだと思います。
特に自分とは違う考えや手法は、
良い刺激になります。

少し話が飛びますが、
芸術を例にあげてみます。

短歌や俳句、詩、文学や音楽、絵画など、
全て字数や面積などに制限があります。

芸術というものは、
作品の中で語られていない、
描かれていない部分から、
何かを感じるものなのだと思います。

これらを表現するためには、
莫大な情報量や情熱、想いがあり、
それらを極限まで剥ぎ取る。
そして、最後に残された部分が作品なのだと思います。

最初から余白だらけのものや、
情報が整理されずにただ並んでいるものには
魅力を感じません。

英知=教養

これも同様なのではないかと思います。

多くの情報や知識を蓄え、
それを自分の腹に落とし込み、
実践して磨かれていく。


それこそが教養であり、
英知なのではないかと思います。


教養を身に着けろ

私はホリエモンがわりと好きなのですが、
こんなことを言っていました。

「教養無き者は時代の変化に振り回され、
歯車として終わる。」

「教養とは物事の本質を知ること。
知らないことは恥ではない、
何でも調べて聞けばよい。」

べつに名言でも何でもないのですが、
その通りだと思います。

知らないことは恥ではありません。
みんな自分の専門分野でないことは
知らないことだらけです。

知らないことだらけであれば、
失敗することだって多々あります。

それは恥ではないんです。
けれど、無知のまま甘んじることは恥です。

今、世間では「〇〇の馬車問題」が騒がれています。

無知であるが故に安易に手を出し、
失敗してしまった人達がいます。

もちろん、一番悪いのは業者です。
そして審査能力のない銀行も恥じるべきです。

しかし、
「失敗した自分は悪くない。」
「良い事ばかり言って進めてきた業者が悪い。」
「業者と結託してお金を貸した銀行が悪い。」
このロジックは聞いていて辛いです。

どんどん惨めになっていきます。

結果、
無知のままです。

無知は罪なんです。
そこから多くを学び、
知識を蓄え、
英知を得ることができれば、
結果、それもまた経験となるのです。

無知は罪5

今後もシェアハウス問題を機に、
複数法人や改ざん等の問題が
明るみになってくると思われます。

その時もまた、
「業者が悪い。」
「銀行が悪い。」
「指導したコンサルが悪い。」
などといった声が聞こえてくることでしょう。

それはその通りなのですが、
やはり投資は自己責任。

自分が儲かるために興した事業ですから、
他人を責める前に、
そこから這い上がる努力をすべきです。

本質が何かを知り、
理解した上で行動をする
という事が必要なんです。

情報を得て、
仮説を立て、
実践し、
そこから進むか、
軌道修正、
もしくは撤退、
そして分析し、
また行動。

こうしてPDCAサイクルを回していくのです。

“無知は罪なり、
知は空虚なり、
英知を得るもの英雄なり”

およそ2,400~2,500年も前の言葉ですが、
時代が変われど、人間の思考は変わらないものです。

私も含め、
投資家の皆様もいっぱい勉強し、
実践に移し、
英雄となれるよう頑張って行きましょう。   

2018.4 村上

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