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働くことは「自らの選択の正当化」を科学する

皆さん、こんにちは!けんたろと申します!
数学とファイナンスがとても得意で、良く講義などさせていただくのですが、
今回は、note×Panasonicのコラボ企画テーマである「#はたらくってなんだろう」について書いていこうと思います。

普段、業務内容にはすごい頭を使いますが、「はたらく」行為自体を考える機会はそう多くないので、
改めて、「はたらく」を考えるいい機会をいただいたな、と思いました。年末年始にもってこいのテーマですね^^

では早速本編へ!

結論:働くことは「自らの選択の正当化」

現代の人間にとっての働くとはどういうことなのか。
例えば、日本であれば潤沢な社会福祉制度があるので仕事をせずとも生きていけるし、充分な富を蓄える人ですら、ストレスを感じながらも必死に働いている。
なぜ働かなくても良く、また働くことでつらい思いをすることすらあるのに、人々は一生懸命に働くのだろうか

この問いに対し、
「自らの選択が正しかった」と証明するために働いているのではないか
と僕は思っています。

今、取り組んでいる仕事は、
僕たちがこれまで選択してきたいくつかの事象の延長線上にあると思うんです。

そうやって選択してきた仕事や人生が不正解であることなんて誰も望まないですよね。もし不正解になりそうだったら?人は自分の認識と異なることが起きるときにとてつもない原動力を発揮するんです。

選んだ選択肢である今の仕事が正解だったとするために努力し、成果を求めるんだと思うんです。
そして、その成果の尺度に社会からの反応があるのではないかと思ってます。お客さんの喜ぶ顔とか、稼ぎとかそこは色々人によって違うんでしょうが。現代人にとって、働くってこういうことなんじゃないかな。

ではこの「働く」価値観はどのように人類の中に形成されていったのか、その推移を古代から振り返って見ていきたいと思います

参考に買った本がめちゃ面白かったのとワークシートもすごい良かったので、ついでに添付しておきますね^^
https://amzn.to/3rRjclw

「働く」価値観の推移

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「古代」から「現代」への価値観の推移をステップを追ってみていこうと思います。
価値観が推移したというより、年代を経るにつれて過去の価値観を一定残したまま新しい価値観が積み上げられていくように参考図書を読みながら感じました。

ハンナ・アーレントの著書「人間の条件」では、「労働(Labor)」「仕事(Work)」「活動(Action)」こそが人間の本質だと書かれてますがまさにこの3つに基づき価値観が推移していっているようにも読み取れます。

では、古代の価値観から解説していきますね!

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古代では、肉体的活動を伴う労働こそが働くことでした。現代のように食材や安住にも簡単にアクセスできない古代では、肉体活動こそが生きる術だったんですよね。

古代はまあ特に書くことないので、
さ、次へ行きましょう!次は中世です。

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中世では、キリスト教が盛んで、教典に書かれた宗教倫理に基づいて人は行動するようになります。ただし教典は一部の聖職者などにしか読めないことから権力者の都合に合わせて解釈が移ろいでいくのですが、ルター、カルヴァンなどによる宗教改革によって聖書は一般化され、「救済」としての働く価値観が醸成されていきます

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宗教改革が起きる少し前、カトリック教会は贖罪状をばら撒き、お金さえ払えば救われるという教えを説いていました。それに対し、ルターやカルヴァンはカトリックの腐敗であるとして、聖職者ではなく聖書を信じることが大事だと宗教改革運動を起こしました。特にカルヴァンが説いた予定説により、神に仕える方法として「祈ることや寄付」をすることよりも、「天職に邁進」することが重要だとする倫理観が醸成されていきました。
予定説とは、神の救済に授かるか否かは生まれた時から決まっているので祈りも寄付も無意味であると説いたものなんです。この延長の解釈として、「自らが神に救済される予定であれば、仕事も成功するはず。また、富を蓄えることは、救済される人物としての証である。」という倫理観をもたらせました。
なぜこのような倫理観が蔓延ったのか、実はこの頃はアフターパンデミックの世の中であり、過去にnoteにまとめたのでリンクも貼り付けておきますね^^

このように、就業感がアップデートされた中世ですが、近代ではまた異なる価値観が醸成されていきます。まずは初期近代です。

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この頃には、先ほどのプロテスタントの倫理観が非プロテスタント層にまで広く受け入れられるようになり、個人主義に基づく富の追求が推奨される、現代の資本主義に近しい倫理観が醸成されだしていきます

富を追求することが「神に救済される人としての証」だった点から「成功者の証」に移ろいでいったのです。


そして、近代が進むと働く価値観は、よりドラスティックに移ろいで行きます。

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先ほどは、富の追求が成功の証として記載しましたが、この時代になると多くの人が成功を目指す”手段”として働くようになります。一方、機械による人間が従事していた仕事の機械への代替も起き、人間の疎外感が浮き彫りになっていきます。成功を目指し仕事に邁進人がいる一方で、疎外感を感じ情熱のぶつけどころを見失う人もおり、働くことへの価値観の二極化が加速していったのが近代なんだと思います。

