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迷って、自問自答して、答えを導いて、また迷う。

人って、同じようなトピックに何度も疑問を感じて、
自問自答して、
その時なりの回答を出して、
また同じようなトピックに出会った時に
同じように迷う
ような気がしています。

多分、なんとなく自分でも答えを分かっているけど、
感じた違和感をそのままにしておくの自体が違和感で、
口に出して吐き出したくなるんじゃないかな、と。

”答えを探す”行為よりも、
そのとき感じた”違和感を味わう”行為の方が、
大事なのではないかな?
ってことです。


なんで悲しいんだろう?」とか、
なんで嫉妬しちゃうんだろう?」とか、
なんで苛立つんだろう?」とか、

そんな自問自答をしていると
深みにハマってしまって出てこれなくなる
ので、

「努力を認められなくて、私は今悲しんでいるんだ」とか、
「可愛い仕草ができる子に、私は今嫉妬心を抱いてしまったんだ」とか、
「言いたいことが伝わっていなくて、私は今苛立っているんだ」とかって、

事実をそのまま受け入れてあげればそれで十分なんだ。
って、思うようになりました。

それで、十分。


『認めてもらう』ということが私たちには大切で、
全てを他人に分かってもらうことは不可能だから、
自分で自分を認めてあげる

それが、私自身が求めていることで、
『なぜ』の真相を知ることを、本当に求めている訳じゃない。

『なぜ』の真相、そもそも、そんなに深い意味もないような気がしています。


答えを導こうとするよりも、
そのとき感じた感情を、ゆっくりと噛み締めてあげることが
大切なのだと思っています。


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