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二軒の米屋の教訓的な思い出~むかしばなし~

 今は昔のこと、私が北海道内のとある町で貧乏学生生活を送っていたころの話です。住んでいた安アパートの近くに二軒の米屋がありました。
 片方は大きな通りの開けた場所にある新しい建物の店でした。大きな看板と明るい照明でよく目立ち、ブランド米なども扱っていて、高級路線を目指しているようでした。
 もう一軒は、同じ通りから脇道へと入る角にある小さな店でした。目立つ看板もなく、米だけでなく台所用品なども店内の棚に雑然と並ぶ雑貨屋のような店構えでした。品揃えもどちらかというと低価格帯中心で、今では見なくなった「標準価格米」を私が最後に目にした(そして買っていた)のもこの店でした。
 客は大きな方の店が明らかに多いようでしたが、私自身は小さな方の店がアパートに近かったことと、買う米がほぼ低価格帯限定だったことから専ら小さな方の店を利用していました。その二つの店に起きた、ある意味教訓的な出来事について、これから話したいと思います。
 「1993年の米騒動」をご存じでしょうか。その年突発的に起こった冷害で全国的に米が不作となり、国内の需要を満たせるだけの収穫が見込めないということで、その年から翌年にかけて全国的に米の買い占めや売り惜しみ、便乗値上げなどのパニックが続いたという出来事です。
 当時日本はバブル景気の余韻がまだ残っている時代で、円の国際的な信用も今とは比べものにならないほど高いものでした。その強い円の力を背景に、日本は国際市場に流通する米を、国内ではなじみの薄い長粒種のインディカ米(当時は「タイ米」と呼ばれていましたが、本稿では「インディカ米」と表記します)まで片端から買い漁っては世界的な米相場を混乱させ、挙げ句にせっかく買ったそのインディカ米に「まずい」「臭い」と文句をつけて道ばたに捨てたりしていました。タレントや文化人がテレビや出版物で、バブル時代に肥大させた間抜けなナショナリズムを丸出しにして「日本の米は世界一おいしい」「こんなおいしい米を作る日本人はやはりエラい」のような、今もよく見かける無知で傲慢な主張を臆面もなく振りかざしては周囲がそれに拍手喝采する光景を目にすることも多く、個人的に苦々しく思ったものです。
 私自身は、そもそも「おいしい米」の基準自体が、俗に「コケコッコ米」と呼ばれる古古古米配合の標準価格米より上ならそれで満足というものでしたから、特にインディカ米に不満を感じたこともありません。そもそも日本人がインディカ米を「まずい」と思い込んだのは単に食べ方を知らなかっただけで、カレーやチャーハンなどにはむしろインディカ米の方が合っていると今も思います。タイ料理店などに行くときも、「ちゃんとインディカ米を使っているか」というのが、私が店の善し悪しを判断する基準の一つになっています。
 さて、二軒の米屋の話です。米不足を受けて、大きな方の米屋は便乗値上げに走りました。もともと高めの価格設定だった米はさらに倍ほどの値段になり、貧乏学生にはとても買えないようなとんでもない値段がつけられたブランド米が、私や同じく貧乏なクラスメイトたちの歯がみをよそに、これ見よがしに店の一番目立つ場所に並べられていました。そういう商売でおそらくかなり儲けたことでしょう。店の駐車場に周囲の雰囲気にそぐわない新品の高級車が停められているのを通りすがりに目にしましたが、儲けた金で新しく買ったのか、それとも、どこかの金持ち客が金にあかせてブランド米を買いに来たものなのかは定かではありません。
 一方、小さな方の米屋は値上げをしませんでした。相変わらずの安い値段で売られていた国産米はあっという間に姿を消し、そのあと2kgの小袋に入ったインディカ米が、これまた安い値段で店頭に並ぶこともあったものの、こちらも売りに出るたびにすぐに売り切れて、ゴミ袋と漬物用の糠だけが売り場の棚に並ぶ開店休業状態だったことを覚えています。仕方ないので、せめてもの応援のつもりでゴミ袋だけを買って帰ったこともありました。
 対照的な二軒の店の有様につくづく世の理不尽を感じたものですが、話にはまだ続きがあるのです。
 翌1994年の米の作柄は一転して豊作となり、米騒動は一年であっけなく収束しました。開店休業状態だった小さな方の米屋の店頭にも再び商品が並ぶようになり、お客も戻ってきて、米騒動の前と変わらない光景が何事もなかったかのように復活します。
 一方、大きな方の米屋にはお客は戻ってきませんでした。店頭に並ぶブランド米の価格は米騒動の前の水準に戻りましたが、通りすがりに店をのぞいても、それを買うお客の姿を見かけることはついぞなく、それからいくらも経たないうちに店は閉店となりました。
 小さな方の店は、翌年私が大学院への進学のため街を去る時までそのまま残っていました。さらに十数年が経ち、就職した私が転勤で学生の時住んでいた街に戻ってきた時も、昔と変わらぬたたずまいのまま営業を続けていました。おそらく今も残っているのではないかと思います。
 昔話でも何やら似たような教訓話を目にしたことがあるように思いますが、昨今、マスクからゲーム機からトレーディングカードまで商品の品薄が取り沙汰されるたびにどこからともなく現れては暴利を貪ろうと暗躍するいわゆる転売屋ばかりでなく、社会のあらゆる分野で消費者の無知や弱みにつけ込んで大儲けするビジネスモデルが幅をきかせ、そうやってボロ儲けした商売人があたかも時代に先駆けたヒーローのように賞賛されてメディアやネットにもてはやされる今日このごろ、もう少し「商道徳」や「信用の重要性」、「企業の社会的責務」といった言葉の重みを噛みしめても良いのではないか、と考え、思い出話をさせていただいた次第です。〈了〉

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