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思考の旅「4次元デザイン」

我が家のささやかな庭が賑やかになってきた。冬に植えた球根たちが芽吹いてきたのだ。

植物を育てることは昔から割と好きで、昔から鉢で色々育ててきた。最近はささやかな小さな庭に作った花壇で土いじりをするのが楽しみの一つになっている。

だが、いくら「ささやかな小さな庭」とはいえ、それは鉢植えと違い、一度決めたら場所を変えることはできない。日当たりや季節、土壌など、気にしないといけないことも多すぎてもうさっぱり分からない。それでも、Amazonで庭作りの本を取り寄せて読んだり、母親や義母の力を借りながら庭づくりに取り組んだ。

経験が無い僕が偉そうなことは言えないが、庭づくりのキモは「どのような風景にしたいか」を思い描いて植物の性質を理解しつつ、その風景を設計していくことにあると思う。

だから、当然ながら「今」見たい景色をリアルタイムで作ることはできない。同じ景色作りでも、ジオラマ作りと庭づくりは全く違うのだ。ジオラマのそれとは違い、庭作りは3ヶ月、6ヶ月経った後のビジョンが必要で、そこに向けた作業をコツコツしていくことになる。

それに気づいたとき、「これは4次元のデザインだ」と思った。庭作りとは、時間的な連続性のある空間デザインなのだ、と。

小さい頃、ドラえもんの4次元ポケットを見て父親に「4次元って何?」と聞いたら、「3次元空間に時間を足したものが4次元だよ」と教えてくれた。

2次元は平面デザイン。3次元は立体デザイン。そして、庭づくりとは「時間」が足された4次元のデザインではないか。

…そこまで思考を巡らせたとき、気づいた。

いや、これは庭づくりだけの話ではない。

例えば、彫刻家イサム・ノグチは、札幌にある自身の作品「ブラック・スライド・マントラ」について、「子供たちが滑ってはじめて完成する」と言ったそうだ。

あるいは、マーケティングの世界では、カスタマージャーニーという顧客の行動分析法がある。企業が自社の商品やサービスと顧客(ペルソナ)の接点(認知・購買・消費・廃棄…)を事前に定義するものだ。

…よくよく考えてみたら、世の中のデザインは全て4次元デザインじゃないか。

我が家の庭の球根が芽吹くのと時同じくして、イサム・ノグチの彫刻は子供たちによって摩耗していき、一方では企業が生み出した工業製品が人々の手で消費されていく。

一旦落ち着こう。

そこまで思考を巡らせたとき、冷静になって自分の目の前の仕事のことを考えた。

今、自分がしている仕事は、これからの時間的な連続性を想定して取り組めているのか?

「その時」だけ、誰かが満足する設計になっていないか。

本質を無視した表層的な提案になっていないか。

普段、2次元・3次元問わず様々な仕事を引き受けているが、視野を未来の方まで広げた4次元の思考でデザインをしていくべきだ。芽吹いた球根をガラス越しに眺めながら、そこでこの思考の旅を終えた。

最後に、チェコの作家、カレル・チャペックの著作『園芸家の12ヶ月』の中の一節を引用する、というキザ過ぎてイタい感じ(笑)で締めくくろうと思う。

われわれ園芸家は未来に生きているのだ。バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。一〇年たったら、この小さな唐檜が一本の木になるだろう、と。早くこの一〇年がたってくれたら!五十年後にはこのシラカンバがどんなになるか、見たい。本物、いちばん肝心のものは、私たちの未来にある

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