夜明【最終話】
多くの事が私の青春時代に押し寄せていたのを思い出す。初恋が同性の人。後に好きになった人も同性で。そしてその人は行方不明になり、結局私を置いて逝ってしまった。でも、私は寄り掛かれる人がいたから、それでも幸せに再び立ち上がることができた。このまま倒れたままでいたかもしれないのだ。そう考えると、私の青春時代は、ある意味で「人生とは価値あるもの」として認識させてもらういい時代だったのかもしれない。
その後、私は大学を無事に卒業して地元に戻った。東京にいてもいいのかなとは思ったのだが、綾香の生まれ育って、そして終の場所として選んだ地元を捨てることはできなかった。なんにもない田舎なのだが、仕事に選り好みをしなければある程度の収入を得ることはできたし、実家住まいに戻せば家賃も何もかも必要なかった。ただ東京を離れるとき、Liberaのカナさんがとても寂しそうにしていた事が心残りだ。
「あなたが笑顔になれたのは、彼氏さんのおかげかもしれないね。……違うの? でもお似合いよ」
「私は最初から思っていたのだけれど、やっぱりあなたは笑顔が似合うわ。暗いところから明るいところへ出て、しっかり笑顔を咲かしてね」
そう言って、私を送り出してくれた。いつかまたこの場所に戻ってこようと思う。
☆
「なぁ、綾が寝返りしたぞ」
「ほんと?」
私は浩二と一緒に、ベビーベッドですやすやと眠る綾の寝顔を見下ろした。彼女が産まれたことは私達にとって新たな人生の始まりだった。今は実家を出て浩二と二人で暮らしている。
かつての先輩を浩二と呼ぶのはとても勇気が必要だったが、それでもそうしないといつまでも先輩では示しがつかない。これでも私はこの人の嫁なのだ。
そして綾は、私が一人の人間としてちゃんとまともに存在している事を証明してくれた。命を産んで育てる事の大変さや喜びは、何にも変え難いのだ。私は大切な人の名前を一字貰って「綾」と名付けた。綾という文字は様々な色彩や形を意味する。この子の未来が多種多様で、面白いものであってほしいと思った。
「お前の小さい頃にそっくりだな」
「何言ってるのよ。私の小さい頃なんて知らないでしょう」
「お義父さんに見せてもらったよ。可愛かったなぁ」
「……恥ずかしい」
結局なんだかんだ言って浩二は私の婿となり、地元へ一緒に来たのだ。彼の実家と彼はそこまで折り合いが良くなく、同性愛者の次男坊への風当たりは昔から良くなかったようだ。婿へ行くと言っても両親は反対もしなかったし、むしろ露払いが出来て良かったとでも言いたげな様子だった。私の父は一度だけ両家の顔合わせで会っただけだが、「浩二君。本来なら君をうちの養子にしてあげたいくらいだ」と言ってしまうほどに印象が悪く、私と結婚できなくなるという理由でなんとか婿に迎え入れる事で収まった程だった。
そんな父に心から涙を流した浩二の姿は忘れられない。
「今日は久しぶりにお義父さんとお義母さんのとこへ行くんだろ? そろそろ準備しないと。首を長くして待ってるよ、きっと」
「誰を待ってるのかな。浩二かな? 綾かな?」
「お前が来るのも待ってるに決まってるだろう」
「さぁね」私は、肩をすくめ両手の平を上に向けた。「そうだとしても、優先順位は一番下よ」
「そんなことないさ、お前も大切な娘だ。拗ねてないで、帰ってきたお姉さんも入れて、家族みんなで一升餅をしよう」
姉が帰って来たのだ、数年前に。音信不通だった間、姉は様々な苦労をしたらしい。知らない間に子供を作り流産をし、そして男に捨てられた。新しい男とも子供ができたが、父親は蒸発。だから姉は子供を連れて帰ってきた。
