告白と真実【第十四話】

2016年 8月20日

実家

 お盆も過ぎ、いよいよ手の空いた夏季休暇となっていく。家族がお盆で13日から14日の家を開ける間だけ、先輩は駅前のホテルに戻り、私達が帰宅するのに合わせて先輩も戻ってきた。
 気を使わせると言ってホテル泊に戻ると言っていた先輩だが、両親が彼を気に入ってしまい、無理矢理にでも家へ連れ帰ってしまった。息子が欲しかった父は特に彼を気に入り、毎晩、晩酌に付き合わせていた。私が申し訳なく先輩に言うと、彼は彼で父親との思い出があまりなく、父との晩酌を楽しんでいたようだ。ただ、あまり父と仲良くなってもらっても困る。気をつけないと、彼を婿に迎え入れようとか言い出しかねない。
 しばらく先輩は一人で動くと言って毎朝どこかへ向かっい、私には特に何もするなと言った。それより家族孝行をしろと言われた。お盆に実家へ帰省しなかった先輩に言われるのも癪だったが、なぜか妙に説得力があり、私はとりあえず彼に従うことにした。

 それからしばらく経った20日の朝、私と両親と先輩の四人で朝食を摂っている時、底に沈殿したパイナップル果汁を、コップを振って混ぜながら先輩は口を開いた。
「今日、ちょっと付き合ってくれ」
「何かわかったんですか?」
「まぁ、そんなところだ」
 興味津々の母が、それを聞き漏らすわけがなかった。
「なに? 付き合って? もう、家の娘で良かったらいくらでももらってやってください。なんなら婿に来てもらってもいいけど」
 そういうと母は氷を入れたグラスを振ったときの様にカラカラと笑い、父のまんざらでもなさそうな横顔が視界に入った。私はとりあえず無視したが、先輩の方は「いやー、僕で良ければ」などとふざけたことを言っている。なんとも言えない特殊な朝だ、と思った。
 私まで絡むとややこしくなりそうだったので傍観者を貫いた。先輩はそんな時、私に話題が回らないように上手に話を自分に回し、「僕もお父さんとの晩酌は楽しいですよ」とか「お母さんのお料理は毎日食べても飽きないですね」とか「こんなパイナップルジュース、飲んだことないですよ。こんな家庭に育ちたかったなぁ」など、一般家庭の親が喜びそうな文言を定期的に噛ませながら読み上げた。私に話題が回らないのは結構だけれど、下手をすると先輩と両親の間で縁談が進みそうで怖かった。
 父が出掛け母がパートに出た後、私は未だパイナップルジュースを飲む先輩に話しかけた。
「先輩。よくもまぁ、あれだけペラペラとデマカセが出ますね」
「デマカセ?」先輩は残ったパイナップルジュースを飲みながら答えた。「デマカセじゃないさ。心からお父さんとの晩酌は楽しいし、お母さんの手料理の美味しいよ。パイナップルジュースも本当さ。こんな濃いの飲んだ事が無い」
 そう、先輩は少し寂しそうに言った。そういえば、先輩の事を私は何も知らなかった。この人がどんな人生を今まで歩んできたのか。もちろん先輩が自分から話す事もなかったし、私も無理に聞く事は一度もなかった。
 しばらくしてから私と先輩は身支度を整えて、自宅を出た。外はいつもの様に太陽はアスファルトを焼き、空と地面から熱を放出している。時間は10時過ぎ。これからもっと気温が上がる時間となる。
「ところで、どこへ行くんですか?」
「うん。道すがら話そうか。とりあえずバスが来るまでに決めればいい」
 近くのバス停で待つ。〇〇団地前。そう、バス停には書かれていた。少しサビの浮いた姿が、いつまでも立ち続けるカカシを思わせた。
 バス停は建物となっており、私達は中へ入りベンチに座った。窓からは風が抜けてはいたのだが、軽めのサウナの様に暑かったが、それでも外の直射日光よりはマシだった。窓からはセミの鳴く声が一緒に入り込んできた。他には何も聞こえなかった。
「バスが来るまでに決断してくれ」先輩は前を向いたまま話し始めた。「これから向かうのは、病院だ」
「病院?」
「そうだ」先輩のこめかみから、汗が一筋流れるのを見た。「中央病院だ。あそこに彼女はいたよ。粘って探して運良く見つけて、なんとか今日の事をセッティングできたよ。それで彼女の方からいろいろ説明したいからという事で─」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 先輩は言いかけたセリフの切れ端を探す様に少し空中を彷徨ってから、じっくりと私を見返した。
「なんだ?」
「いやいろいろ混乱して…。なんで病院で会えたんですか?偶然ですか?それとも、病院に絞って探したんですか?」
「ああ。病院に絞った。それも個人病院じゃなくて、ある特殊な科のある病院だ。俺は先見の明みたいなものを感じて、その科のある病院を重点的に探し回った」
 私が混乱して黙っていると、先輩が急かすように言った。
「俺が内情を話してもいいが、お前がここまで来てるなら自分から説明する、と言ったもんでな。俺としてはお前が彼女に会う決意があるかどうかしか聞けない」
「もし、会わない、と言ったら?」
「俺は彼女の事を、墓場まで持っていく。お前がどれだけ俺を拷問をしても、俺がまかり間違ってお前の婿になったとしても、絶対に口を割らない。彼女も今日お前が予定の時間までに俺と共に現れなければ、その病院から離れるとも言った」
 私の覚悟?そんなこと言っても私は何に対して覚悟しろというのだろう。
「本来なら彼女はお前に会いたくはないそうだ。あの手紙の最後の部分通りにな。お前が嫌いだからじゃなくて好きだからこそ、今の自分の状況を何でも受け入れる覚悟がない限り、会ってほしくないとも言っていた。…どうだ?彼女の事を受け入れれるか?」
 私が悩む理由など始めからない。それに覚悟する内容がわからないのだ。会って、話をして、それからでも遅くはないし、私はもとより綾香の全てを受け入れる覚悟がある。

