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【番外編】シン・ニホンアンバサダー


むらじおパーソナリティのコーキー(仮)です。
むらじお内でもたまにお伝えしている通り、私はつい先日まで「シン・ニホン公式アンバサダー養成講座」というオンライン講座に通っておりました。
そして先日、無事に講座を修了し、晴れてシン・ニホン公式アンバサダーとして活動する運びとなりました。
シン・ニホン公式アンバサダーとしての活動のメインは、シン・ニホンを通じた読書会を開催し、「残すに値する未来」のために主体的に動く人を増やしていこう、というものです。
私の場合、直近で読書会メインで活動する、というよりも、皆さんが読書会をする場の一つとしてあわじのむらを開闢したい、もちろん自分もそこで読書会を通じた意見交換ができれば最高だ、そんな風に考えています。

そんな養成講座の感想文を、なんとシン・ニホンのプロデューサーである岩佐文夫氏が添削してくださるという機会に恵まれました。
折角なので、普段はあまり表に出していない感情レベルの気付きに焦点を当てて綴ってみました。お目汚しですが、お読みいただけたら嬉しいです。
また、お忙しい中添削をしてくださり、温かい感想までくださった岩佐さん、本当にありがとうございました。

ありがとう。そしてやっちゃいます。

いつの頃からか、「じゃあどうすっか?」「やっちゃえ」と自問自答することが増えた。

やりたいことがあるのなら、やっちゃった方がいい。
折角生まれてきたのだし、その方がご先祖様も喜んでくれるだろう。
そして自分があの世に行ったとき、あっちでご先祖様とハイタッチをしながら「あなた達が命を紡いでくれたおかげで、こんな人生を送ることができました」と胸を張れる人生を送るのだ。
割と本気でそう考えている。

なんでこんな風に考えるようになったのか。たとえば、2013年に娘が産まれたこと。たとえば、数年前から地域活性の仕事を通じて主体的に生きることの大切さを知ったこと。
確かにそれらも大きな理由ではあるのだけれど、最大の理由はおそらく母方の祖父から亡くなる直前に聞いたエピソードだ。

祖父は先の大戦中に学徒出陣で人間魚雷「回天」の部隊にいたが、実際には搭乗しなかった。理由は、担当軍医がヤブで、搭乗員選定のタイミングでただの風邪を肺病だと誤診されたから。事実、水を抜くために脇腹に針を突っ込まれたけど何も出なかったという。

もしそのとき元気でいたか、もしくは担当軍医がヤブじゃなかったら、次男として生まれた祖父はおそらく特攻要員として指名されていた。そうしたら当然、母も生まれなかったし、私も存在しない。ヤブ医者によって、細い細い命の糸が紡がれたのだ。
一方で、祖父の代わりに、長男にもかかわらず志願して回天に搭乗した人がいた。それは祖父の親友だった。だから、祖父は97歳で天寿を全うするまで、ことあるごとに「自分の代わりに死んだアイツに見せても恥ずかしくない日本であってほしい」と言っていた。

私は祖父を尊敬しているので、自然と「じゃあどうすっか?」と考えるようになったのだろう。

「祖父の代わりに死んだその人に見せても恥ずかしくない日本にするために、自分には何ができるのか?」

自身の才能と能力、情熱の在り処を模索したところ、地域活性の仕事に巡り合った。その仕事はやりがいもあったし素敵な人にも沢山出会った。何より「祖父の代わりに死んだその人に見せても恥ずかしくない日本にする」ことに繋がる仕事だと感じていた。

そんなある日、シン・ニホンという本を読んでいた。めちゃくちゃ刺激的で面白い内容で、ぐんぐんと読み進めていると、あるフレーズが目に飛び込んできた。

「残すに値する未来」

これだ。直感的にそう思った。

「残すに値する未来」のために生きた先人の思いを継ぎたい。そして自分もまた「残すに値する未来」のために生きたい。次の世代が縦横無尽に走り回れるような世界を創る一助になりたい。

祖父の遺志を、普遍的なものとして肚落ちさせることができた瞬間だった。

そんなさなか、シン・ニホンの公式アンバサダー養成講座というものを知った。シン・ニホンの趣旨に賛同する人たちを増やすための活動をするのが公式アンバサダーであり、そのスキルを高めるための講座だという。応募しない理由がなかった。そして縁あって第四期のメンバーとして参加することができた。

参加メンバーのパーソナリティは多種多様で、シン・ニホンの捉え方ひとつをとっても様々な角度があることを知った。共通していたことは、シン・ニホンを読んだうえで「じゃあどうすっか?」を考えている人たち、ということだった。その観点がとても素敵だと思った。毎週の講座の時間はとても楽しみだったし、お酒が好きな方が多かったのも印象的だった。

そんな養成講座の中で、自身のプロジェクトである「あわじのむら」を紹介する機会があった。「あわじのむら」とは、淡路島の南端の限界を超えた限界集落を、一軒の空き家を起点としてアートを基軸にリブートさせようという、シン・ニホン的に言えば「風の谷構想」に近いものだ。実際、シン・ニホンを読んだことで、数年前に偶然訪れたその集落のリブートに決心がつき、実際に空き家を購入した。シン・ニホンに「やっちゃえ」と言われた格好だ。

そんな「あわじのむら」プロジェクトに養成講座の多くのメンバーが賛同してくれ、実際に空き家を一緒に見に来てくれるメンバーもいた。その内の一人は、データセンシングのスペシャリストで、一緒にあわじのむらを「アート」×「データ」×「テクノロジー」という切り口で創っていこうと話しているし、別の一人は対面で一献傾けることもできた。養成講座に出会わなければ紡がれなかったご縁に本当に感謝している。
他のメンバーもいつか来てほしいし、行きたいと思ってもらえる場所にしていかなければと改めて感じている。また、そう思える人たちと出会えたことが何より嬉しい。

残すに値する未来のために、まず、あわじのむらを開闢する。淡路島は別名「国生みの島」といわれ、日本書紀においてこの国で最初に誕生した場所だ。「この国は、もう一度立ち上がれる」ならば、せっかくなら国生みの島から立ち上がろうじゃないか。賛同してくれる方々と、思いっきりやっちゃおうじゃないか。そして「いつかの明日」に、縦横無尽に走り回る次の世代を眺めながら、ご先祖様とハイタッチして、杯を交わそうじゃないか。

これが、膨大なファクトをベースに「じゃあどうすっか?」と問いかけてくれたシン・ニホン、ならびにアンバサダー養成講座を経た、現時点での私なりのアンサーである。


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