「集中力が無い」は才能である
はじめに
この記事を読んでる人は、おそらく
「集中力が無いと悩んでる人」
「集中力が無いと怒られてる人」
「子供や兄弟、周りにいる人に集中力がなさ過ぎて心配」
という方が多いのではないかと思います。
ご自身で悩んでる方は、これを読んでコンプレックスを「才能」として能力開花してください。
周りに集中力がない人がいたら、これを元に「気づき」を与えてあげてください。
もし何かの参考になったら「❤️」お願いします🙇♂️
【エピソード1】 「落ち着きがない」とよく怒られてた幼少期
私には、6歳上に姉がいます。
子供の頃の姉は、勉強もスポーツも優秀で、先生や周りの大人からの評価が高く良く褒められていました。
それに比べ私は、小学校の低学年の授業参観に来た母親に
「コセコセして、いっちょんじっとしとらんねぇ・・・」
九州の熊本の方言(天草地方)で、
「そわそわして、ちゃんと座ってられないのか・・・」
という意味です。
こんな事を言われた私は、全然自覚がありませんでした。
「コセコセ」してるつもりもなく
他の子と同じように授業を受けているつもりでした。
私は、他の人と自分を比較して違いを見つけることが苦手だったのかもしれません。
しかし、低学年ではテストの点数もほぼ100点でしたし、人見知りでおとなしい性格でしたが、それなりに楽しく学校生活を送ってたと思います。
しかし、「宿題」がでるようになってからは、「苦痛」が増えてきました。
「宿題」をやらなければいけないのに、全くやる気が起きません。
「ドリル」を開いて数分経つ頃には、周りにある物が気になりだし、気づけば違う事をしていました。
「夏休みの友」(昔宿題として渡された問題集)は、拷問でしかありませんでした・・・
夏休みの最後の1週間に、親にしばかれそうな勢いで友達とは思えない「夏休みの友」と強制的に向き合いさせられたのを覚えています。
【エピソード2】 勉強が「物理的」にできない
受験や宿題、資格取得など勉強をしなければならないタイミングは、すべての人に訪れると思います。
危機感や焦りは、他の人と同様に感じるので、イヤイヤながら「勉強するぞ!」と机に向かうことはありました。
しかし、勉強を始めると、本棚や机、おもちゃなどが気になり始めて、
「ここの本が並んでないな・・・」(普段は気にもしてない)
と片付け始めます。
片付け始めると
「アルバム久しぶりに見てみるか」
と、アルバムを見始めます。
それに満足すると、近くにあった漫画本を読み出し、気づくとゲームをしています。
「勉強しないとヤバい」
と1~2時間たった後に、考え直すも、上記のような雑念が勉強させることを許しません。
その結果、成績はドンドン悪くなり、劣等感も強くなっていきました。
【エピソード3】 大人になって感じる他人との比較、さらなる劣等感
私は19歳で専門学校を中退し、IT業界に就職しました。
当時は、今以上に未経験への風当たりが強く、昨今とは異なり「資格」を持っていることに価値がありました。
そのため、「基本情報技術者試験」というITの資格を取得しようと考え、
参考書を購入しました。
学生時代もまともに勉強してこなかったせいで、勉強の仕方もわかっていませんでした。
参考書の内容をノートに書き写して勉強している気になり、1~2ページ進んだところで雑念に飲み込まれます。
「休憩でジャンプを読もう」と小一時間漫画を読んで、「続きは明日やるか」と投げ出していました。
結果、資格を取ることはありませんでした。
周りの人は資格を取ったり、仕事をそつなくこなし、社会に認められてるのに、自分は雑念と欲望に負け、成長できず、そんな自分に劣等感を感じ、人と話すのがドンドン苦手になっていきました。
【転換期】序章 自分に無いものを認識しはじめる
本屋では、漫画や雑誌、(ほぼ使わない)参考書しか買ったことがなかったのですが、ビジネス書や自己啓発本の存在を知り、
「少しでも仕事ができるようになりたい」
と手に取りました。
今まで、小説や参考書は読む気にならなかったのですが、この手のジャンルは自分の悩みを解消する情報として読めることに気づきました。
「藁にもすがる思い」だったのでしょう。
ただ、読めると言っても他の人とは違い、少しづつ少しづつ読みすすめる程度でした。
