『豊潤な夢、痩せこけた獣』

 最近、私は夢を見なくなってしまった。それは私にとって受け入れがたい事実だった。私は夢を見るのが好きなのだ。仕事が終わり、疲れた身で家に帰る。シャワーを浴びて、温かいベッドにもぐりこむ。その末に見る夢は楽し気で、ふわふわとしていて、実に心地良いものなのだ。それがなくなったことはやはりストレスだった。
 そのことを妻に相談すると、彼女は言った。
「それはきっと夢食いのせいよ」
「夢食い?」と私は聞き返した。
「夢を食う獣のことよ。普段は姿が見えないんだけど、夜、人々が寝静まったときに現れて、その人たちの夢を食べるの。私の地元にも何匹かいたわよ。私は食べられたことないし、消防団の人たちが一斉に駆逐しちゃったから、もういなくなったけど」
 私は首を振った。「知らなかったな、そんな獣がいるなんて」
 彼女は真剣な顔で私を見つめた。
「ねえ、今夜、夢食いを捕えましょう。きっとそいつの仕業に違いないわ。防犯装置をオンにしておくから」
 私はよく分からないままうなずいた。妻がこの表情をしているときは、おとなしく従ったほうがいいのだ。

 その夜も、私は妻と同じベッドで眠った。眠ることはたやすくできる。体は疲れているし、脳は休息を求めているからだ。しかし、肝心の夢を見ることができないのだ。私は妻の横でぐっすりと眠っていた。その眠りはもうすぐで深いところに到達しようとしていた。夢が訪れようとしているのだ。
 そのとき、防犯装置のジリリリリリリという耳障りな音が部屋に響いた。何かが私たちの寝室に侵入してきたのだ。そして、我々のベッドに何かがいる気配を感じた。
 私はさっとベッドから飛び起き、忍び寄ってきた何かをすぐさま取り押さえた。体重をかけて押し倒し、逃がさないように首根っこを強くつかんだ。ぐえ、っと獣がうめいた。その間、目覚めた妻はベッドの下に隠していた散弾銃を取り出し、銃口を獣に向けた。
「やめて、撃たないで」と獣は懇願した。
 妻は銃を構えたまま、寝室の明かりを点けた。部屋が明るくなり、獣の姿が明らかになる。
 夢食いは一見すると猫のような外見をしていた。平たい顔に、とがった耳、小さな鼻、そしてくりくりとした目を持っていた。しかし、体は猫よりも二回りほど大きく、そして二本足で立てるような不思議な骨格をしていた。私はそんな生き物をこれまで見たこともなかった。図体はけっこうでかいはずなのに、力は全くなさそうだった。それはこの獣が痩せこけているからだろう。まともに食事にありつけていないらしい。
「観念しろ」と私は言った。「よくも俺の夢を食ってくれたな」
「撃ち殺しましょう」と妻は冷酷に言った。
「やめてください、どうか助けて」
 夢食いは切実に訴えた。しゃがれた男のような声だった。私の体の下でもぞもぞと動いているが、逃げることはできない。
「お願いです。話を聞いてください」
「話してみろ」と私は言った。まあ、さすがに問答無用で撃ち殺すのも気が引けるものだ。
 獣は震える声で話しはじめた。
「ご存知の通り、私は夢食いという獣です。人間の夢を食らって生きております。ご理解していただきたいのですが、夢を食べられても、あなたがたには何の危険も及びません。睡眠が浅くなるわけでも、悪夢を見るわけでもないんです」
 妻は言った。「でも、この人は夢を見るのが好きなのよ。一見、表情の乏しい男の人だけど、自分が見た夢の話を嬉々として話すくらい、夢が好きなの。それを食べるなんて許されないことだわ」
「確かにそうかもしれません」と夢食いは言った。「ですが、私の話を聞いてください。いいですか、この土地は現在、とても都市化されていまして、人間も前に比べて豊かな心を失ってきています。それゆえに、彼らは夢を見なくなりました。夢のきれっぱしも、残りかすもなくなったのです。ですから私たちはほとほと困りました。なんてったって食い物がなくなるんですからね。毎日飢えに苦しみ、死の恐怖におびえています。私もその一人でした。そんなとき、あなたの夢に出会ったのです。あなたは実に素晴らしい夢を見ておいでだった。豊かで、色味があって、起伏があった。私は久しぶりにごちそうに出会ったと思いました。そこで、恥ずかしながら、あなたの夢を食べるに至ったのです」
「待てよ」と私は制した。「なんで俺の夢を続けざまに食ったんだ? 普通、夢食いは同じ相手を何度も選んだりしないらしいじゃないか」
「ですから、先ほども申し上げた通り、この近辺では夢を見る者がほとんどいないのでございます。私に選ぶ余裕にありません。大変申し訳ないと思ってはいます。夢が好きなあなたには辛いことだったでしょう。でも、仕方なかったんです」
「なるほどね」、妻はうなずいた。「あなたの言い分はわかる。それだけ飢えていたのならしかたないでしょう。でもね、このまま夫の夢があなたに黙って食べられるのを、見過ごすことはできないわ」
 夢食いは悲しそうな顔をした。「左様でございましょう。ですから、もしわたくしめに生きる機会を与えてくださいましたら、もう二度とこの家には寄り付きません。ご主人の夢を食らうことは二度とないと誓います。お願いです。どうか信じていただけませんか」
「ふうむ」と私はうなった。
「どうするの?」と彼女は聞いてきた。「撃つ?」
「いや、逃がしてやろう。話してみた感じだが、悪いやつではなさそうだ」
 私は夢食いから離れた。彼はやつれたような顔で立ち上がった。それから言った。
「本当に、ご迷惑をおかけしました」
 私は首を振った。「いや、仕方ない。人々が夢を見なくなったのが原因なんだから」
「これからどうするの?」、妻は夢食いに尋ねた。
「そうですねぇ……まだ夢を見ている人たちがいそうなところへ行きます。少なくとも都市から離れたほうが良さそうだ。いや、昔は腹いっぱい夢を食べることができたんですが……」
 彼は弱弱しくそう言った。私はなんだか彼が哀れに思えた。夢を食べられるのは我慢できないが、かといってこの夢食いたちが飢えてしまうというのも、なんだか残酷だ。
 夢食いは窓を開け、窓枠に乗り、「それでは失礼します。どうもすみませんでした」と言って、家から出ていった。私と妻は彼の後姿を眺めていた。夜の闇にまぎれて、夢食いが見えなくなるまで。しばらくすると、私は窓を閉めて、妻と再びベッドに戻った。
 その日、私は夢を見ることができた。夢食いが私の夢を食べなくなったからだ。それは喜ばしいことだった。それなのに、夢の内容は、よく覚えていないのだが、悲しいものだった。それは、夕方のベンチに一人で座っているときのような寂しさを伴った夢だった。おそらく、悲し気な夢食いの顔を見て眠ってしまったせいだろう。彼は無事、自分の住処を見つけることができたのだろうか。あるいは、他の仲間たちと同じように飢えて倒れてしまったのだろうか。
 妻は夢を見ないそうだ。彼女はそれでも全くかまわないようだった。こういう人間もいる。それでも彼女は幸せなのだ。私とは違う。いずれ、私のような人間も、この世界からいなくなってしまうのかもしれない。

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