そして現代では働く価値観はどのようになっているのでしょう。

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現代では、承認欲求を満たすためや、自己実現の手段として解釈されております。これは先ほどの成功の本質が多様化したことが背景だと思います。

すなわち、成功の証を外に求めず、内に求めるようになってきたのが現代なんです。富などの外部に依存する基準ではなく、自分の目指す姿の実現や、外部からの承認に成功の基準を置くようになっていったことが現代の価値観に近しいのではないでしょうか。

そして、その内なる判断軸にあるのはやはり自身の選択してきた人生が正しかったことを証明できるかどうかなのではないか、
これが冒頭に記載した「自身の選択の正当化」と結論付けた背景になります。


著名人における「なぜ働くのか」の回答

と、ここまで過去の価値観の推移に自身の思考を織り込んで説明していきましたが、現代を代表する人々は「はたらく」ことをどのように捉えているのでしょうか。

僕が最も尊敬する経営者である孫正義氏が過去インタビューで答えた働く倫理観について、とても素敵な内容なのでご紹介しますね。

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孫さんは、過去余命宣告を受けるほどの重い病気で入院していた時期があります。ただし、そんな中でも病院を抜け出しては会社に行って仕事に精を出していたと本人がおっしゃってるんですよね。パワフル…w

なぜ、命を削りながらもそんな行動を取ったのか、孫さんは

「人のためとか、会社のためというより、自己満足のために命を削って働いている」「究極の自己満足はヒトに喜んでもらうこと」だと語っております。

先ほどの現代人の働く価値観にも合致しますね^^
経営のプロフェッショナルである孫さんの実体験に基づくお話はより強い説得力を感じます。

ところで、この「プロフェッショナル」という言葉も中世の就業倫理から派生してできた言葉であると言われております。

語源はラテン語の「Professus」だとされ、直訳すると「(神の前で)宣言する」という意味を持っていたようです。

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すなわち、プロフェッショナルとは、神に仕えるために邁進すると誓った仕事(=天職)のことを表しているんだと解釈できるんです。

自身の天職を宣言することはこの中世の時代の倫理観に合致した考え方だったんですが、
実はこの公言する行動は現代の価値観に照らし合わせてもとても価値のある行動なんではないかなと感じています。

なぜ「公言」するのか

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私は「***のプロフェッショナルです」と公言し旗を掲げることは、現代においてもいくつもメリットがあると感じています。

例えば、僕は歴史を学びファイナンスと紐づけることが好きだとか、経営に関するリテラシーに関心が高いことを色んな場面で発信しています。
すると、関連する情報が友人などから持ち込まれたり、複業などの機会をいただけたり、自身のキャリアにおいても素敵なお話が巻き込んでくるんです。公言していなかったら、きっと今のように情報や機械が集まってくることはなかったんだろうなと心底感じています。プロフェッショナルになる=何か定めた領域に旗を掲げることはそういった効用があるんだと思っています。

最後に:僕にとってのプロフェッショナル

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最後に僕にとって掲げていきたいプロフェッショナルとは何か、についてカキカキして本noteは締めくくりたいと思います。

僕は、コングロマリット(多角な事業を展開する会社)な電機メーカーに入社して約10年になります。
コングロマリットこそ新たなことを生み出すためのナレッジやリソースが潤沢にあると信じて10年前に就職先に決めたことを覚えています。
一方、入社から少しして、まだまだ多角化した事業間のシナジーやうま味を使い切れていないとも感じるようになりました。

この想いこそが活動原理で、10年前のコングロマリットへの期待と、入社後感じたギャップを解消することこそが僕の夢となり、様々な活動につながっていることを感じます。
僕の夢はコングロマリットを強味にする経営をしていくことです。その領域でプロフェッショナルになることこそが僕の使命?(←言い過ぎ?w)だと思っています。

noteを使って、発信しているのもその領域で学んだことをコンテンツに変え、色々な方と意見を交わすことでより新たな学びを得ることであったりしますし、
その領域に旗を立てていきたいという想いを表す手段だったりします。

もちろん旗をたてるだけでなく、その旗印の下、任せてみたいと色んな方から思っていただく必要もあるので、
本業/オフ活動どちらも色々試行錯誤を重ねているのが現在になります。
(その内容はまた別のnoteで!)


・・・


はたらくってなんだろう?

それは、自分が選んだ人生/キャリアを正解にするために行う活動であり、
その活動は社会に実装しながら、社会へ貢献できているか(ヒトに喜んでもらえているか)を検証することなんではないでしょうか。


僕自身、はたらく先として、コングロマリットという経営基盤をもつ会社を選びました。この選択を正解とできるように、考え得る多様なアプローチを試しながら、社会へ問うていきたいなと思います

#2021年抱負

#はたらくってなんだろう


けんたろ

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