本を読むことで、体だけが大人になった「圧倒的に無知」な私も少しづつ成長するようになりました。(25歳くらいまで、中身は中学生・・・小学生のままだったんじゃないかと思います)
集中できない器用貧乏
本を読めるようにはなったものの、集中力がなく、飽き性なのは変わりませんでした。
1冊全て読む事も稀で、最初の数十ページ読んで本を積んでました。
仕事もSESと呼ばれるお客さん先を短期間に転々とし、客先毎に経験するエンジニアとしての技術もバラバラな状況でした。
集中力がないため、現場にいても知識を深堀りできず、仕事で得た経験と躓いた時にその場しのぎで調べた知識が増えていくばかりでした。
結果、いろんな事を浅く出来るけど、深いところを知らない器用貧乏な仕上がりとなりました。
自分なりの「集中」の方法と出会う
とあるプロジェクトに入った時、社内ではエース的な存在のプロジェクトに私がアサインされました。
自分には無い知識の深みと経験を持った人たちに囲まれ、何もできない
器用貧乏な自分に劣等感から恐怖に近いものを感じていました。
ですが、深堀りしてる人たちが知らない事、出来ない事を、自分が持っている事に気づき始めます。
広く浅くの知識が役に立ち、そのプロジェクトで過去の経験を活かし、浅い知識が少しだけ深みが出た気がしました。
そして、「集中できない」のは自分の能力だと気づきました。
「集中」とは「同じ行為を続ける事」
集中力が無い子でも、ゲームや漫画、テレビやアニメは見続けることができると思います。
そして、この行動を「集中して飽きもせずよく見てる」と言われる事ありますよね。
ですが、
「格闘ゲームが好きな人」に、「シュミレーションゲーム」や「将棋」などさせても続かないことってありませんか?
「恋愛小説」は読めるけど「歴史的小説」は読めないことってありませんか?
「熱血格闘マンガ」は読めるけど、「目がキラキラした女性向けスポーツ漫画」は読めないことってありませんか?
好きなものでも、「やりたくない」事があるんですよね。
それはなぜか。
「性格や人生や経験から生まれる指向性」を元に情報に対する「慣れ」が生じているからです。
慣れてるものは「好き」だったり「苦痛」を感じにくい。
これを人は集中と勘違いしてるのか、と私は気づきました。
「集中力の無さ」を活用する
私は今でも「集中力」がありません。
ですが、どんな人でも「3分」くらいは同じ作業を出来ると思います。
その「3分」だけ「集中」してください。
ここで言う「集中」は、同じ作業を行うことです。
英語を覚えたい人
プログラミングを覚えたい人
仕事で作業を抱えてる人
何かをやらなければならない人は、他にもやるべきことを抱えてると思います。
その「これからやらなければならないこと」と「本来やるべきこと」を「3分」毎に「集中」してください。
「英語を三分やる」「プログラムを3分やる」「お客さんにメールを3分書く」「上司に確認することを3分考える」「英語を三分やる」「プログラムを3分やる」・・・・
これを実際にやってみるとわかると思うんですが、今まで「集中できなかった」のに、気づくと3分以上各作業をやってしまいます。
そして
「3分じゃ足りない」
もしくは
「3分以上経過している」
3分以上出来るようになったら次は5分にしてみましょう。
だらけたり無駄な時間が生まれてるなと感じるギリギリの時間を見つけて自分の時間「パーソナルペース」を見つけてください。
私は、これを
「絶対時間」(エンペラータイム)
と読んでいますw
今では劣等感はなく、「器用貧乏」や「集中力の無さ」を自分の「才能」だと認める事ができるようになりました。
周りからも「いろんな事が同時にできるる人」と言われる事もあります。
実際に、仕事ではプロジェクトを3~5個回しています。
逆に3つ以下になると、足りず飽き始める・・・・といった副作用もありますw
最後に
最後まで読んでくださった方、あなたは「集中力」がありますね。
ここまで読んでくださった方で、その集中力があれば何でもできると思いませんか?
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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