 バスに乗るとひんやりとしたクーラーが体を冷やしていった。先輩が、生き返るわー、と言いながらTシャツをバサバサと仰いだ。乳首が張り付いて形が丸見えだが、私はそれについては何も言わなかった。ゲイに襲われても自己責任なのだから。何なら、この人の場合、自分から誘っている可能性もあるから恐ろしい。
 外を流れる風景を見ながら、どんな覚悟が必要なのか考えてみる。病院なのだから何かしらの病気なのだろう。しかも特殊な科というのだから普通の病気ではないのかもしれない。
 だからといって「はい、そうですか」と諦めるくらいなら始めから捜索などしない。姿をくらますのだから、普通の理由ではないのは分かりきったところだ。

 バスに揺られ涼しさで眠気が来始めた頃、気を抜く様にバスは停車した。先輩に起こされて停留所へ降りると思い出した様に熱気と湿気が体に絡みつき、横を通り過ぎていく車の排気ガスと共に私に不快感を催させた。
 病院が一番賑わう昼前の病院は、受付窓口のあるロビーで多くの人がごった返していた。ある人は健康そうで、ある人はいかにも病人といった顔ぶれだった。それはそうだ、ここは病院なのだから。回復もあれば不調もある。
「どこで待ち合わせなんですか?」
「このロビーで、と言われた。少しこっちが早かったかもな、まだ来ていないみたいだ。お前なら遠くからでも分かるだろ?」
 えぇ、まぁ。と答えた。綾香に大きな見た目の変化さえ無ければ、私は何キロ先からでも判断できる自信がある。私は人混みのロビーを見渡したが、綾香はそこにいなかった。
 人々が午前の診察を終えて病院を後にしていき、ロビーは少しずつ人が減っていく。後に残るはタクシー待ちで涼んでいるおばあさんや、数人で固まって談笑をしている人達だけとなった。
 時計の針が12時少し前を指した頃だ。私は不意に懐かしい匂いを感じた。風に乗ってせせらぎの様に流れてきたこの匂いに、私は覚えがある。
「祐奈。…久しぶり」
 時の静止した様な滑らかな空間。私の横に立った人は、綾香だった。
 何も変わっていなかった。黒い髪は、荘厳な滝のように流れ、深い瞳で私を見ていた。そして唇は少し微笑んでいた。先輩は、「あとは二人で」と言ってどこかへ行った。私達は病院のロビーで横がけのソファに座って何を話そうか迷っていた。言いたい事はたくさんあったのに、なぜか実際に会うと言葉が出なかった。
「ごめんね」
 綾香はそう一言つぶやいた。私は、綾香の横顔を見た。自分の足元を見ていた。寂しげな瞳に、私はやはり何も言えなかった。
「いいよ。こうして会えたし」私はとりあえずの取り繕いの様な言葉を吐いた。「先輩とはどうやって会ったの?」
「あなた、私の写真とか、彼に見せた?」私は、うん、と答えた。「多分、それを頼りに2箇所の病院を巡回したんだろうね。私が17日にこの病院に来た時、彼に話しかけられたの。『円綾香さんですか?』って。それで、『はい、なんの御用でしょう?』って答えると、あなたが私を探してこの街に戻ってきてるって教えてくれたの。最初は嫌だって言ったんだけど、あなたの為に彼、ここで土下座までしたのよ。誠心誠意って言葉が一番ぴったりくる人ね、彼」
 私の為に先輩がそこまでしていた事に驚いた。いつも軽く適当な対応してばかりの私にそこまでしてくれていて、私はお世話になりっぱなしだな、と思った。
「…ところで彼は私の事、なにか言ってた?」
 何も聞いてない、と答えると綾香は再び喋りだした。
「約束を守ってくれたのね、彼。なぜあなたに何も言わずに居なくなったのか、その説明は私の口からしたかった。ここまで来ていて、もう隠せないってわかったからね。…手紙も見たんでしょう?」
 私は、頷いた。
「はっきりあなたに伝えるわ。私ね─」
 綾香は一瞬言葉を切った。そして俯いていた顔を上げ私と目を合わせた。その瞳は僅かに揺れていて、今から言う事をほんの少し、本当はためらっているのが見えた。もうその時、病院のロビーにはほとんど人はいなかった。私達だけ、ほぼ二人だけの空間に変わっていた。だから私は、綾香が何を言っても受け入れて抱きしめるつもりだった。

「─私ね、エイズ、なの」

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