意図せずに祖父母となった両親は戸惑ったが、姉は泣きながら、両親に今までの自分の非を侘びた。心からの姉の真心に両親は許し、そして新しい家族と共に姉の帰りを迎え入れた。私とも浩二とも仲良くなり、姉は実家で暮らしながらパートをし、子供を育てている。
「さて、行こうか」
浩二は車のエンジンを暖気してから綾を抱き、チャイルドシートに載せた。私は荷物を持って後部座席に座った。ずっしりとしたシートに体が沈み込む。地方なりに大きな企業に入った浩二のおかげで、私達はいい暮らしをさせてもらっている。彼は大学時代もそうだし、今でも有能な人間だった。
車はじわりと動き出し、目的地の実家へ向かう。生活道路から国道へ出ると、スムーズな流れに乗って柔らかな振動が体に伝わる。私は窓からの景色を見ながら眠気に誘われてきた。静かな車内はラジオの音が小さく流れている。ルームミラーにはすやすやと眠る綾が写っている。この子は本当によく眠る子なのだ。寝る子は育つ。元気でわんぱくに育ってほしい。運転席の後ろに座る私からは、浩二の後頭部が見える。つんつんとした髪を後ろから触ると、手のひらがチクチクとした。
「なにしてんだよ」
「別に」
「せっかくセットしたのに、崩れちゃうだろ」
「いいじゃん、着いたらもっかいセットすれば」
「結構手間なんだぞ」
しばらく髪を構い、毛先が緩くなってくると私はそれに飽き、シートにもたれた。静かにしてると、浩二が囁いた。
「祐奈」
「ん?」
「眠いのか?」
「うん、ちょっとね」
「そうか。まだしばらくかかるから、寝てていいぞ。着いたら起こすよ」
「ありがとう」
私は浩二の言葉に甘えて眠ることにした。揺れで眠気が来ると、すっ、と音もなく落ちたように思えた。緩やかな眠気の中で、私は綾香に会った気がした。こうしてたまに夢に現れる。
私の想い人。浩二の事ももちろん愛してるけれど、綾香はまた別の次元で愛し続けてるのだ。この愛は古代から私の遺伝子情報に植え付けられたもので、回避しようとしてできるものではない。運命付けられた宿命。私はこれからも綾香を想い続けるし、忘れることはない。夢の中で私は微笑む綾香と肌を重ねることもあった。私達お互いが望んで出来なかったことだ。夢の中だけでも会えるのは、とても嬉しくて幸せなことだった。
少し強い揺れで頭をガラスにぶつけ、その衝撃で目が覚めた。移動距離からすれば、そんなに時間は経っていない。相変わらず綾は眠っていたし、浩二は運転していた。こうして愛する人たちに見守られた私は幸せなんだ、と思った。
「浩二」
「ん?」
「私ね、Liberaのカナさんに昔言われたことがあるの」
「なんて?」
「綾香の事で悩んでいたとき、『あなたは寂しい崖の上にぽつんといる悲しい鹿のようです』って」
浩二は何も言わずに聞いていた。なんと言っていいのかわからないのだろう。
「あの時はそうだったのかもしれないし、実際に前にも後ろにも進めない状態だったから、その比喩は的確だったと思う。でも浩二が一緒に地元に帰ってくれて、そして物事は解決していった。綾香もあの時に私に会えて、自分なりの決心がつけれたのかもしれない。浩二がいろいろ助けてくれたから、今の私がいるのかもしれないね」
「なんだよ、今更。というか、カナさんもなかなか渋い例えだな。『悲しい鹿』か」
「あの人、ちょっと変わってるから」
私達はクスクスと笑った。
私はこれまでのことをふと思い出してこう思った。
「結局私は、前にも後ろにも進まなかった。でも地上に降りることはできた。綾香と浩二は、私に未来をくれたの。そう思うことにした」
「……お前がそう思うなら、俺はあれだけの事をした甲斐があったよ」
「ありがとう。私は生きるよ。これからも」
──了──
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